scene:40 地球のスライム
雅也は建設会社に勤務していた時に知り合った小さな鉄工所の社長に仕事を頼んだ。ネイルロッドの製作である。既製品で使えるものはないか探したのだが、見付からなかったのだ。
鉄工所の社長は、一週間ほどで完成するだろうと、引き受けてくれた。そこで神原教授と小雪に、スライムと戦ってもらう場所を探した。
人目につかず、十分な広さがある場所が必要だ。マナテクノの中園専務に使っていない倉庫のような建物はないか訊いてみると、物部グループの食品工場近くにある倉庫が使えそうだと分かったので確かめ、一週間ほど借りる契約をする。
一週間も借りたのは、まず『召喚(スライム)』の真名術を使えるようになる必要があったからだ。教授たちの目的は『魔勁素』の真名を手に入れることなので、スライムを召喚した後、スライムが電気ショック攻撃をしないように制御する必要がある。
高齢の神原教授が電気ショック攻撃を受ければ、ポックリ逝きそうだ。そういう危険を感じた雅也は、スライムを制御する必要があると思ったのだ。
但し、召喚した魔物を完全な制御下に置くということは、長期の訓練が必要である。雅也は、最初から完全な制御など諦め部分制御で十分だと判断した。
雅也が借りた倉庫は、横一五メートル、縦二〇メートルほどの広さがあった。中はコンクリートで固められた床と天井の照明だけ。
「殺風景な場所だな。まあ、その方が都合がいい」
雅也はスライムを召喚するために精神を集中する。大気中から魔源素を集め真力に変換し、そのエネルギーを使ってスライムを召喚。
何もなかった場所に、緑色のゲル状生物が現れた。ゆらゆらと揺れながら床を進むスライムは、何らかの方法で敵を感知するらしく、雅也に向かってくる。
魔物の行動を制限するという作業は、言葉で言い表せない新しい概念を含むものである。スライムと繋がっている制御線から原始的な魔物の感情が伝わってくる。
雅也は制御線を介して電気ショック攻撃の能力を封印する。封印に成功するまで、三日が必要だった。
その翌日、神原教授と小雪を倉庫に案内した。小雪の飼い犬であるコハクも一緒だ。倉庫に入って照明のスイッチを入れる。
「コハクも一緒なの?」
雅也が小雪に尋ねた。
「おとなしくするように言えば、ジッとしてますから大丈夫ですよ」
小雪が断言したので、コハクも倉庫に入れる。神原教授と小雪に、鉄工所で作ってもらったネイルロッドを渡す。これで叩けばウサギくらい瞬殺できるような凶悪なものに仕上がっていた。
「こんな倉庫を借りる必要があったのかね?」
教授が疑問を口にした。雅也は頷き、
「もちろんです。アーマードボアの一件以来、人々は奇妙な生物に神経質になっています。スライムを見られたら、確実に一一〇番されますよ」
アーマードボアと雅也が戦った映像は、繰り返し何度もテレビで放送された。そして、アーマードボアが一人の真名能力者が召喚したものだと知られると、他にもいるんじゃないかと警戒するようになったのだ。
普通のイノシシやちょっと変わった生物を見た者が、警察に通報することが多くなったそうだ。
ちなみに、雅也は『ゴーグルマン』とか『キャプテン・ゴーグル』とか変なあだ名を付けられ、有名人となっていた。子供たちの中には、ゴーグルを欲しがる者が増え、ちょっとしたブームになっている。
「さて、始めようか。スライムを頼む」
教授の合図で、雅也はスライムを召喚する。一匹を召喚し電気ショック攻撃の能力を封印。そして、次のスライムを召喚する。
教授と小雪は、ネイルロッドでスライムを攻撃。教授は何かの作業のように淡々とスライムを仕留めていたが、小雪は腰が引けている。
スライムが足元まで近づくと悲鳴を上げて飛び退いている。それを見ていたコハクが落ち着きをなくした。とうとう唸り声を発して、スライムに飛びかかる。
前足でスライムを押さえ噛み付く。スライムの核に牙が貫通すると、塵となって消えた。コハクは面白いと感じたらしい。次々にスライムを襲い仕留めていく。
雅也がスライムの召喚をやめ、コハクを押さえた頃には、五匹のスライムを仕留めていた。
「ダメじゃないか。小雪さんにおとなしくしていろと命令されただろ」
叱られたコハクがしょんぼりとする。犬は二〇〇くらいの単語を覚え、三歳児くらいの知能を持つと言われている。
小雪に躾けられたコハクは、簡単な命令を理解し守ることができるようになっていた。スライムに飛びかかったのは、小雪が危ないと思ったからだろう。
コハクをおとなしくさせてから、召喚を再開。小雪は自分が怖がりながらスライムを攻撃しているので、コハクが飛び出したのだと推測し、覚悟を決めスライムと戦い始めた。
何度か休憩を挟みながら訓練を続け、教授・小雪の順番で『魔勁素』の真名を取得した。その日は、それで終了し翌日からは、魔勁素の体内循環と身体強化の訓練を始めた。
驚いたことに、コハクも『魔勁素』の真名を手に入れたようだ。小雪が朝の散歩の時に気づいたのだが、コハクのリードを引っ張る力が異常に強くなっているらしい。
コハクは野生の勘か何かは分からないが、魔勁素の体内循環方法をすでに知っていた。それも異世界で知られている一般的な方法より効率的な方法を分かっているようだ。
神原教授はコハクがどういうような身体強化を行っているか、調べる方法を研究すると告げた。
無事に教授たちの真名取得を終えた雅也は、数日間で溜まっている探偵の仕事を片付けた。資金もあるので設計事務所を立ち上げても良いのだが、マナテクノのこともあるので迷っていた。
探偵は一時的なものだと割り切っていた。辞めるのは問題ない。だが、今になると設計事務所も何か違うと感じ始めていた。
何かもっと心躍るような仕事をしたいと考えるようになったのだ。神原教授が月へ行こうと我武者羅に頑張っている姿を見ると、自分の人生がつまらないものに思えてくる。
そんな時に、特殊人材活用課の黒部から連絡があった。夕方の五時に会う約束をする。何か話があるらしい。探偵事務所を早めに出て、約束の場所へ向かう。
場所は駅前にあるギルド支部だ。雅也がギルド支部に入ると、黒部が待っていた。そのまま応接室へ向かう。
「お呼び立てして、すみません」
「いえ、構いませんよ」
雅也は用件を尋ねた。
「実は、アメリカからブランドン上級顧問が来日します」
雅也はブランドン上級顧問という名前を知らなかった。
「それが、どうしたんです?」
「日本にいる真名能力者に会いたいそうなんですよ」
雅也は鋭い視線を黒部に向けた。
「アーマードボアを倒したのが、俺だとは言っていないんだよね?」
「もちろんです」
「だったら、なぜ俺に声をかけるんです?」
「すみません。言い忘れましたが、声をかけたのは君だけではないのです」
「どういうこと?」
「私の上司である京極審議官が、何人かの真名能力者から選びたいと言うのです」
「俺は辞退しますよ」
「いや、辞退するのは、やめた方がいい。こういうことを言うのも嫌なんですが、京極審議官は問題のある人なのです。断れば、必ず根に持ちます」
黒部が力強く断言した。
「何で、そんな人が出世しているんです?」
「そういう人だから出世したのです。出世の邪魔になる者は、どんな手を使ってでも排除するというのが信条だそうです」
「正直言うと、そんな人とは遭いたくないんだが」
「私も遭いたくありませんでした」
「ブランドン上級顧問というのは、どんな人?」
「アメリカのリッカートン大統領が信頼している優秀な人物らしい。アメリカのクールドリーマー問題を統括しています」
「ふーん、面倒そうな人だ」
黒部から頼まれてから三日後、選考会のある東京に雅也は向かった。選考会が行われる場所は、自衛隊の市ヶ谷駐屯地である。
東京駅で待ち合わせをして、マイクロバスで市ヶ谷駐屯地に向かう。バスの中には真名能力者らしき人物が、六人ほど乗っている。
駐屯地に入ると黒部と京極審議官が待ち構えていた。
「選ばれた者には、アメリカのブランドン上級顧問と知遇を得るというチャンスが手に入る。精一杯頑張ってくれ」
京極審議官は、ヒキガエルに似た人物で、何となく不快な気分になった。




