scene:46 ベネショフ塩田
デニスは従来どおりの太陽と風だけに頼った塩作りだと、塩ができるまで数ヶ月から一年かかることを思い出した。昨年造成した塩田から塩ができるには早すぎる。
ベネショフ領でエグモントと二人で対策を練った時、国王に不正を疑われた場合は流下式塩田について公表し、王家に大きな功績だと評価させるのも一つの手だと話し合っていた。
デニスたちの背後で、貴族たちが聞き耳を立てているのが気配で分かった。国王の位置と貴族が座っている位置は、若干離れている。
国王による質疑に呼び出された貴族との会話は、前列の公爵・侯爵にしか聞き取れない微妙な位置になっていた。情報に関しても高位貴族は優遇されている。
「陛下、ベネショフ領は不正を働いているわけではございません」
「そうなのか。バラス領のヴィクトール準男爵が、塩田に関してベネショフ領で不審な動きがあると報告書に書いておったぞ」
エグモントはヴィクトールの顔を思い出し、あの顔を踏みつけたら気分がスーッとするだろうなと想像する。塩田に現れた不審者は、バラス領の者だったようだ。
エグモントはデニスに目で合図を送った。
「塩田については、次期領主である私から説明したいと思います。よろしいでしょうか?」
国王が強い意志の籠もった視線をデニスに向けて頷く。
「許す」
デニスは深々と頭を下げてから、説明を始めた。
「ベネショフ領の塩田は、従来の太陽と風だけで塩を作るものとは異なっております」
デニスがそう言った時、背後の高位貴族がざわざわと騒ぐ気配がした。
国王は鋭い視線を高位貴族たち向け黙らせる。
「ふむ、詳細を説明せよ」
デニスは持参した流下式塩田の図を広げて、国王へ見せた。
「これがベネショフ領の塩田でございます」
最初に太陽熱で海水の塩分濃度を上げる流下盤の役割や太陽と風によってもう一段濃度を上げる枝条架について図を使って説明し、最後に釜で水分を蒸発させ塩の結晶にすることを話した。
図を見ながら説明を聞いた国王は、流下式塩田の仕組みを理解した。但し、それは塩を作る方法であって、良質な塩を作る方法ではない。
良質の塩を作るには、かん水を煮る時の温度や濾過の方法、ニガリを除去するノウハウなどが必要なのだが、それは省略した。
高位貴族たちもデニスの説明を聞き、大体の仕組みを理解したはずだ。だが、図を見ていないので再現は難しいだろう。
「それがベネショフ塩田の秘密ということか」
「そうでございます、陛下」
「見事な仕組みである。そちが塩田一枚でよいと言った時、物を知らぬ小僧だと思ったが、知らなんだは余であった」
国王は完全に納得したようだ。
「そちたちは、ベネショフ塩田を広める気持ちはあるか?」
従来ある塩作りの方法だと、天候に大きく左右される。流下式塩田は天日塩田ほど天候の影響を受けないので、安定した塩作りが可能だった。
「陛下が広めよと仰せであれば、我々も協力を惜しまぬつもりです。ただ、この塩田の開発には、領民にも苦労をかけました。そのことを陛下も御承知ください」
デニスは苦労して開発した製塩方法を公開するのだから、褒美をくれと遠回しに言っているのだ。
「あい分かった。その功績に報いるつもりである。最後にベネショフ塩田一枚で年間にどれほどの塩が作れる?」
デニスは大体の数字を答えた。天日塩田の八倍ほどの塩が作れると知った国王は、満足そうに頷いた。
話を聞いた高位貴族たちも息を飲んだ。八倍という数字は馬鹿にできないものだったからだ。
デニスは持ってきた図を折り畳んで、国王へ献上した。
「新しい塩田の開発に成功したブリオネス家には、ベネショフ塩田をもう一枚分作る許可と金貨二〇〇枚を褒美として贈ることとする。今後も王国のために励むように」
話が聞こえた高位貴族たちが、驚きの表情を浮かべる。戦いの功績ではなく、新しいものを作ったという功績で塩田を許可するのは、初めてだったからだ。
デニスはこんなものだろうと満足した。
国王の質疑が終わり、デニスたちが元の席に戻る。高位貴族たちは、デニスとエグモントの顔を脳裏に焼き付けようと見詰めていた。
話が聞こえなかった伯爵以下の貴族は、何が起きたのか分からずストレスが溜まったようだ。
質疑の時間が終わり、休憩時間となった。その間に大広間の椅子の配置が変わる。玉座を中心に扇状に椅子が並べられた。それも貴族当主の分だけである。
国王と貴族当主だけによる国事を決める本会議が始まった。
デニスたち次期領主は、大広間から出され中庭で待機ということになっている。次期領主たちは仲の良い者が集まり話し始めた。
ここにいる貴族の子弟は、王立ゼルマン学院の卒業生である。学生時代に仲が良かった者が集まっているようだ。
その集まりの中から、一人の青年が抜け出しデニスのところへ歩み寄った。
「デニス殿、ちょっとよろしいか?」
見知らぬ青年から声をかけられたデニスは、慌て気味に答える。
「はい。失礼ですが……」
「ああ、クリュフ領の次期領主ランドルフだ」
デニスは侯爵の息子だと気づいて、丁寧に挨拶をした。
「まだ当主になったわけではないのだ。かしこまらなくてもいい」
「ありがとうございます」
ランドルフの友人らしい貴族の子弟も集まってきた。その中にはバラス領の次期領主もいる。この次期領主は、父親のヴィクトールを小型にしたような青年だった。
鼻デカ丸顔のヴィクトール二世は、デニスを睨むように見ていた。デニスは無視してランドルフの相手をする。
「ベネショフ塩田の件は聞いたよ。凄いじゃないか」
「領民が協力してくれたおかげです」
塩田を造成する時、多くの領民が手伝ってくれたのは本当である。そのことについては感謝していた。
「ランドルフ様、ベネショフ塩田というのは何ですか?」
クリュフ領の北にあるポルム領のリヒャルトが尋ねた。
ランドルフが、ベネショフ領で開発された新しい製塩方法だと教え、国王から褒美をもらったことも伝えた。
ヴィクトール二世のカミルが舌打ちをした。
「へえ、凄いじゃないか」
リヒャルトは素直に感心してくれたようだ。ランドルフたちの会話を聞いた次期領主の何人かは、デニスに祝福の言葉を贈ってくれた。
「皆さん、ありがとうございます」
今までベネショフ領は何も注目されない田舎だったので、デニスとしては非常に嬉しかった。
「ところで、本会議で何が話し合われているか、知っていますか?」
デニスがランドルフに尋ねた。ランドルフは頷き、
「綿問題だよ」
五年前、西の隣国ヌオラ共和国とゼルマン王国の間で戦いが起きた。原因は、ヌオラ共和国で重税に苦しめられた農民がゼルマン王国へ逃げてきたことなので、ゼルマン王国に非はなかった。
その戦いでゼルマン王国は勝利した。当然の権利として、ゼルマン王国は領地か賠償金を要求した。ヌオラ共和国は二〇年に渡って賠償金を支払うことを約束。
だが、途中で現金ではなく物納すると言い出し、ヌオラ共和国の特産物である綿で支払うようになった。問題は、その綿がゼルマン王国内でだぶつき始めたという点だ。
リヒャルトは面白くもないという表情をして、
「何だ、そんなことか。綿が余っているのなら、他国へ売ればいいじゃないですか」
「その他国にも、ヌオラ共和国が綿を売っているんだ。よほど値引きしないと売れないそうだ」
王国では、綿を売った代金を道路整備の資金として使っている。値引きすれば道路整備の資金が減ることになる。
ランドルフが綿の交易の難しさを教えると、カミルが鼻で笑う。
「だったら、糸や布をたくさん作ったらいいんじゃないのか。糸や布は不足していると聞いてますよ」
カミルのいうことは正しい。だが、綿から糸を作り、その糸で布を織るには、大変な労力と時間がかかる。簡単に大量生産できるものではなかった。
デニスは『産業革命』という言葉を思い出した。ゼルマン王国の言葉ではない。雅也の住む日本の言葉だ。
雅也の世界の歴史では、産業革命は多くの優秀な発明家や事業家、科学者によってなされたものだそうだ。この国にそんな人材がいるのだろうか。
そこで、ふと雅也の存在を思い出した。雅也の手を借りれば、糸の生産を増やしたり、布の生産効率を上げることは難しくないのでは、と気づいたのだ。
本格的な産業革命は無理でも、産業の一部だけに革命を起こすことは可能だと思い始める。




