scene:271 冬彦と仁木
マナテクノの技術を盗もうという目的で、諸外国の技術者や研究者が潜り込もうとすることは、よく有ることだ。
「ディラックについては、徹底的に調べてくれ」
雅也たちは居酒屋の個室で飲んでいたのだが、雅也は小声になって話し始めた。
危険な状況に二人が陥る場合を想定して、役に立つ真名を二人にコピーしようと雅也が提案したのだ。その真名というのが『禁呪』と『風弾』である。
その二つは超越者教会の教祖サプーレムから手に入れたものだが、あまり使えない真名として分類したものだ。サプーレムから手に入れた真名の中には、『幻惑』と『風矢』という同じ系統の強力な真名があり、一生使わないだろうな、と思っていた真名だった。
『禁呪』は『言霊』に似た真名であり『~するべからず』という言葉を発することで、相手の行動を禁ずる効果がある。但し、強制力は『言霊』より弱いようだ。
また、その効果は五分ほどしか続かず、肉体的苦痛が発生すると解除されてしまう。例えば、『息をするべからず』というように『禁呪』を使っても、苦しくなると自動的に解除されてしまう。
もう一つの『風弾』も微妙な威力の真名だった。この真名の力は、風のボールを作り出し相手にぶつけるというものだ。その威力は野球のボールを全力でぶつけたほどで、青アザを作る程度である。その代わりに狙ったところに必ず命中するという特性があった。
「ええーっ、『風矢』の方がいいな」
冬彦がゴネた。
「『風矢』は相手を殺す威力があるんだぞ。本当に使えるのか?」
そう言われた冬彦が考え込んでしまった。
「だったら、防御用の真名も欲しい」
冬彦の要望で、『頑強』の真名をコピーすることになった。仁木は元々『頑強』の真名を持っているので必要ない。
雅也は冬彦に『禁呪』と『風弾』、『頑強』の真名をコピーし、仁木には『禁呪』と『風弾』をコピーした。
仁木に『風弾』は必要ないんじゃないかと確認したが、現代社会では非殺傷の真名が必要だという。その後、大いに飲んで食べて楽しく過ごした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その翌日から、冬彦はディラックが会っていた中東系の人物を探し、渋谷に事務所を構える『カシム技術財団』という正体不明のオフィスの人間だということを突き止める。
その人物はアブドゥル・マリクという名前で、カシム技術財団のトップらしい。この財団はテロ組織の出先機関だという噂があり警察でもマークしているようだ。
この財団を監視しているうちに、様々な国が関わりを持っているのが分かった。しかも確実に反社会組織の人間だと分かる者も出入りしており、こんな連中と関係がある者はマナテクノに入れるべきではないと報告する。
アブドゥルが書類を持って出かけたので、冬彦たちは追跡することにした。
車で奥多摩方面へ向かったアブドゥルは、別荘のような建物に入る。その別荘の持ち主はまだ不明だったが、碌な人間ではないような気がする。
冬彦が別荘の写真を撮り監視していると、別荘から人相の悪い男たちがばらばらと出てきて、冬彦の乗っている車に迫って来る。
「まずい、見付かった」
仁木が頷いて、車を出す。冬彦たちを追って二台の車が追い掛けてきた。別荘は山の中にあったので、冬彦たちの車は細い山道を走っていた。
そこに追撃してきた車が、追い付き車をぶつける。冬彦は激しい衝撃を感じて叫ぶ。
「うわっ、あいつら、僕たちを殺す気だ」
「まずいですね。この細い道だと避けようがありません」
何度もガツンガツンとぶつけられた冬彦たちの車が車道から飛び出し、土手から川へ落ちた。追い掛けてきた男たちが車から降りて、川へと向かう。
「車から引きずり出して、どこの奴らか吐かせるんだ」
男たちのリーダーが指示を出した。その時、川に落ちた車のドアが、ドガッと大きな音を立てて宙を飛んだ。仁木が『剛力』の真名を使ってドアを蹴り破ったのである。
「気をつけろ!」
リーダーが叫んだが、怒った仁木には通用しなかった。車から出た仁木は助手席の冬彦を引きずり出し、川岸に放り投げた。
「イテッ、乱暴だな」
「これくらいは大丈夫でしょ」
冬彦が『頑強』の真名を持っていることを知っている仁木は、冬彦が怪我をしていないことは分かっていた。
「あああ、車は廃車にするしかないな」
「そんなことは後にしてください」
仁木が叫んで、襲ってきた男にパンチを叩き込んだ。相手は喧嘩慣れしているようだが、武術や格闘技の経験はないようだ。仁木は虎のように戦い始めた。
一方、冬彦にも二人の男たちが襲い掛かった。一応短期間だったが、雅也の師匠である宮坂から武術を学んだこともあるので、その気になれば戦うこともできる。
ただ臆病なので戦うより逃げることを選ぶ冬彦だった。但し、今回は逃げさせてくれなかった。冬彦は『頑強』と『風弾』の真名を解放し、戦いに備える。
殴りかかってきた男のパンチを避けずに、膝蹴りを放つ。相手のパンチを顔面で受けたが、『頑強』の効果でほとんどダメージを受けず、冬彦の膝蹴りは綺麗に決まった。
「クソッ、やけに面の皮が厚いやつだぜ」
顔を殴った時の感触が、タイヤを殴った時のようだったので、そう思ったようだ。相手はナイフを取り出した。
ナイフを見た冬彦は顔を強張らせる。そして、『風弾』を使って風の塊である風弾ボールを相手の顔面に放つ。
「がはっ!」
仲間が顔を押さえてうずくまったので、もう一人の男も、ナイフを取り出して冬彦を刺そうとする。そいつにも風弾ボールを叩き込む。
「何をしやがった?」
襲い掛かろうとする男に、また風弾ボールが飛んで顔面に痣を付ける。冬彦は恐怖と興奮で、何度も何度も風弾ボールを男たちに放ちボコボコにした。
襲ってきた奴らを叩きのめした二人は、警察を呼んで逮捕させる。だが、その間に別荘の持ち主とアブドゥル・マリクは逃げたようだ。
マナテクノに入社しようとしていたカーティス・ディラックも行方不明となり、事情を知ったアメリカでは騒ぎになったらしい。
ディラックは勤めていたアメリカのシンクタンクから、重要な情報を盗み出して敵対国へ売っていたと分かったのだ。
マナテクノのセキュリティが確かなものだと証明された事件だったが、こんなことを続けるのかと思うと、冬彦はもちろん、雅也もうんざりした。




