scene:45 王都の御前総会
デニスには、どうすれば歌が上手くなるのか分からなかった。こういうことは、日本の雅也に任せた方が上手くいくと判断したデニスは、雅也に頼んだ。
御前総会に出席するために、王都へ向かう時期が近づいた頃。
塩田を警備している兵士から、不審な男が塩田に侵入しようとした、と報告があった。兵士が捕らえようとしたが、その不審者には逃げられたという。
報告を聞いたデニスは、エグモントと相談した。
「父上、何者だと思います?」
「そうだな。王家の密偵か、バラス領の者かもしれん」
「なぜ、王家の密偵だと?」
「ベネショフに出された許可は、塩田一枚だけだ。我々がそれを守っているか確認したいのかもしれん」
「なるほど、バラス領は?」
「いつものことだ。我々が何かしようとすると、密偵を出して探らせる」
ベネショフ領に存在する塩田は、この国では画期的な流下式塩田である。釜で煮詰める工程があるので、燃料となる薪などが必要だが、短時間に塩を作れるので、従来の太陽と風にだけ頼った製塩方法よりは大量に作れる。
デニスとエグモントは、流下式塩田をベネショフ領だけのものとして隠しておきたかった。この方式は他領でも知りたがるだろう。取引の材料になると考えていた。
二人は密偵が王家とバラス領のどちらであっても対処できるように策を練った。同時に、塩田の警備を厳重にして、密偵が流下式塩田の秘密を盗み出せないようにした。
旅の準備を終え、デニスとエグモントは王都へ旅立った。随伴するのは若い兵士のクリストフとゲレオンだけである。高位の貴族ともなると、数十人という随伴者がいるのだが、貧しいベネショフ領は二人が精一杯だ。
数日が経過しミンメイ領を通り過ぎ、ダリウス領との領境となるイフラ河まで来た。ウルダリウス公爵家の支配地であるダリウス領に入るには、イフラ河を渡し船で渡り厳重な関所を通過しなければならない。
ゲレオンが前方を見て声を上げた。
「エグモント様、だいぶ混んでいるようです」
渡し場には、渡し船を待っている人々が列を作っていた。
御前総会の時期になると大勢の人々が各地から集まってくる。王都に集まる貴族を目当てに旅してくる商人もいれば、各地の特産品や名物が集まる王都春市も開かれるので、それを目的として王都に集まる人々もいる。
「どけどけ!」
並んでいる人々を無視して、前に割り込んだ者がいた。貴族の一行のようだ。この世界では貴族が何事にも優先されるので、貴族なら割り込みを許される。
エグモントのように、おとなしく列の後ろに並ぶ貴族は珍しい。その貴族は、ミンメイ領の領主であるヨルン・ビリョ・オゥミンメイのようだ。随伴者が一〇人ほどいる。
オゥミンメイは男爵家である。海岸沿いにある領地は、農地としては不向きな土地だ。そのためだろうか、ヴァインという果物を特産品として育てている。
ヴァインは白ブドウに似た果物で、ヴァイン酒の原料になる。ヴァイン酒は高級な酒として、王都で好まれているようだ。
「エグモント様、我々も割り込みましょうか?」
クリストフがエグモントに進言した。だが、エグモントは拒否するように首を振る。
「やめておけ。随行者が二人だけと知られるとベネショフ領が、下に見られる」
「ですが、ミンメイ領といえば、ダミアン匪賊団にいいように荒らされた領地じゃないですか。武力なら我々の方が……」
エグモントが溜息を吐いた。
「ベネショフの兵士は、従士を含めても四〇人ほど。一方ミンメイ領は、二〇〇人以上いるはずだ」
「数がいても、一人ひとりが弱ければ、意味がありませんよ」
エグモントが困ったような顔をしたのに気づいたゲレオンが、若いクリストフを叱る。
「増長するな。ミンメイの兵士は、一年前の私たちと同じだ。彼らも鍛えたら、すぐに我々と同じほど強くなる」
叱られたクリストフが「申しわけありません」と謝った。
しばらく待って、渡し船で向こう岸に渡った。先に渡ったミンメイ領の一行は、先に関所を通過したようだ。その関所で騒ぎが起きた。
旅人を調べていた役人の一人が、三人組の男たちの荷物から禁制品を見つけたのだ。兵士たちは男たちを捕まえようとした。だが、彼らは手強かった。
兵士に反撃を食らわせ、デニスたちの方へ逃げてきた。デニスが声を上げる。
「戦闘準備!」
ゲレオンたちが荷物を放り投げ、長巻に手をかける。
「あいつらは武器を持っていない。取り押さえろ!」
エグモントが怒鳴るように命じた。ゲレオンたちは、デニスから宮坂流の技をいくつか教えてもらっている。なのに、兵士たちが頻繁に使うようになったのは、一回だけデニスが冗談で使ったラリアットだった。
『装甲』の真名を解放し装甲膜を展開した状態でラリアットを放つと、相手が薙ぎ払われたように倒れるので、そこが気に入ったようだ。
ゲレオンたちは、自分から踏み込みラリアットで薙ぎ払って倒した。デニスは相手のパンチをぎりぎりで躱し、死角からカウンターパンチを顎に叩き込み、動きが止まったところを投げた。
駆けつけたダリウス領の兵士が、倒れた男たちを取り押さえる。役人がデニスたちのところへ来て礼を言った。
「おおっ、あなた方はエグモント準男爵の一行でしたか。道理で強いはずです」
役人はベネショフの領主一行だと分かると、すぐに通過の許可を出した。
デニスたちが通り過ぎた後、捕まった男たちが関所内にある一室に連行された。
その部屋に、ダリウスの領主であるバルツァー公爵が待っていた。
連れてこられた男たちが、公爵を見て深々と頭を垂れる。
「ベネショフ領の兵士の腕は、どうであった?」
「はい。よく訓練された動きをしておりました」
ゲレオンに倒された男が告げた。
「そちはどうだ?」
クリストフに倒された男は、軽く頭を下げて、
「真名術を使っていたようです。身体に当たった腕が鋼のように感じられました」
「どんな真名術だ?」
「推測ですが、皮膚を固くするか、装甲のようなもので覆う真名術ではないかと思われます」
「なるほど。剣や槍では簡単に倒せないということか。強敵だな」
公爵は最後にデニスが倒した男に尋ねた。
「顔が腫れておるぞ。大丈夫なのか?」
「一応『頑強』の真名を持っておりますので、大丈夫です」
「『頑強』の真名を持っているそなたに、そこまで強烈なダメージを与えたか……ベネショフの次期領主は、凄まじい腕前のようだな」
「私のパンチを躱された時点までは、意識があったのです。ですが、次の瞬間に意識が飛びました。どんな攻撃を食らったのかも分かりません」
関所での騒ぎは、バルツァー公爵が仕掛けた芝居だったようだ。ベネショフ領兵士の技量を確かめたかったらしい。
「前に一度、ミンメイ領兵士に仕掛けたことがあったであろう。あれと比べてどうだ?」
顔が腫れている男が、笑おうとして顔をしかめた。
「ミンメイ領兵士など話になりません。わざと捕まるのに苦労したほどです」
「なるほど、ベネショフ領の動きには注意した方がいいようだな。お前たちは休め、傷を治して任務に復帰しろ」
「承知いたしました」
三人は部屋を出ていった。
残った公爵は、別の部下にデニスたちの動きを報告するように命じた。
一方、関所を出たデニスたちは、セシェル領を経由して、王都に入った。王都では、親戚となったグスタフ男爵家に泊まる予定になっている。
「やはり、王都にも屋敷が欲しいですね」
親戚とはいえ、他人の屋敷では寛げないと思ったデニスがポツリと言った。エグモントが息子の顔を見て、
「我が家には、まだまだ贅沢だ。そういうことは借金を返し終わってから言うんだな」
金貨二〇〇〇枚は、容易なことでは返せない金額だった。このままサンジュ油の利益で返済するだけでは一〇年かかる。
御前総会が始まった。エグモントとデニスは、ベネショフ領の領主と次期領主として出席する。場所は、白鳥城の大広間である。
式典やダンスパーティーが行われる大広間に、多数の椅子が並べられ貴族たちが座っていた。前列は公爵や侯爵などの高位貴族、中列は伯爵や子爵など。そして、後列に男爵や準男爵が座っている。
デニスたちの席は一番後ろである。一日目は儀式のようなものだ。国王に挨拶し、領地の一年間を報告する書類を提出する。
豊かな領地は書類の枚数が多くなるという傾向にあるようだ。ベネショフ領の報告書は悲しいくらい枚数が少ない。
二日目、役人が目を通した報告書の中で確かめなけれなならないことがあった場合、名前を呼ばれて国王の質問を受けることになる。
ベネショフ領は六年ほど名前を呼ばれていないそうだ。
「ベネショフ領エグモント殿、前へ」
エグモントの名前が呼ばれた。デニスも一緒に国王の前に行く。突然、喉がからからに乾いているのを感じた。緊張しているようだ。
国王からの質問は、岩山迷宮の件だった。
「エグモントよ。そちの報告にあった岩山迷宮だが、本当に昨年六階層が発見されたのか?」
エグモントは肯定し、詳細はデニスに報告させた。
「なるほど、六階層は調査中ということで間違いないのだな」
「そうでございます、陛下」
国王は岩山迷宮については納得したようだ。質疑は塩田についてに移った。
「余は、ダミアン匪賊団を退治した功績により、ベネショフ領に塩田一枚を造る許可を出した。なぜ塩を販売しておる。早すぎるではないか?」
国王は塩田の許可を取る前から塩作りをしていたのではないか、と疑いを持ったらしい。




