scene:229 悪魔の囁き
雅也と小雪は、川菱重工の恩田社長に招待されて、パーティーに来ていた。このパーティーは創業一二〇年の記念ということで開かれたものだ。
「恩田社長、おめでとうございます」
「おおっ、聖谷常務と小雪さんか、よく来てくれた」
「久しぶりに美味しいものを、たらふく食べたかったので、ちょうど良かったです」
「今日は一流のシェフに頼んだから、楽しんでくれ」
恩田社長は何人かの財界人に紹介してくれた。その中の一人がプロセス制御機器メーカーの西河電機の社長西河清蔵だった。
「聖谷常務の噂は聞いていますよ」
雅也はドキッとした。変な噂が流れていないと良いのだが。
「どんな噂ですか?」
「ナム社長を撃退したそうじゃないか」
「ああ、あの社長ですか。魂胆が見え見えで、取引する気にはなれませんね」
恩田社長も頷いた。
「それがいい。もう開発途上国ではないのだから、自分たちで技術を開発すべきなのだ。日本だって、そうしたのだからな」
日本も開発途上国だった頃は、先進国から技術を取り入れた。それを学んだと言うか、盗んだと言うかは別にして、途上国が発展するためには避けて通れない道なのだと思う。
「ところで、マナテクノはIT分野にも手を広げているそうじゃないですか?」
西河社長が言った。マナテクネットの事だろう。
「あれを開発したのは、サイバー攻撃が酷かったもので、セキュリティを強化する必要があったんです。やむなく手を広げたのですよ」
「しかし、新しい通信システムも含めて開発したというじゃないか、凄い技術力だね。羨ましい」
恩田社長が口を挟む。
「西河電機は、大変だというじゃないか。大丈夫なのか?」
「我社が力を注いできたミニマルファブの事業が、足を引っ張っている」
ミニマルファブとは、少量の半導体チップを低コスト・短期間で製造する半導体製造システムの事だ。巨大な半導体製造装置メーカーの工場とは違い、投資額が一〇〇〇分の一に抑えることができるというのがメリットだったのだが、多品種少量生産が目的なので、量のメリットを得られないというデメリットがある。
雅也は使えるんじゃないかと思った。翔空艇には数多くの集積回路が使われている。だが、汎用品ではダメだということが多いのだ。
武装翔空艇などは特別なチップを使わなければならない場合が多く、部品調達に困っていたのだ。雅也は西河社長と話し、ミニマルファブ事業を分社化するなら、マナテクノも出資したいと申し出た。
「ほう、それは嬉しい話ですが、必要な資金は巨額になりますぞ」
雅也が笑った。
「今のマナテクノは、資金調達に困るということはないのです」
小惑星ディープロックでサンプルを持ち帰り、調べた結果が出た。ディープロックには大量のレア金属やレアアースが含まれている事が分かったのだ。
しかも、小惑星全体が純度の高い金属の塊で、その資産価値はとてつもないものだった。なので、マナテクノが資金に困ることはなくなったのだ。
そこに議員バッジを付けた政治家らしい男が口を挟んだ。黙って話を聞いていたらしい。
「ちょっと待ってくれ。その話は、私の方が先だったはずだぞ」
「聖谷常務、紹介しましょう。こちらは与党の与帯代議士です」
与党でも大物と言われている政治家で、国政に対してかなりの影響力を持っている。
与帯代議士が先だと言ったのは、ミニマルファブ事業の分社化と出資の件だ。海外企業から与帯代議士の口利きで、西河社長のところに来ていたらしい。だが、ミニマルファブ事業の価値を過小評価しており、出資額が少なかったので一度断っているという。
「断られたので、一度先方と話したら、出資額を倍に増やしてもいいと言っておる」
雅也は与帯代議士に視線を向けた。
「あなたは、賄賂でももらっているのか?」
それを聞いた恩田社長が、思わず吹き出した。あまりに直球すぎる質問に笑いを堪えられなかったのだ。
「な、何を馬鹿なことを言っている。そんなものをもらうはずがないだろう」
「だったら、将来性のある事業が、日本に残るのだから、日本の政治家として我々の後押しをするべきじゃないのか? それとも日本が嫌いなのか?」
「何を言う。私は西河電機の将来を考えて、海外の企業と手を組むのもいいと思ったから、尽力しているのだ」
雅也は西河社長に顔を向ける。
「西河電機は、どれほどの海外企業と手を組んで事業しているのです?」
「そうだな。十数社と共同で事業しているかな」
「ということは、立派なグローバル企業ですね。これ以上、海外企業と手を組む必要はないでしょう。与帯代議士の考えが分かりませんね。やはり金ですか? それとも弱みを握られているのですか?」
与帯代議士が顔を真っ赤にして怒っている。
「貴様、その無礼な態度は何だ。絶対に許さんからな」
雅也はスーッと与帯代議士の近くに寄り、『言霊』の真名を解放すると小声で、記者会見を開き今まで行った悪事を告白することを命じた。
今までは『言霊』の真名を使うことにためらいがあり使わなかったのだが、良い機会なので試すことにした。日本には大きな変革が必要だと思う。抵抗勢力は潰す。そう決めたのだ。
青い顔の与帯代議士が逃げるようにパーティー会場からいなくなると、恩田社長が尋ねた。
「彼に何を言ったのかね?」
「あの代議士は、悪いことをたくさんしているようですから、天罰が下るぞと脅かしてやりました。きっと改心して代議士をやめるんじゃないですか」
恩田社長が笑った。与帯代議士が改心するような人間ではないと知っていたからだ。
「そうだ、もう一人紹介したい女性が居るのだ」
「誰でしょう?」
「もう少ししたら現れるはずだ」
恩田社長が言った直後、待っていたかのように、一人の女性がパーティー会場に現れた。その女性に気付いた客たちがざわつく。
恩田社長とハグした女性が、紹介された。
「知っていると思うが、世界の歌姫ジェネス嬢だ」
雅也は柄にもなく緊張した。歌姫ジェネスと言えば、世界で最も有名な女性歌手の一人であり、その歌唱力は伝説となっていた。
「お会いできて光栄です」
「マナテクノの創始者の一人だと聞きました。私こそ光栄です」
雅也は握手して会話を始めた。その会話に小雪も参加する。
「ジェネスさんは、お仕事で日本に来られたのですか?」
小雪が尋ねる。
「ええ、世界各地を回ってライブを行うのです」
大勢のスタッフを引き連れて、世界各地を回る予定だという。
「小雪さんは歌が好きなのですか?」
「ええ、歌は大好きです。特に聖谷常務の歌が好きなのですが、中々歌ってくれません」
ジェネスが笑った。小雪が雅也を好きなのだと感じたからだ。
「そうだ。今回のライブでは、オブライアンさんとのデュエットを聞けるのですか?」
オブライアンは、ジェネスの婚約者で実力の有る歌手だ。二人のデュエットは人気があった。
「ええ、ちゃんとデュエット曲を用意しています」
その日はパーティーを楽しみ、雅也はたらふく旨い料理を食べた。
その翌日、与帯代議士が記者会見を開き、自分の悪事を告白した。政界は大騒ぎである。与帯代議士は議員を辞め、その事を知った恩田社長は考え込んだ。




