scene:216 異界の最高神
「デニス様、そろそろ野営の準備をしませんか?」
イザークが声を上げた。
「そうだな。どの辺がいい?」
蛙面巨人が棲み着いている場所なので、下手な場所では野営できない。野営場所を探していると直径四メートルほどもある巨木が倒れている場所があった。
「この倒木の陰に野営しよう」
「そうですな」
デニスたちは、自分たちの後ろから付いて来ていたライノサーヴァントから荷物を下ろした。まずはテントを張る。
野営の準備が終わり、デニスたちは広げたシートに座って焚き火を囲んだ。
「あの巨大な猫から手に入った真名は、どんなものだったんですか?」
フォルカが尋ねた。
「『光子』という真名だ。光に関係するものらしい」
「光ですか? どんな力があるのです?」
「光を集め、操ることができる」
イザークが巨大猫が使った光線について質問した。
「あれは光を強くして一定方向にだけ進むようにしたものだ。光も集めれば強力な武器になるんだ」
「光が武器にですか?」
イザークはピンと来なかったようだ。
「例えば、冬と夏の太陽の光が違うことは知っているだろ。冬は柔らかな光だが、夏はジリジリと焼けつく光だ。巨大猫のが使ったのは、夏の太陽光をもっと強力にしたようなものだな」
「なるほど、夏の太陽光をもっと強力にですか……そんな光を浴びたくないですね」
イザークは蛙面巨人の胸が焼かれて穴が開いたのを見ている。同じような光を放てるのなら、素晴らしいと思ったようだ。
フォルカが巨大猫が残した宝石について尋ねた。
「ああ、これか?」
デニスは大きな赤い宝石を取り出して見せた。
「それはただの宝石なんでしょうか?」
「分からないな」
デニスは卵ほどの大きさがあるルビーのような宝石を見つめる。その時『魔源素』の真名から発した力が、宝石に吸い込まれるのを感じた。
次の瞬間、デニスの意識が宝石の中に吸い込まれた。その宝石には、異界の存在であるアグリュス族の記憶が込められていた。
アグリュス族は、異界の最高神である龍帝に仕えている種族だ。最高神は異界の誕生から終末までを見守る存在であり、異界の『摂理』を司り『真理』を定める存在だった。
アグリュス族は長命であり、数十万年の歳月を最高神に仕えて生きる。だが、最高神が『摂理』を使って、世界を組み替える現場を見たアグリュス族の姫が、その力に魅了された。
デニスも最高神が世界を組み替える様子を目にした。それは圧倒的な力であり、神の御業としか表現できないものだった。
人間なら理解できないほど凄いと思うだけだろうが、数十万年を生きたアグリュス族の姫は『摂理』が欲しいと思った。自分も『摂理』を使って世界を変えたいという欲望が芽生えたのだ。
姫は最高神が眠る寝所に忍び込み、最高神から『摂理』を盗もうとした。そんな無謀な企てが成功するはずもなかった。最高神は気づき、姫を捕らえた。
最高神はお仕置きが必要だと考え、己の三本の爪を姫の身体に打ち込んだ。打ち込まれた爪の一つは、鎖に変化して姫の身体を縛り上げた。もう一つは封印の剣となって姫が持つ能力を封じた。
そして、最後の爪は監視石となって、姫の身体に埋め込まれた。姫は気絶している間に迷宮へ送られ迷宮主にされた。
迷宮主となった姫は、自分の身体に監視石が埋め込まれていることを発見し、苦痛を我慢して身体を切り開き取り出して砕いた。宝石は監視石の欠片だった。つまり、異界の最高神の爪の一部だったらしい。
迷宮コアは最高神の爪を魔物の一部として使ったようだ。
デニスが意識を取り戻した。
「デニス様、大丈夫ですか?」
イザークが心配そうな顔で、尋ねる。デニスがボーッとした顔で宝石を覗き込んだまま黙ってしまったので、心配したようだ。
「こいつの正体が分かった」
デニスは二人に、迷宮主の正体と宝石が異界の最高神の爪だということを説明した。
二人は信じられないという顔をする。
「その最高神というのは、この世界の最高神とは違うのですか?」
フォルカが確認する。
「違う。この世界とは別の世界の存在らしい」
「でも、そんな別世界の存在が、なぜ迷宮主になっているんです?」
「アグリュス族の姫か……僕にも分からないよ」
フォルカが不安そうな顔をしている。
「神が作ったものを砕くなんて、迷宮主は凄い力を持っているみたいじゃないですか」
「二八〇年ほど昔のことだ。今は迷宮に力を吸い取られて、へろへろになっている」
「でも、あの巨大猫を作ったのは、迷宮主なんですよね」
「迷宮コアの力を使って作ったんだ。迷宮主に、そんな力があるわけじゃない」
デニスは宝石が自在に形を変えられるものだと知って、自分の意志で変えられないかと試してみた。心の中で命令しても宝石は反応しなかった。
そこで『魔源素』の真名の力に反応したのを思い出し、真名の力を流し込んだ。その時、声が聞こえた。
【異界の若者よ。アグリュス族の姫が迷惑をかけているようだな。お詫びにちょっとした知識と姫を消す武器を授けよう。その剣で姫の眉間か心臓を刺すのだ】
目の前にある宝石が輝き、一本の細剣に変形した。宝剣緋爪に似ているが、赤水晶で出来ているんじゃないかと思わせるような紅く透き通った水晶剣だった。
「えっ、何が起きたんですか?」
フォルカが大きな声を出した。
「僕にもよく分からないが、異界の最高神が話し掛けてきた。この剣で迷宮主の眉間か心臓を刺せば、倒せるようだ」
「神が力を貸してくれたんですか? 凄いですね。でも、ちょっと信じられないです」
信じられないというのは、デニスも同じだった。本当に異界の最高神だったのだろうか? その答えには手が届きそうにない。
「その最高神は、他に何か言っていなかったのですか?」
デニスは最高神がちょっとした知識と言っていたものを思い出した。頭の中に意識を集中すると、その知識を見つけた。
頭の中には二つのものがあった。一つは光と物質に関連する膨大な知識だ。そして、もう一つは『分離』という真名だった。
その知識は『分離』の真名を使うには物質に関する知識が必要であり、そのために物質の膨大な知識も与えられたらしい。最高神にとっては取るに足りない知識かもしれないが、人類にとっては驚異的な知識だった。
「光と物質に関する知識をもらったようだ。それに『分離』という真名ももらった」
「知識というのは、どんなものなんですか?」
「一言では言えないな。とにかく膨大な知識だ」
デニスは溜息を吐いた。自分の世界には、その知識を使うだけの基盤がないと感じたのだ。例えば、この世界で原子力発電の知識をもらったとしても、それを活用できる文明がない。
結果として、宝の持ち腐れとなる可能性が高い。但し、それはデニスの世界でのこと、雅也の世界なら知識を活用できるだろう。
もしかすると、科学文明を一〇〇年ほど加速させることができるのではないかと思えるほどだった。
デニスはもらった知識について、イザークたちに説明できなかった。
「明日はどうしますか?」
イザークの質問を聞いたデニスは考えた。
「色々あったから、一度地上に戻ろうと思う。それに、この神剣の鞘も欲しい」
「それはそうか。抜き身で持ち歩くのはまずいですからね。でも、その神剣は脆そうですけど、大丈夫なんですか?」
「神が作った細剣だぞ。脆くはないはずだ。明日、試してみよう」
デニスたちは夕食を食べてから寝た。もちろん、交代で見張り番をする。
翌朝、デニスたちは引き返し始めた。その途中、蛙面巨人と遭遇した。
「神剣を試したい。僕に任せてくれ」
「分かりました。気を付けてください」
デニスは神剣を構えたまま、蛙面巨人と対峙した。小手調べということで、蛙面巨人の足に斬撃を放つことにする。
蛙面巨人がデニスに向かって走り始めた。デニスも走り出し交差した瞬間、巨大な足に神剣による斬撃を放つ。振り抜いた神剣が、何の抵抗もなく蛙面巨人の足をすり抜けた。
「あれっ」
デニスが驚きの声を上げた時、背後で蛙面巨人が倒れた。見ると片足が切り離されている。デニスには通り抜けただけの手応えしかなかったが、切断していたようだ。
歩み寄ったデニスは蛙面巨人の首を斬り飛ばす。
それを見ていたイザークとフォルカが口を開けたままポカーンとしている。凄まじい神剣の切れ味に驚いているようだ。




