scene:31 日本政府の使者
ファングボアを倒した雅也は、逃げるように立ち去った。探偵事務所に戻りシャワーを浴びて、ベッドに横になった時、これで騒動は終わったと考えた。
だが、世の中甘くはなかった。防犯カメラに雅也がファングボアを倒した様子が記録されていた。それを分析した警察は、雅也の住所を探し出し訪ねてきた。
探偵事務所を訪れた刑事二人は、冬彦に警察手帳を見せた。
「聖谷雅也さんに話があって来ました」
冬彦は雅也の方に顔を向け、
「先輩、何をやったんです。痴漢ですか?」
「どういう意味だ。俺が痴漢をするような人間に見えるのか」
「いえ……でも、人間誰しも出来心とか、魔が差すということがあります」
「チッ、後でとことん話し合うからな」
雅也は刑事に顔を向け、
「それで刑事さん、何の御用でしょうか?」
刑事たちに会わせたい人物がいると言われ、雅也は同行した。刑事に連れて行かれたのは、ドリーマーギルドの支部だった。
雅也はクールドリーマーだということがバレたと分かった。刑事が会わせたいと言った人物は、ギルドの設立と運営を支援するために作られた内閣府の部署を統括する人物らしい。
「特殊人材活用課の黒部です」
黒部は四〇代前半、ちょっと疲れた感じがする人物だった。
「聖谷さん、これを見て頂けませんか」
黒部が見せたのは、ファングボアと雅也が戦っている様子を撮影したものだった。
「このイノシシを倒したのが、聖谷さんだというのは分かっています。問題はプラスチック製の箒で、どうやってイノシシを倒したかです」
「警官が命中させた銃弾が効いたんじゃないですか?」
「その可能性がまったくないとは言いませんが、動画を見る限り可能性は低いでしょう」
黒部が雅也に鋭い視線を向け、淡々とした口調で告げた。
「あなたは魔源素を研究されている神原氏と親しいようですね。いろいろ調査した結果、あなたがクールドリーマーであり、真名能力者であると判断しました」
嫌な展開になったと雅也は思った。その時、神原教授の言葉を思い出す。堂々としていればいいという言葉だ。
「そうだ。俺はクールドリーマーだ。それがどうした」
「なぜギルドに登録しないのです?」
「登録は義務じゃない。そうだろう?」
「ええ、義務ではありません。ですが、政府はクールドリーマーの存在を把握したいと考えています。ご協力をお願いします」
「国の政策に逆らってもメリットはない。ギルドには登録する。だが、人体実験や変な調査には協力しないぞ」
ギルドに登録すると、調査という名目で細胞レベルで身体を調べられるとか、真名術の調査に長時間付き合わされるという噂が流れていた。
「ありがとうございます。ところで、あなたはどんな真名を持っているのです?」
「直球で聞くんですね」
「腹の探り合いは、時間の無駄です」
「『超音波』ですよ」
黒部が首を傾げた。
「『超音波』……他にも同じ真名を持つ真名能力者がいます。ですが、その真名が武器になるとは知りませんでした」
「使い方次第ですよ。ノウハウは秘密です」
「なるほど。他の真名は?」
「他は、スライムを倒して手に入れたものだけです」
黒部が雅也の目を見詰めた。
「黒部さん……そんなに見詰めても、恋は芽生えませんよ」
その言葉で疲れた顔をする役人が笑った。
「愉快な人だ。ところで、あなたが倒したイノシシは、なぜ消えたのです?」
「分かりません。ただ同じように消える存在は知っています」
「ほう、お聞きしてもいいですか?」
「迷宮にいる魔物です」
黒部が顔をしかめた。だが、それほど驚いた様子はない。ある程度予想していたのだろう。
「魔物の種類は分かりますか?」
「本で読んだことがあるだけですが、ファングボアだと思います」
「どうやって、日本に現れたのか。知っていますか?」
「いえ、分かりません」
「推測でも構いませんよ」
「真名には、召喚系があります。『召喚(ファングボア)』の真名を持つ真名能力者がいるのかもしれません」
黒部が深刻な顔で考え込む。黒部が考えている間、ギルドの事務員のような人が来て、登録をした。
「聖谷さん、今後真名能力者が起こす事件が発生した時、アドバイザーとして協力してもらえませんか?」
雅也は考えてから口を開いた。
「俺は探偵なんで、その業務の一環としてなら引き受けます」
要するに、無料じゃ嫌だと言ってみた。
「いいでしょう」
日本政府は真実を知らずに、頼りになる真名能力者をアドバイザーとして確保した。
その翌日、今度は別の地方都市にファングボアが出現した。駅前に現れたファングボアは、一〇〇キロはありそうな大物だ。
駅に向かおうとした人々は、ファングボアの姿を見てギョッとした。
「何あれ?」
「イノシシ……デカイな」
人々はファングボアがどれほど危険な存在か、知らなかった。ファングボアを遠巻きに囲み、何が起きるか待つ。それはテレビの前で楽しいショウが起きるのを待つような感じだった。
高校生らしい集団が、笑いながら仲間たちと話している。
「あのイノシシ、どこから来たんだ?」
「イノシシがいるような山は、何キロも離れてるはずだぞ」
「動物園に運ぶ途中で、逃げ出したとかじゃねぇ」
誰かが駅員に通報したのだろう。二人の駅員が駅ビルから下りてきた。
「本当に、イノシシだ。警察に連絡しろ」
駅員はイノシシから離れるようにと、警告を叫んだ。その警告を無視する者がいた。高校生の一人が缶ジュースの空き缶をファングボアに投げたのだ。
空き缶はファングボアの頭に命中。ファングボアが鼻息を荒くして高校生を睨んだ。
「おいおい、マジになるなよ」
周りで見ていた人々は、その高校生がアホだと確信した。
ファングボアは高校生に視線を向けたまま走り出した。その高校生はびっくりした顔のまま凍りついたように動かない。
「おい、逃げろ!」
駅員が大声で叫んだ。高校生の周りから人が逃げ出した。立ち尽くす高校生の腹にファングボアの牙が突き刺さる。血が飛び散った。
「ひいっ、た、助けて」
高校生が道路に膝を突く。その首をファングボアの牙が抉る。盛大に血が吹き出した。見守っていた人々が悲鳴を上げた。
ファングボアは道路に倒れた高校生の腹に齧りついた。服を噛み破り、その肉体を食べ始める。
「駅員、何とかしろ!」
「無理です。警察はまだか!」
あまりに凄惨な光景を見て、気分が悪くなる者が続出した。その時、ファングボアに変化が起きた。呼吸が速くなり全身が痙攣するように震えている。
短い剛毛が生えていた背中に硬い鱗のようなものが浮かび上がる。人肉を食べた魔物が進化したのだ。ファングボアから上位種であるアーマードボアへの進化だった。
駅ビルの隣りにある雑居ビルから様子を見ていた男が、舌打ちをする。
「何だこりゃ。予想外すぎるぞ」
そこにパトカーとテレビ局の中継車が同時に到着。警官が拳銃持ってアーマードボアの前に飛び出した。
「拳銃発砲許可が出ているんだ。容赦するな」
「はい」
警官はアーマードボアに狙いを定めると発砲した。銃弾が巨体の鱗に当たって跳ね返る。
「えっ」
銃が効かないことに焦った警官が後退しながら、二発目、三発目を撃つ。やはり銃弾が跳ね返された。警官の額から汗が吹き出した。
中継車のディレクターがカメラマンに、
「おい、今のちゃんと撮っただろうな」
「バッチリです」
「いいぞ、あの化け物をアップだ」




