scene:53 アメリアと仲間たち
バラス領のヴィクトールは、部下の密偵からベネショフ領で騒ぎが起きたという報告を受け取った。
「ふん、網元と漁師が争ったくらいで報告するな」
「しかし、この騒ぎには次期領主が関わっているようです」
「何だと……あのガキが」
「はい、次期領主が若い漁師たちを先導して、網元に逆らわせたようです。網元は激怒しているようでした」
「ふん、まだまだ若いな。こういう時は網元を味方にして、騒ぎを収めるものだ。漁師どもなら、後から懐柔しても遅くない」
ヴィクトールの人心掌握術は、権力者を中心に組み立てられている。長年の経験から築き上げられた人心掌握術であるが、正義や倫理というものに何の考慮も払っていなかった。
ヴィクトールが不意にニヤリと笑った。
「ふむ、あいつの弱点は経験不足か」
不意にニヤつき始めたヴィクトールを見て、密偵が声をかけた。
「どうかされましたか?」
「ハルトマン兄妹と連絡がつくか?」
「えっ、あの兄妹とですか」
「そうだ」
ハルトマン兄妹は、この国の闇社会で有名な詐欺師である。密偵は主がハルトマン兄妹に何か依頼するつもりだと気づき、
「しかし、あの兄妹に依頼するには、金貨五〇枚は必要です」
「そのくらいは用意する」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
アメリアはフィーネとヤスミンを連れて岩山迷宮へ向かった。
「アメリア、今日は何をするんだ?」
フィーネが尋ねた。
「今日はね。唐辛子を採りに行く。ついでに野いちごとビワも」
「あんな辛いのを」
ヤスミンが不思議そうに言う。ヤスミンは辛いのが苦手だった。
「あれを粉にしたものを、スープにちょっとだけ入れると美味しくなるんだって」
「誰が言ったんだ?」
「デニス兄さんだよ。辛いのが好きなんだって」
迷宮に到着したアメリアたちは、一階層と二階層を素通りして三階層に向かった。三階層では赤目狼を長巻で撃退し、四階層へ下りる。
四階層の鎧トカゲは、雷撃球攻撃と喉への弱点攻撃で仕留めた。アメリアたちの攻撃は、鮮やかな手並みである。これだけの技量があるから、三人だけで迷宮へ行くことが許されているのだろう。
五階層のカーバンクルは、『装甲』の真名を使って雷撃球攻撃を防ぎ仕留めた。
五階層のボス部屋から六階層に下りたアメリアたちは、六階層で従士のゲレオンと兵士四人と会った。ゲレオンたちは訓練のためにきているようだ。
「ゲレオン、どんな訓練をしているの?」
アメリアが尋ねた。
「最近、デニス様が雷撃球攻撃の訓練をされているんですよ。それを見て、私たちも訓練しようと思って」
「でも、ゲレオンは雷撃球攻撃ができるじゃない」
「動きながら雷撃球を放つ訓練ですよ。デニス様は金剛棒で攻撃しながら雷撃球を放つ訓練をされていたんです」
「知らなかった。あたしにも教えてくれればいいのに」
「たぶんオーガを倒すために訓練されているんだと思いますよ」
「ふーん」
「デニス様は凄いですな。ランプの製作や塩田の拡張をされている合間に、訓練を続けておられたのですから」
それを聞いたアメリアは、誇らしげに頷いた。
アメリアたちはゲレオンと別れて、唐辛子が生えている場所へ向かう。
「アメリア、僕たちも雷撃球攻撃の訓練をしようよ」
「そうね。あたしたちも頑張ろう」
アメリアたちは唐辛子を採取し、帰りがけに野いちごとビワを集めて迷宮を出た。途中のハネス村で香辛料の加工を行っている村人に唐辛子を渡した。
ハネス村では、香辛料の加工を行うようになっていた。その素材となる唐辛子などは、アメリアたちや兵士たちが迷宮から持ち帰ったものである。
アメリアたちは唐辛子の代金をもらって三人で分けた。ここで作った香辛料は、クリュフ領やダリウス領へ持っていくと高額で売れるらしい。
ベネショフに戻ったアメリアたちは、教会へ行った。ここでは大勢の子供たちが働いている。教会が持つ農地で様々な作物を育てる手伝いをしているのだ。
「みんなー、お土産だよ」
アメリアが子供たちに呼びかけた。その声を聞いて、子供たちがわらわらと集まってくる。野いちごとビワを配ると歓声が上がった。
教会で働いている子供たちは、いつも暗い顔をしている。子供たちは孤児だからだ。そんな子供たちを知ったアメリアは、時々お土産を持って教会を訪れるようになった。
アメリアたちに、はっきりした理由があるわけではない。なんとなくそうしたいと思ったのだ。ただ子供たちの笑顔を見ると、どうして父親やデニスが頑張っているのか分かる気がした。
教会のシスターが挨拶に現れた。
「アメリア様、いつもありがとうございます」
アメリアたちは、照れたような表情を浮かべる。
ヤスミンが野いちごやビワを食べている子供たちを見ながら、シスターに尋ねた。
「これから先、この子たちはどうなるのです?」
シスターが厳しい顔になり、
「そうですね。ベネショフ領で仕事を見つけられなかったら、クリュフ領やダリウス領へ行くことになると思います」
その言葉に、ヤスミンはショックを受けたようだ。
「アメリア様、何とかならないの?」
「あたしには無理。デニス兄さんに頼んでみる」
アメリアは屋敷に戻って、教会の子供たちについて話した。
「ああ、教会の子供たちか。たぶん心配ないと思うよ」
「本当に」
「拡張した塩田やサンジュ林の管理で人を増やしたいからな。それに迷宮探索者の育成も始めようと思っているんだ」
「それなら、あたしも手伝える」
嬉しそうに声を上げたアメリアに、デニスは笑みを返した。
「そうだな。アメリアにも手伝ってもらうか」
デニスがいろいろと調査し手を打ち始めた頃、屋敷の修理が完了した。古くなった板壁が新しいものに変えられ、雨漏りしていた屋根は天然石を薄くスライスした天然スレートで部分的に張り替えて修繕した。
デニスの要望で作られた風呂は、お客様も使えるように男女別に作られた。防水モルタルと岩を使った岩風呂である。湯を沸かすのに鋳鉄製の風呂釜が設置されている。
この風呂を毎日沸かすようにデニスが使用人に頼むと、エグモントから贅沢ではないのかと言われた。
「父上、身体を汚くしていると病気になりやすいと言います。それに、臭い父親は娘たちから嫌われますよ」
「そ、そうなのか」
エグモントは風呂の件を承諾した。この風呂は家族だけでなく、使用人も使えるようにしたので、メイドのエルマたちにも好評だった。
ベネショフ領はユサラ川から用水路を引いて、生活用水として使っている。領民は豊富な水があるので、行水や沸かした湯で身体を拭くことが習慣になっている。
但し、その頻度は様々であるようだ。
デニスは銭湯のような公衆浴場を町や村に建てようかと思っているが、今は資金面の問題で難しい。
その日、デニスとエグモントが一番風呂に入った。エグモントがデニスの身体を見て、
「随分と逞しくなったな」
デニスの身体は引き締まり、背中と肩、腕の筋肉が盛り上がっている。
「鍛えていますから、父上も偶には鍛えたらどうです」
「お前が、本格的に領主の仕事を手伝うようになったら考えよう」
エグモントは書類処理が苦手なようで、書類のチェックや必要な書類作成に時間がかかっているようだ。
デニスが『後継者の誓の儀』を行ったのが、昨年の夏。一年間は自由にして良いという約束をもらっているので、今年の夏が来るまでは、自由にさせてもらうつもりだ。
四、五人が入れそうな湯船に浸かる。エグモントが満足そうな顔をした。
「ふうっ、風呂は気持ちいいな」
「そうでしょ。従士たちの家族にも利用してもらっているんですよ」
デニスは天井を見上げた。そこには小さな発光迷石ランプがある。この屋敷に貴族の客を迎えられる用意ができたようだ。
その翌々日、ミンメイ領のヨルン男爵がベネショフ塩田を見学したいと手紙を寄越した。エグモントは承知したという返事を使者に渡す。
一〇日後、ヨルン男爵がベネショフ領に来ることが決まった。




