scene:55 アメリアとハインツ
エグモントはカルロスとアメリアを呼んだ。
「ハインツ殿が、訓練に加わりたいそうだ。アメリアと地稽古をさせてくれ」
地稽古と言っているが、模擬剣や棒を使った試合である。こういう場合、真名術を使うことが許されているのが普通だった。
カルロスがハインツに目を向けた。
「ハインツ殿は、迷宮へ行かれたことがあるのでしょうか?」
「もちろんだ。『魔勁素』の真名は持っている」
真名の存在を確認することは礼儀に反するが、『魔勁素』だけは例外である。
ハインツが誇らしそうに告げたのを聞いて、カルロスは『魔勁素』しか持っていないのではないかと推測した。その場合だと、アメリアが他の真名を使えば勝負にならない。
アメリアが戦いに使える真名は、『魔勁素』『装甲』『雷撃』『敏速』の四つである。怪我をしないように『装甲』は使うとしても、『雷撃』は当然として『敏速』も禁止すべきだろう。
カルロスはアメリアに近寄り、小声で話しかける。
「アメリア様、これからハインツ様と地稽古をしてもらいますが、使う真名を『装甲』だけにしてもらえますか」
アメリアがきょとんとした顔になる。
「えっ、何で?」
「ハインツ様は、あまり真名を持っておられないようです。他の真名を使うと、地稽古にならないかもしれません」
ベネショフ領の兵士が行う地稽古は、デニスが教えた技を実戦で使えるようにすることが目標になっている。お互いに技を掛け合い、防ぐことで技を磨き上げるのだ。
「分かりました。でも、ハインツ殿の方が年上ですよね?」
「他の貴族家には、デニス様のような方がおられないのです」
カルロスはハインツが年上であるというハンデを、デニスの存在でなしにした。
『魔勁素』はハインツも持っているようなので、使用可である。そのことをアメリアに伝え、カルロスは二人を訓練場の中心へと連れてきた。
使用する武器は、棒である。ハインツは剣の長さに合わせたものを使い、アメリアは長巻に合わせた長さの棒を使う。アメリアの方が武器に関しては有利になるが、ハインツの方が年上で身体が大きい。当然のハンデだろう。
エグモントとヨルン男爵たちが、アメリアとハインツの周りに集まり楽しそうに見守っている。
「僕が勝ったら、次はデニス殿が相手をしてもらえますか」
ハインツは負けることなど考えていないようだ。
「いいだろう。しかし、アメリアは強いよ」
デニスの言葉をハインツは信じなかったようだ。
地稽古を休止した兵士たちもアメリアとハインツの二人を取り囲んだ。他家の貴族が来ることなど珍しいので、見物するつもりのようだ。
「始め!」
カルロスの号令で、地稽古が始まった。ハインツはハルトマン剛剣術を学んでいるようだ。棒を肩で担ぐように構えている。ハルトマン剛剣術の特徴的な構えだ。
先にハインツが動いた。一直線にアメリアへ向かって走り、袈裟懸けに棒を振り下ろす。アメリアが払うようにして軌道を変える。
アメリアに攻撃をいなされたことで、ハインツは本気になった。続けざまに斬撃を放ち、アメリアを追撃する。アメリアは宮坂流の足捌きを多用して、斬撃を躱し隙を窺う。
すべての攻撃を躱されたハインツは、少し頭に血が上っていた。結果、攻撃が荒くなる。大振りの攻撃を繰り出した時、アメリアが躱しながら足を引っ掛けた。
ハインツは転んで地面に倒れる。慌てて起き上がった顔には、怒りが浮かんでいた。
「こいつ!」
他家の子女をこいつ呼ばわりするなど、貴族の礼儀に反するのだが、我を忘れている。
見守っていたヨルン男爵が、舌打ちしそうになってやめた。
「素晴らしい。ここまで鍛えられているとは……」
男爵がエグモントに称賛の言葉を発した。
「私としては、武術よりも裁縫や料理などを学んで欲しいのですが、兄であるデニスの影響を強く受けてしまったようで困っています」
「ところで、お嬢さんは真名をいくつ持っていらっしゃるのかな?」
エグモントはヨルン男爵の顔をチラリと見た。国王ならともかく、貴族として爵位が一つ上だけの男爵の質問として失礼である。所有する真名については、尋ねないというのが礼儀だったからだ。但し、『魔勁素』は例外である。
だが、相手は客人だ。
「三つほど持っているはずです」
エグモントは少なめに答えた。二人が会話をしている間に、アメリアの反撃が始まる。
最初、アメリアは年上であるハインツを警戒して守りに徹していた。だが、攻撃を躱すうちにハインツの技量が酷く劣っていることに気づいた。
この技量だと迷宮のゴブリンさえ倒すのに苦労するだろう。それにハインツの使う剣術は形ばかりで術理が伴っていないと感じた。
構えや足捌き、体術などが、どうしてそうなのかを学んでいないので、応用が利かず攻撃パターンが単調になっている。
「デニス兄さんが、しつこいほど術理について説明したのは、理由があったんだ」
「何を言っている。真剣に戦え」
ハインツの言葉を聞いて、アメリアは終わらせることにした。
攻撃にフェイントを混ぜ始めたのだ。ゴブリンなどと戦う時に、有効な戦法だった。ハインツはフェイントに引っかかり防御が遅れて、胴に一発もらう。
「ぐっ……ま、まだまだ」
ハインツは身体だけは丈夫だった。しかし、ハインツの抵抗もそこまで。もう一度フェイントに引っかかって、アメリアの棒がハインツの首に当てられた。
「そこまで!」
カルロスの言葉で終わった。試合なら胴への一撃で終わっていたが、地稽古なので続けさせていたのだろう。
ハインツが泣き出しそうな顔で、アメリアを睨んでいる。
アメリアは逃げるようにしてフィーネとヤスミンのところへ行ってしまった。残ったハインツが男爵のところへとぼとぼと戻ってくる。
「ハインツ、まだまだだな。精進しなさい」
しょんぼりしたハインツが頷いた。
屋敷に戻った男爵たちは、塩田では聞きそびれた質問などをして過ごし、もう一泊した。
翌朝、男爵たちは、出されたパンを食べて少し驚く。傍にいたデニスに尋ねた。
「これは美味しいパンですな。何というパンです?」
「それはチーズペッパーパンです。特別な日に作っているパンですよ」
男爵はベネショフ領がミンメイ領より貧しいことを知っていた。
「おお、我らのために作ってくださったのか。感謝する」
「いえ、粗末なもてなししかできず、お恥ずかしい限りです」
ヨルン男爵たちは満足してベネショフ領を離れた。ユサラ川を渡る船の中で、男爵は無口な護衛に質問した。この男、ただの護衛兵ではなく男爵の従士長を務めるフェリクスだった。
「どうだ、ベネショフ領兵士の実力は?」
「ミヤサカ流という武術が、どんなものなのかは知りませんが、兵士たちは我が領軍より鍛えられています。それに真名術の研究が進んでいるようです」
「なぜだ。訓練では真名術を使っているようには、見えなかったぞ?」
「たぶん、防御の真名術を使っていたのでしょう。でなければ、あのような激しい訓練をすれば、怪我人が出ます」
男爵は眉間にシワを寄せ考える。
「ベネショフ領が危険な存在になると思うか?」
「エグモント様は、実直で真面目な性格だとお見受けしました。あの方が領主の間は大丈夫でしょう」
男爵は頼りにしている従士長の言葉に納得した。
「そうすると、デニスという若造が領主になった時が問題か。次の世代の話だな」
次期領主であるハインツの兄は病弱で、あまり期待されてはいなかった。男爵家では、次期領主はハインツになるだろうと噂されていた。
「フェリクス、ハインツを鍛え直せ。真名も後三つ以上取らせるのだ」
「承知いたしました」
ヨルン男爵の後、いくつかの領主がベネショフ塩田を見学したいと申し出て、エグモントたちは歓待した。どうやらヨルン男爵が噂を流したらしく、どの領主も兵士たちの訓練を見学したいと申し出た。
ヨルン男爵には見学させたのに、他の貴族はダメだと断ることもできず、見学を許した。その結果、ベネショフ領は警戒すべき領地と見做されたようだ。
デニスが兵士たちと一緒に訓練していた時、兵士たちに弱いふりをさせたらどうですとエグモントに提案してみた。エグモントが首を横に振る。
「馬鹿を言うな。カルロスたちに演技ができると思うか。こんな大根役者の演技を見て、貴族たちはどう思う」
デニスは兵士たちに視線を向けた。その兵士たちが一斉に顔を背ける。デニスは溜息を吐いて、その提案を諦めた。




