scene:238 魔物と脅迫
「先程、本社に脅迫メールが届きました」
永田は殿田社長の秘書らしい。その脅迫メールを印刷したものを殿田社長に渡した。それを読んだ社長は顔色を変える。
「どうかしたのですか?」
雅也が尋ねると、困った顔をした後に紙を雅也に渡した。
それを読んだ雅也は、唸り声を上げる。そこにはへたな日本語で、中国の大地震に対して大規模な支援を行えと書かれていた。それも十兆円規模というものだ。
「これは日本政府に対しての脅迫メールです。なのに、トンダ自動車に届いたのは変じゃないですか?」
「そう言えば、そうだ。本物の脅迫メールじゃないのかもしれんな」
中国広東省の沖合で発生した大地震は、広東省沿岸部の町に甚大な被害をもたらした。同時に台湾にも大きな被害を与えたので、日本を始めとする友好国は台湾支援を始めた。
日本は多くの救難翔空艇を派遣し、救助活動や支援活動に大きく貢献する。そして、インフラの中で電力網がズタズタになった台湾へ、マナテクノがメルバ送電装置を使った電力供給を始めて復興が早まった。
一方、被害状況を隠した中国は復興が遅れていた。一番の原因は被害が大きかったことにある。想定以上に大きな地震だったので、高層ビルの多くが倒壊した。
その中には手抜き工事だったビルも多かったらしい。中国のビルで地震でもないのに大きく揺れるというビルがニュースとなったことが有る。そのビルほどではなくとも手抜き工事があるビルの多くが倒壊するのは当然のことだった。
その被害額は阪神・淡路大震災の何倍にもなったようだ。死傷者の数は少なめに発表されたが、諸外国の政府関係者は信じていなかった。
広東省で生活していた日本人で生き残った者は、全員が帰国するように命じられたらしい。それらの人々が帰国して被害の大きさがどれほどかを広めたのである。
帰国できた人々は運が良かった。亡くなった方も多く、日本政府はどのようにして死んだのか調査させて欲しいと申し出た。ところが中国が断った。日本だけではなくアメリカやヨーロッパに対しても同じである。
「私は九州の工場へ行かなければならない。失礼する」
殿田社長がそう行って出ていこうとした。
「待ってください。私も一緒に行きます。気になることがあるのです」
殿田社長が雅也に顔を向ける。
「それは構わないが、危険かもしれない」
「危険は承知です」
雅也と殿田社長は、社長の自家用ジェットで九州に飛んだ。熊本の空港に到着した雅也たちは、工場へ向かう。
工場の従業員は避難して、工場は閉鎖されていた。
「それで、魔物は退治されたのかね?」
殿田社長が工場長に尋ねた。幸いなことに被害者は出なかったので、殿田社長が心配しているのは工場閉鎖による損害だった。
五〇歳前後の工場長海江田が、説明を始めた。
「警察が射殺しようとしたのですが、警官の拳銃では怪我もしなかったようです。今、県知事が自衛隊に依頼するかどうか会議を行っているそうです」
殿田社長が顔色を変えて判断の遅さを批判する。
雅也は日本らしいと感じていた。日本は何事も決断が遅いのだ。自衛隊に頼む前に、特殊人材対策本部に頼めば良かったのだ。
最初に警察に連絡したので、地元の警察署から県警に連絡が行き県知事と警察庁を巻き込むことになったのだろう。雅也が海江田工場長に頼んだ。
「その魔物を見たいのですが、どこ行けば見れますか?」
「あなたは?」
「マナテクノの常務、聖谷です」
海江田工場長の態度が明らかに変わった。マナテクノがそれだけ有名になったということだ。
「魔物はエンジン工場の前にある林にいます。警官が取り囲んでいるので、魔物には近付けないと思います」
「では、警察の代表の方に会わせてください」
工場長に案内され、雅也と殿田社長は県警の持田警視正に会った。
工場の敷地にあるビルの三階に対策本部が出来ていた。
「持田警視正、殿田社長とマナテクノの聖谷常務をお連れしました」
持田警視正が不機嫌な顔でこちらに視線を向ける。
「その魔物を退治するのに、時間がかかるのかね?」
「警察庁の特別チームが来る予定になっています」
雅也が持田警視正に尋ねた。
「魔物を確認したいのですが、姿を確認できる場所はありますか?」
「どうして、魔物を?」
「マナテクノは、異世界に関するものに強い興味を持っているのです」
「民間人を危険な魔物に近付ける事はできません。映像があるので、それで我慢してください」
工場内に設置されたカメラが撮影したものだった。
その映像に写っていた魔物は、熊の魔物ではなかった。
「これは……ゴーレムじゃないか。誰が熊の魔物なんて言ったんだ」
拳銃で倒せなかったのも当然である。
「トンダ自動車に脅迫メールが送られてきたそうですね?」
「ええ、そうです。でも、ここの騒ぎを知った誰かが便乗して、脅迫メールを送ったのだと思います」
その証拠は脅迫メールの中に熊の魔物という言葉が出てくるからだ。本当に魔物を召喚した者だったら、こんな間違いはしないだろう。
「大変です。魔物が暴れ始め、包囲網を突破されました」
警察無線が大きな声を上げる。雅也たちは三階の窓からエンジン工場の方へ視線を向けた。
「こっちの方へ来る。まずい、このままだと門へ行くぞ」
門の外には、野次馬とマスコミが集まっている。雅也は駆け出した。
「どこへ行くんだ!」
後ろで持田警視正の声が聞こえた。雅也は無視して階段を一階へ駆け下り、外の道路へ飛び出した。ストーンゴーレムが騒がしい音を立てながら、こちらに歩いてくる。
「聖谷さん、民間人は避難してください」
語気を強めた持田警視正の声が響く。
「見てください。このままだと門の外に出てしまいますよ」
「そんなことは分かっている。危険です」
雅也は持田警視正に顔を向けた。
「危険なのは、持田警視正だけですよ。私は真名能力者なので、あのゴーレムを倒すだけの力を持っています」
「ええっ、聞いてませんよ」
「普段は秘密にしていますから」
「どうします? 私が倒しましょうか?」
「しかし、民間人のあなたに……」
「あのゴーレムが工場の外に出たら、大変なことになりますよ」
身長が二メートルほどのストーンゴーレムが迫っている。その姿を見て持田警視正が決心した。
「分かりました。お願いします」
「手柄は警察に譲りますから、私が真名能力者なのは公表しないでください」
持田警視正が頷いたのを確かめた雅也は、『装甲』『頑強』『怪力』『爆砕』『爆噴』の真名を解放する。装甲膜を展開してから、爆噴爆砕球を放った。
爆噴爆砕球がストーンゴーレムに命中して爆発。ストーンゴーレムの頭が半分ほどになった。そして、爆噴爆砕球をもう一発放つ。
それが命中してトドメとなった。消えたゴーレムを確かめた持田警視正が、青い顔で雅也に目を向けた。
「あなたは何者なのです?」
何者なのです、と質問されても困る。雅也はちょっと変わった能力を持つ日本人というだけだ。
ストーンゴーレムが倒れたことで、九州工場の事件は収束した。だが、これは始まりに過ぎなかった。世界各地に魔物が急に出現するという事件が増え始めたのである。
ちなみに脅迫メールは、中国の留学生が送ったイタズラだった。警察は留学生を逮捕して取り調べたらしい。その留学生は顔面蒼白になり謝罪したようだ。
但し、この留学生が脅迫メールを送った動機は興味深いと雅也は思った。警察で祖国の崩壊を防ぐためだと言ったらしいのだ。
米中の対立が激しくなった頃から、中国の経済発展にブレーキがかかり、中国で大企業と呼ばれる会社が倒産することが急増した。
そこに大地震が襲い、中国から逃げ出す外国企業が増えたようだ。それは必然であり世界の工場と呼ばれた中国の終焉だった。
その留学生は、このままでは日本のように経済成長が止まってしまうと言ったらしい。たぶん失われた二〇年のことを言いたかったらしいのだが、そんなことを言いながら中国復興のために日本に金を出せと脅迫するのだから、理解できないと雅也は思った。




