scene:39 迷宮の管理
エグモントの真名取得は順調に進んだ。一階層で『魔勁素』を取得した後、町に戻ったエグモントは魔勁素を体内で循環させ身体強化するやり方を学んだ。
翌日も迷宮へ行き、一階層でデニスが召喚したカーバンクルを倒して『雷撃』を手に入れ、二階層で毒コウモリを相手に雷撃球攻撃の練習を行う。
二階層は雷撃球の練習だけで終わり、三階層へ下りた。赤目狼を雷撃球と身体強化を使って倒し、四階層へ向かう。鎧トカゲから真名を手に入れるのに数日かかったが、無事に『装甲』を手に入れた。
エグモントが六階層をみたいというので、デニスは五階層のボス部屋へ案内する。扉の前まで行き、フィーネとヤスミンに扉を開けるように頼んだ。
「はい」「いいぜ」
二人は返事をして、扉の取っ手に手をかけ協力して扉を開ける。
エグモントの目の前に、迷宮とは思えない景色が広がった。
「こ、これが……聞いてはいたが、ここまでの迷宮とは次元が違う広さだな」
「下りてみますか?」
「いや、必要な真名は手に入った。仕事が溜まっているので帰ろう」
エグモントは思っていたより広大な六階層を見て、迷宮を領地経営に活用するには大勢の迷宮探索者が必要だと気づいた。
「迷宮で活躍する人材をどうやって育てるか……時間がかかりそうだな」
「人材はじっくりと育てればいいんじゃないかな。それより、ベネショフ領には何か特産品が必要だと思う」
エグモントが真剣な顔になり考える。
「特産品か……サンジュ油ではダメなのか?」
「サンジュ油は、それほど大きな産業にはならないと思う。収穫できるサンジュの種子の量を増やすのが難しいから」
「だったら、何を?」
「まだ分からない。けど、世の中で不足しているものを作るような産業を考えているんだ」
「油があるのだから、石鹸とかはどうだ?」
デニスは石鹸について検討していた。この国の石鹸産業は原始的なもので、供給量も少ない。参入すれば、利益は出るだろう。ただ各地で作られている石鹸より品質が良く安価なものでなければトップに立つことは難しい。
サンジュ油は比較的高価な油なので、安価な石鹸を作るのは無理だろう。すると、高品質で高価な石鹸で勝負することになる。
品質を高め香料などを工夫すれば、売れる商品を作れる。雅也に調べてもらうのもいいかもしれない。
「石鹸か。候補の一つとして挙げておきます」
デニスたちが四階層に戻った時、先の方で誰かが戦っている気配がした。エグモントと顔を見合わせたデニスは、気配のする方向へ進んだ。
前方から声が聞こえる。
「何をしている。囲んで仕留めろ」
「ホルガー隊長、こいつには剣が効きません」
「戦斧を持ってくりゃ良かった」
「うわーっ、もう一匹来た」
鎧トカゲと男たちが戦っていた。デニスには見覚えのない奴らである。
戦っている男たちを見て、エグモントは目を吊り上げた。
「あれは……バラス領の兵士」
エグモントは、戦っている男たちの何人かに見覚えがあったようだ。
「ヴィクトールめ、この岩山迷宮はベネショフ領が管理しているもの。私の許可が必要なことは知っているはずだ」
「抗議しましょう」
デニスが抗議することを提案すると、
「……いや、私にも迷宮をキチンと管理していなかったという落ち度がある。満足に管理されていないのは、管理する気がないのだから、許可など取る必要がない、とヴィクトールは言い返すだろう」
エグモントは、長年の付き合いからヴィクトールが言い返しそうなことを予想した。問題のすり替えだと、デニスは思う。ちゃんと管理されていなくても許可なく立ち入るべきではないのだ。
だが、真っ当な意見を受け付けない奴もいる。ヴィクトールは相手の不備を突き、理屈が通らなくとも自らを正当化する。
「抗議は別途考えるとして、奴らはなぜここに?」
「さあな……もしかすると、ここの六階層を確かめに来たのか?」
「いえ、六階層の存在を知っている者には、口止めしてある。漏れるはずがないんだ」
デニスは六階層で採取した香辛料や果物のことが頭に浮かんだ。それらを売るには、六階層の存在を公表しなければならない。
「何を考えている?」
エグモントの質問に、デニスが、
「六階層の存在は公表するんでしょ。領主には国に報告する義務があると聞きました」
「ああ、春に開かれる御前総会において、報告せねばならん。だが、それは来年だ。それまでに迷宮の管理を確立する必要がある」
デニスとエグモントが話をしている間にも、戦いは続いていた。迷宮において、他の集団が戦っている状況に遭遇した場合、救援要請がない限り不干渉を通すのがルールである。
デニスたちは隠れて、戦いを見守った。バラス領の連中は、鎧トカゲの弱点を知らないようだ。剣では歯が立たず、噛みつかれ爪で引っ掻かれて血を流す。
「ねえ、デニス兄さん。助けないでいいの?」
アメリアが心配そうに声を上げた。
「そうだな。全滅しそうになったら助けるけど……たぶん、そろそろ逃げ出すと思うよ」
デニスの言葉通り、男たちは逃げ出した。
「カルロスに、歩哨を立てるように言わねばならんな」
「警備小屋と門も必要かな」
エグモントが深い溜息を吐いた。まだ借金が残っているのに、また出費が増えると考えているのだろう。
「我々も帰ろう」
デニスたちはベネショフの町に戻った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
一方、鎧トカゲに撃退されたバラス領の兵士は、ユサラ川を渡ってバラスに帰還した。帰ってきた兵士たちを迎えたヴィクトールは、不機嫌な顔になる。
「どういうことだ。全員が負傷しておるではないか」
「申し訳ありません。四階層まで下りたのですが、鎧トカゲに力及ばず……」
ヴィクトールが従士であるホルガーを睨みつける。その目線の先にいるホルガーは、左腕の骨が折れ、顔に大きな傷が付いている。
「それで……手に入れた真名は何だ?」
「『魔勁素』は全員、『超音波』と『嗅覚』が一人ずつです」
「ふん、役に立ちそうなのは『魔勁素』だけか。これなら影の森迷宮の方がマシだった」
ヴィクトールはマヌエルを呼んだ。マヌエルが現れると、厳しい口調で命令を口にする。
「何でもいい。ベネショフ領の弱みを手に入れろ。特に塩田を調べろ。ちょっとでも広い塩田を作っていたなら、弱みになる」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その頃、聖谷雅也は神原教授に振り回されていた。動真力機関を発明した教授は、日本の誇る自動車メーカートンダ自動車、自衛隊と関係の深い川菱重工と組んで新型の乗り物を開発すると発表。
大企業と組んで大きなプロジェクトを行うには、研究所兼魔源素販売会社『マナテクノ』という会社の規模が小さすぎた。
仕方なく物部冬彦の父親である貴文を頼ることにした。知り合いの中で頼りになりそうなのが、貴文しかいなかったのだ。
冬彦は小さな探偵事務所の所長にすぎないが、貴文は食料品関連の様々な企業を統括する物部グループの会長だ。事情を聞くと物部グループから優秀な人材を十数人ほど派遣してくれた。
その代わり、五パーセントほどマナテクノの株を譲ることになった。冬彦とは違い貴文は、企業家として大物だ。その大物を五パーセントの株で味方につけたのだから、安い買い物だと教授は言う。
物部グループから補充された人材は、経理や法務、総務などの管理部門の人材である。その中で一番優秀だと言われた中園善治を専務にして、会社として必要な事務は中園専務に任せることになった。
ちなみに社長は神原教授である。雅也は教授に社長なんか務まるのかと思ったが、中園専務がサポートするので大丈夫らしい。
雅也は神原邸に呼ばれて、夕食を一緒に食べることになった。
「教授、こんなに急ぐ必要はなかったんじゃないですか。もっとゆっくりと研究を進めた方が安全で確実だと思いますけど」
教授は雅也の意見を否定した。
「何を言っておる。儂の目標は、月なのだぞ。ゆっくりしておったら、月に行く前に棺桶に入ってしまう」
教授は二大企業と組んで行うプロジェクトで、動真力機関を完璧なものに仕上げ、次のステップである宇宙船開発に繋げるつもりらしい。
「教授の壮大な計画は分かりましたけど、本当に上手くいくんですか?」
「失敗を恐れては、何もできんよ。それより、『召喚(スライム)』の真名を手に入れたそうだね?」
「はい。でも、考えたんですけど、この真名の存在が漏れると大騒ぎになると思うんですよ」
「まあ、そうだろうな」
「小雪さんと教授だけの秘密にして欲しいんですが」
「それは承知した。その代わり、『魔勁素』の真名が欲しいのだ」
「研究に必要なんですか?」
神原教授は真剣な顔で頷いた。
「魔勁素を感じ取れるようになれば、魔源素についても理解しやすくなると考えている」
そこに小雪が料理を運んできた。
「私も『魔勁素』の真名が欲しい」
『魔勁素』だけなら、目立つ真名術もないので、秘密がバレる恐れはないだろう。雅也は承知した。




