scene:24 影の森迷宮
祖父の特効薬となる実をドロップする魔物ドライアドがいる区画は、七区画だという。その区画には、それほど強い魔物はいないらしい。
問題は魔物だけではない。影の森迷宮に入るためには、クリュフバルド侯爵の許可証が必要だというのだ。こういう場合、貴族なら侯爵に挨拶するのが普通らしい。
まず母親の反対を説き伏せ、影の森迷宮へ行くことを認めてもらった。野盗四人を返り討ちにしたという実績と岩山迷宮の五階層攻略が効いたようだ。
母親の説得で時間を食ったが、危篤の祖父を見舞い、様子を確かめた。逞しかった肉体が嘘のようにしぼみ、小さくなっている。
「祖父さん、頑張ってくれ。僕がドライアドの実を持って帰るから」
見舞った後、エグモントと一緒に侯爵の屋敷に向かった。屋敷というより、城と呼んでもおかしくない規模の建物だ。
運良く侯爵は滞在しており、会うことができた。クリュフバルド侯爵は、四〇歳ほどの渋いおじさんで、妙に迫力のある人物だった。
「エグモント殿、昨年以来となるな。壮健のようで何よりだ」
「クリュフバルド侯爵におかれましても、ご壮健のこととお喜び申し上げます」
挨拶を交わしたエグモントは、用件を切り出した。義父であるイェルクが危篤であり、治療するには影の森迷宮へ行き、ドライアドの実を持ち帰る必要があることを。
「なるほど、影の森迷宮へ入る許可証が欲しいのだな」
「息子のデニスが迷宮に取りに行くと申しております。何卒お願いいたします」
「よかろう。イェルクはクリュフバルド侯爵騎士団の副団長を勤めた者だ。私も死なせたくはない」
侯爵が従士に許可証を用意させるように指示すると同時に、騎士団の騎士二名を呼んだ。
「何か御用でしょうか?」
二名の騎士が現れ、代表して三〇歳ほどの騎士が用件を尋ねた。
「ベネショフ領の後継者デニス殿が、影の森迷宮へ行かれる。お前たちは護衛として付いて行ってくれ」
「畏まりました」
一人で迷宮に挑戦するのが不安だったデニスは、侯爵の好意に感謝した。
「私は騎士団のローマン、こっちはトビアスです。全力でお守りします」
「ありがとうございます」
三〇歳ほどの口髭を生やした騎士がローマンで、一八歳ほどの若いヒョロッとした騎士がトビアスというらしい。二人の武器はロングソードで、どちらも鍛えているようだ。
準備があるので、その日に出発とはいかない。二人とは翌朝都市の出口で待ち合わせる約束を交わして、侯爵の屋敷を辞去した。
デニスはクリュフの商店街に向かった。迷宮探索者らしい服を買うためである。今まで使っていた狩猟服は、あちこちが破れ、ツギハギだらけになっていたのだ。
身体に合った丈夫な麻製の古着を買った。その上に鎧トカゲの革で作ったチェストプロテクターと籠手、脛当てを着ければ迷宮探索者らしく見えるだろう。
鎧トカゲのドロップアイテムである皮は、売るかデニス自身が使うか迷った。これからも迷宮探索を続けるのなら、防具も必要だろうとチェストプロテクターなどの素材として使った。
防具は影の森迷宮に挑戦する機会があれば───と思い持参していた。
翌朝、防具と金剛棒を装備し、リュックを背負ったデニスは待ち合わせ場所に向かった。二人の騎士が待っていた。
「すみません。待たせましたか?」
「いや、それより武器は棒なのですか?」
「ええ、特別な棒です」
「特別? ふむ、どう特別なのかは知らんが、後悔しないのならいい」
ローマンの口調が、少し変わっている。デニスを馬鹿な若者だと思ったのかもしれない。
デニスたちは影の森迷宮へ向かった。二人と話をして、何度も迷宮へ行った経験があるらしいと分かった。『魔勁素』の真名は持っているだろう。
他の者は迷宮でどういう風に戦うのか興味がある。ノウハウを持っているなら、それを手に入れたいとデニスは思った。
「ローマン殿、影の森迷宮にはどんな魔物がいるんです?」
「七区画にいる魔物は、ゴブリンとファングウルフ、それにオークとドライアドだ」
ゴブリンとファングウルフはそうでもないが、オークとドライアドは厄介な魔物だと聞いていた。
ローマンとトビアスは、侯爵からデニスを守るように命令されていた。デニスは一六歳、ベネショフ領の岩山迷宮での経験があるかもしれないが、未熟な若者であり、一人だけでは命を落とすと侯爵からは思われているようだ。
侯爵は良き部下であったイェルクの孫を死なせたくなかった。助っ人の二人には、デニスに影の森迷宮がどれほど危険か悟らせ、目的が達成できなくとも無事に連れ帰ることを命じている。
「七区画には、影の森迷宮の北側から入ります」
ローマンが説明した。影の森迷宮は住み着いている魔物の強さに合わせ、九区画に分けられている。一番強い魔物が住み着いている場所が一区画で、最弱の魔物がいる場所が九区画である。
その七区画は北側に入り口があった。その入口から入ったデニスたちは、すぐにゴブリンの群れと遭遇した。群れは八匹、木の枝を折って作ったような棒を持っている。
デニスが前に出ようとすると、ローマンから止められた。
「我々に任せてください。行くぞ」
ロングソードを抜いた騎士二人が駆け出す。『魔勁素』の真名は使っていないようだ。相手が格下のゴブリンだからだろう。
ローマンはハルトマン剛剣術、トビアスはクルツ細剣術の遣い手のようだ。ローマンは思い切りよく飛び込んで力強い斬撃で胸を斬り裂いた。
一方、トビアスは棒の攻撃を受け流し、その首を斬り裂いた。二人とも戦いに慣れている。瞬く間にゴブリンの数が減っていく。
息絶えた魔物は、岩山迷宮と同じように塵となって消えた。どこの迷宮でも同じらしい。
ゴブリンが四匹にまで減った時、一匹がデニスの方に走り込んできた。デニスは金剛棒を上段に構え、間合いに入った瞬間、振り下ろした。
その一撃は頭蓋骨を割り、ゴブリンの息の根を止めた。結局デニスが倒したのは、その一匹だけだった。後は騎士二人が倒した。
「棒でも魔物を倒せるようだね」
ローマンがデニスに声をかけた。デニスが特別な棒だと言ったのを信じていなかったようだ。
「持ってみますか?」
デニスが言うと、ローマンが頷いた。デニスが金剛棒を差し出す。ローマンは左手で受け取り、
「お、重い。中に鉄でも仕込んでいるのかね?」
「買った時から重かったので、分からないな」
「俺にも持たせてください」
トビアスが珍しく声を上げた。金剛棒の重さを確かめたトビアスは、何か納得したという風に頷いた。
「しかし、よくこんな重い棒を振り回せるな」
「練習したから」
デニスは何でもないというように言ったが、かなりきつい鍛錬だった。最初に金剛棒を使って練習した時は、腕の筋肉がつりそうになった。
デニスたちは七区画の奥へと進み、ファングウルフと遭遇した。大型犬並みの体格と、ナイフのように鋭い牙を持つ狼の魔物だ。
「四匹だ。全員で戦うぞ」
ローマンが戦いを主導する。デニスは金剛棒を上段に構え、待ち構えた。デニスを狙って駈けてくるファングウルフは、遠い間合いから跳躍した。
デニスも同時に跳躍し空中で金剛棒を振り下ろす。金剛棒の先端がファングウルフの頭部に減り込んだ。ダメージを受けたファングウルフは地面を転がり回る。
デニスが仕留めようとした時、もう一匹のファングウルフが襲いかかってきた。デニスは金剛棒を横に薙ぎ、狼の肩を叩いた。その衝撃で転がった狼が起き上がろうとした時、狙い澄ました一撃を脳天に叩き込む。
魔物を仕留めたデニスが周りに目をやる。すべての魔物が仕留められたようだ。
デニスたちの探索は順調だ。さらに奥へ進むとオークと遭遇し戦いとなった。オークはタフな魔物である。少しくらい切られても死なない魔物である。
オーク相手に震粒ブレードが威力を発揮した。肉を削り取り大きなダメージが与えられる震粒刃は、急所に叩き込めばオークでさえ一撃で仕留められる。
かたや、ローマンたちは苦労している。急所にロングソードの刃が入っても致命傷にならないことが何度もあった。刃の入る角度が悪ければ、分厚い脂肪と強力な筋肉で弾かれた。
このオーク戦で、ローマンたちは初めて『魔勁素』の真名術を使ったようだ。その動きが格段に鋭さを増していたので分かった。
しかし、戦闘の結末は意外なものになった。デニスが四匹を倒し、残りの三匹をローマンとトビアスが仕留めるという結果で終わったのだ。
「その棒を侮っていたよ。真名術と組み合わせた時は、この剣より上だな」
ローマンが正直に認めた。二人の騎士がデニスを見る目が変わっている。
ついにドライアドが住み着いている場所まで辿り着いた。
「ドライアドと戦ったことはある?」
「いいや、初めてだ。奴の声を聞いてはいけないという噂を聞いたことがある。人間を惑わす声を上げるらしい」
その時、奇妙な音を聞いた。誰かがハミングしているような音だ。迷宮の中ではあり得ないことである。デニスは、音を振り払うように頭を振った。
騎士の二人を見ると、ハミングに聞き入るように呆然とした感じで立ち止まっている。
「聞くな。耳を塞ぐんだ!」




