scene:5 毒コウモリ
翌日、デニスは朝から浜辺に向かった。真名術が使えるか、試してみるつもりなのだ。好都合なことに、浜辺には誰もいない。
真名術の本には、基本として魔勁素を感じ取る方法が記述されている。それは身体の内部に目を向け、心臓や血管を流れる血の流れを感じ取るところから始まる。
書かれている通りに試してみたが、さっぱり魔勁素は感じられなかった。原因は分かっている。デニスの持つ真名は『魔勁素』ではなく『魔源素』だからである。
「……やはりダメか」
予想していたことだった。デニスは身体の内部ではなく外に意識を向けて試そうと考えた。魔源素は大気中に含まれているものだと言われているからだ。
デニスは深呼吸してから心を落ち着かせ、集中力を発揮する。まずは風を感じようと皮膚感覚に意識を集中した。潮風が身体を撫でるように吹き抜け、少し伸びた後ろ髪を揺らすのを感じた。
その時、風の中に何かを感じた。すぐに消えた感触だが、確かなものだ。デニスは風に意識を伸ばす。
「……」
今まで感じたことのない感触を捉えた。魔源素の手応えである。魔源素が意識にぶつかり、弾かれるのを感じたのだ。
デニスは砂浜に二時間ほど立ち尽くした。そして、集中力が切れかかった頃、魔源素を感じ取る能力を身に着けた。
「まるで極小の雨粒が当たっているような感じだな。でも、感じられただけじゃ何もできないんだけど」
手に入れた真名が『魔勁素』ならば、体内を循環させるだけで身体能力を上げることができる。しかし、『魔源素』は空気中を漂っているものだ。動かしても身体能力は増加しない。
「何かできないか?」
デニスが感知できる魔源素は、半径五メートルほどの範囲に存在するものだけらしい。集めてみることにした。
精神を集中し感知した魔源素に『魔源素』の真名から取得した力を働かせる。その力は一種の弱い制御力のようなものらしい。
漂う魔源素がデニスの右掌に集まり始めた。慣れないせいか、脳が焼き切れるほどオーバーヒートする。
魔源素の塊がゴルフボールほどの大きさとなる。空中に浮かぶ魔源素ボールが、デニスの眼の前に静止している。意志の力で上下左右に動かせることが分かった。
「凄い、動くぞ。こうして操れるようになると、何か感動する」
背中がゾクゾクするような感動を味わい、思わず鼻息が荒くなる。
「しかし……これで何ができるんだ?」
意思力で魔源素ボールを動かすことは可能だ。だが、その動きは遅く利用価値は低かった。
足元に落ちていた小石を魔源素で包み込み、持ち上げるように意志を総動員する。小石が揺れ、少しずつ持ち上がり始めた。
「ふうっ、一応成功か。訓練すれば、何かに使え……そうにないな。手で動かした方が早い」
魔源素を元のボールに戻した。先程と比べ少し小さくなっているようだ。小石を動かすために消費されたのか、制御から離れた分があるのかもしれない。
魔源素ボールを弄っているうちに、何となく回転させてみた。魔源素ボールが回転方向とは垂直に進み始める。回転速度を上げると進むスピードが速くなる。
「回転すると、移動する運動エネルギーが発生するのか……面白い」
デニスは魔源素ボールを眼の前に浮かべ、時計回りに回転を与えた。その瞬間、魔源素ボールがデニスに向かって弾けるように飛び、その頬に減り込んだ。
「痛っ!」
涙目になった。デニスは赤くなった頬を押さえて苦痛に耐える。
「何で後退したんだ……もしかして、回転の向きが違うのか」
頬に命中した魔源素ボールは、消え失せていた。改めて魔源素を集めてボールにすると、反時計回りに回転させた。今度は予定通りに前方へ飛ぶ。
魔源素ボールは海に落ちて水飛沫を上げた。デニスは結果を確認して考えた。
(魔源素ボールは反時計回りに回転させると前方に飛ぶのか。もう少し速く回転させられれば、威力が上がるのか)
精神的に疲れたので、真名術の実験はやめ迷宮へ行くことにした。屋敷に戻って昼食用のパンや武器を用意した。途中、雑貨屋に寄って亜鉛を売る。銀貨二枚を受け取り、町を出た。
岩山迷宮に到着した時には、太陽が真上に来ていた。迷宮に入る前にパンを食べ休憩する。一〇分後、ネイルロッドを手に持ったデニスは迷宮に入った。
中に入った直後から、迷宮内の魔源素濃度が濃いことに気付いた。外ではポツポツと魔源素と意識がぶつかるような感じだった。しかし、迷宮内ではザザザッと強めの雨が当たるような感じである。
「魔源素が濃いということは……」
試しに魔源素ボールを作ってみると、ソフトボールほどの大きさになった。浜辺で作ったゴルフボール大の魔源素ボールとは、段違いの大きさである。
それだけ魔源素が多いのだろう。その大きな魔源素ボールをスライムにぶつけてみた。スライムが跳ね飛んだ。通路の壁に打ち付けられたスライムは、何事もなかったかのように動き始める。
「……使えない」
デニスは心底ガッカリした。その後はネイルロッドを振り回しながら、迷宮を探索し下に降りる穴を見付けた。
岩をくり抜いたような穴の入り口は、三人の人間が並んで通れるほど広かった。用心しながら穴を下りる。岩山迷宮の二階層に出現する魔物は、スライムと毒コウモリである。
他の迷宮では毒コウモリではなく大ネズミが出ることが多いらしい。毒コウモリが出る迷宮は、国内では二つしか存在しないようだ。
毒コウモリは牙に麻痺毒を持ち、噛まれれば麻痺する。ただ麻痺毒の効果は弱く、身体全体が麻痺するわけではなく、噛まれた一部だけが麻痺すると本に書かれていた。
少し歩いたところでバタバタと羽ばたく音が聞こえた。そして、甲高い鳴き声が通路に響く。デニスはネイルロッドを構えた。
リュックの中には戦鎚も入っていたが、ネイルロッドの方が有効な気がしたのだ。飛んでいる毒コウモリに向かってネイルロッドを振り回す。
毒コウモリの動きが素早く、簡単には命中しない。何度目かで羽に命中し、毒コウモリが下に落ちた。通路の床でのた打ち回る毒コウモリに止めを刺す。毒コウモリが空気中に溶け込むように消えた。
「スライムより強敵だ」
強敵だとはいえ、一匹なら倒せる。問題なのは、小ドーム空間だ。そこには金属の鉱床があり、多数の毒コウモリもいる。
デニスは小ドーム空間に辿り着き、中を覗いた。毒コウモリが天井に七匹とまっている。中に飛び込んでいく勇気は、デニスにはなかった。
一匹でも苦労しているのに、七匹同時に襲われれば死ぬ。
「弓矢でも用意しないとダメだな」
デニスは貴族の息子なので、父親から弓術を学んでいる。但し、忙しいエグモントは、基本を教えただけだ。なので、デニスの技量は、素人に毛が生えた程度である。
クロスボウでも作るか、そう考えた。命中力が高く威力のあるクロスボウが最適なように思えたからだ。だが、クロスボウは連射速度が遅い。
数が多い敵と戦う場合、連射速度が遅いというのは大きな問題となる。そこで魔源素ボールを試すことにした。スライムに対しては効き目のなかった魔源素ボールも、毒コウモリには効果があるかもしれない。
精神を集中し魔源素ボールを形成する。天井にぶら下がっている毒コウモリに向けて放った。ソフトボール大の魔源素ボールが毒コウモリに命中し弾き飛ばす。
続けて魔源素ボールを形成し、毒コウモリを狙う。何匹かは最初の魔源素ボールに驚いて飛び回っているが、まだ天井にぶら下がっている奴もいる。
そいつを狙い魔源素ボールを命中させた。偶然にも二匹同時に命中。床に落ちてぐったりしている。無事な毒コウモリが甲高い鳴き声を上げ狂乱状態となっていた。
また別の魔源素ボールを形成する。使用した魔源素はどこからか充填されるようで、なくならないようだ。迷宮自体が魔源素の供給源なのかもしれない。
何度か的を外したが、七匹全部を撃ち落とした。消えてなくならないところをみると、死んではいないようなのでネイルロッドで止めを刺す。
全部倒しても毒コウモリが持つ真名は得られなかった。しかも、この小ドーム空間には金属鉱床はないようだ。
「はああ、骨折り損のくたびれ儲けか」
ただ魔源素ボールが毒コウモリに有効だと分かり、それだけが収穫だった。二階層の迷路をさまよい、別の小ドーム空間を発見した。
そこにはスライムが七匹、毒コウモリが五匹もいた。デニスは魔源素ボールで毒コウモリ、ネイルロッドでスライムを倒し安全を確保する。
早速、鉱床を探す。念入りに探した結果、スズの金属結晶を発見した。
「やった!」
デニスは小躍りするほど喜んだ。スズは亜鉛や銅よりも高価なのである。銅と混ぜることで青銅になるスズは、需要が多いのだ。
一〇キロほどを掘り出して戻ることにした。疲れた身体に鞭打ち、ベネショフの町に帰った。途中、雑貨屋に寄って主人のカスパルと交渉した。
「ほう、今度はスズですか……大銀貨一枚でどうでしょう?」
カスパルの顔から、その価格で買い取っても大きな儲けが出ると分かった。領民が儲けるのも、領主にとっては喜ばしいことだ。デニスは承知した。