scene:190 研究所
雅也は安心して研究を任せられる研究所を、自分で建てようと思った。
日本はスパイ天国だと言われている。普通の国なら存在するスパイ防止法もなく、スパイ行為を取り締まれない場合もあるらしい。
突然、個人で研究所を建設すると言い出した雅也に、神原社長が驚いている。
「いきなり、どうしたのだ?」
「マナテクノで研究しようと考えている事案は、数多くあるのに安心して任せられる研究機関がないという。ならば、自分で建設しようと考えるのは当然じゃないですか」
重盛社長が笑い声を上げた。
「ははは……、聖谷常務は豪胆な方ですな。ですが、そんな研究所を建設するには、数十億、いや一〇〇億円以上の費用が掛かるのですぞ」
「あっ、いや、重盛社長。費用の問題ではないのです。聖谷常務はマナテクノを創設した一人であり、株式の大半を持つ、オーナー的な存在なのです」
重盛社長が驚いた。マナテクノは将来日本を代表する会社になると言われている。その会社のオーナーとなると、日本の財界を牛耳るような存在になるかもしれないということだ。
「分かりました。星菱電気は全面的に協力いたします。その代わり、その研究事業に参画させてもらえんでしょうか?」
雅也は少し考えてから答える。
「いいでしょう。ですが、セキュリティ面は厳しくしますので、星菱電気さんの社員にも厳守してもらいますよ」
「もちろんです。聖谷常務はどういう研究に力を入れようと考えておられるのですか?」
「宇宙事業の助けになるような研究に、まずは力を入れようと考えています」
「具体的に言うと?」
「電力送電、太陽光発電、水素生産、動真力機関、自動運転などを考えています。それが軌道に乗ったら、将来のノーベル賞も狙える基礎技術にも力を入れようと思います」
「水素生産はどうしてでしょう?」
「我社が開発している宇宙太陽光発電システムは、原子力発電と同じで一日中定量の電気を発電し続けます。そうなると夜間などには電力が余ることになる。そこで電力を使って水素を生産し、燃料として使うことを考えているのです」
「宇宙太陽光発電システムで発電した電力が、余るほどの規模になるでしょうか?」
「コスト面を問題だと考えられる方が多いのですが、二基目を建設する時には、大幅にコストが下がると試算が出ています」
「しかし、我社でも宇宙太陽光発電を研究させたのですが、宇宙空間での建設作業がどうしても必要になり、それがボトルネックになったと聞いています」
雅也は頷いた。
「ボトルネックですか」
「ん、若い人はボトルネックという言葉を使わないのかね」
「いえ、私が以前に働いていた建設会社では、障害や問題をボトルネックと呼んでいました」
雅也自身は、それほど若いというわけではないのだが、重盛社長から見れば若造なのだろう。その若造に丁寧な言葉を使うので、気になった。マナテクノのオーナーということを重要視しているのかもしれない。
「そのボトルネックは解決済みです」
神原社長が首を傾げた。まだ雅也から報告を受けていなかったのだ。
「儂にも内緒だったのか?」
「いえ、今日解決したんです」
「どういう方法だね?」
神原社長が尋ねた。雅也は重盛社長をチラッと見て躊躇した。
「重盛社長なら構わんだろう。『共振データデバイス』の件も秘密を共有しておるんだ」
神原社長が許可したので、雅也は後で説明しようと思い持ってきたボーンエッグを、ポケットから取り出した。
「重盛社長は、私が真名能力者だということは、知っておられますよね?」
「ああ、神原社長から聞いている」
雅也はボーンエッグを重盛社長に見せた。
「これはボーンエッグと呼ばれているもので、スケルトンの卵のようなものです」
重盛社長は理解できないという顔をする。
「映画などに出てくるスケルトンはご存知ですか?」
「古い映画で見たことがある。しかし、スケルトンは人間の骨だから、卵と言われても……」
「実際に見て頂く方が早いようです。驚かないでください」
雅也はボーンワードを唱え、ボーンサーヴァントを出現させた。
「うわっ!」
驚かないでと言われていても、驚いてしまうのが人間だ。重盛社長は驚いてソファーから立ち上がった。
「大丈夫です。私がコントロールしていますから」
「……ほ、本当に大丈夫なのかね?」
「大丈夫です」
「近くで見ても……」
雅也が許すと、重盛社長は間近でボーンサーヴァントを観察した。
「これを思い通りに動かせるのか」
「訓練は必要ですが、可能です」
「なるほど、宇宙空間での労働力として、スケルトンか。とんでもないことを考える。聖谷常務、星菱電気も宇宙太陽光発電の事業に参加することはできるでしょうか?」
「それは政府に確認してください。一応、旗振り役は経済産業省なのですから」
重盛社長が頷いたので、雅也は話を研究所の件に戻した。
神原社長が雅也へ顔を向けた。
「個人で研究所を作るというのではなく、マナテクノが研究所を作るというのではダメなのかね?」
「会社の研究所だと、会社の事業に関係のない分野を研究することが難しいと思うんですよ」
「なるほど、公益性の高い研究所にしようと考えているのですね。それなら財団法人にしたらどうですか?」
重盛社長が提案した。
「財団法人? 面倒なのではないですか?」
「腕のいい弁護士を雇えばいいのです。税金対策にもなりますから、研究財団を創設して、その財団の研究所として建てるのがいいと思いますよ」
「その財団に、資産と持ち株の何割かを寄付して、株の配当を財源にすれば可能か」
マナテクノは何度か増資を繰り返している。事業規模が爆発的に大きくなったためである。そのたびに雅也の持ち株数は増え、かなりの株数になっていた。
そして、アメリカの工場が救難翔空艇の製造販売を開始したので、マナテクノ全体として大きな黒字になった。そのおかげで、高配当になっている。
もちろん、すぐに研究所の建設が始まるわけではない。財団としての組織を作り、研究員を集めなければならないからだ。
神原社長は、雅也が言い出した研究所の建設に納得した。
「儂も日本の科学研究に不満を持っておった。先進諸外国の政府が支出する研究費に比べ、日本政府の出す研究費は少なすぎるのだ」
日本は世界三位の経済大国なので、絶対額は大きい。だが、基礎研究や人文社会科学に対する研究費が少ないと、神原社長は嘆いていた。
「私も日本の企業が持つ研究開発力がパワーダウンしていること、それに他国が産業スパイを使って我が国の研究成果を盗み出すことに、危機感を持っていました。聖谷常務の考えは正しいと思いますぞ」
重盛社長は、宇宙事業や研究所の件で全面的に協力することを約束してくれた。これでマナテクノは、日本屈指の大企業を味方にしたことになる。
その翌日、雅也は航空装備研究所へ向かった。武装翔空艇とステルス型攻撃翔空機についての会議である。小雪と一緒に会議室に入った雅也に、防衛装備庁の木崎長官が声をかけた。
「聖谷さん、陸自の現場から声が上がってきたんですが、武装翔空艇の評判がいいですよ」
「それは良かった。開発したかいがありました」
「その評判を聞いた海上保安庁からも、話が来ているのです」
巡視船に搭載するヘリコプターを、武装翔空艇に替えたいということらしい。S諸島などの領土・領海問題で他国の船ともめることがあり、ただのヘリコプターだと不安だということだ。
「それに加えて、動真力エンジンを船に組み込めないかという質問が来ています」
「船にですか。できなくはないですが、意味があるのですか?」
「巡視船は漁船の救助を行う時があるのだが、漁網がスクリューに絡まって苦労することがあるらしい」
「なるほど、ちゃんと意味があるんですね」
「海上自衛隊でも、可能なら潜水艦への導入を考えている」
雅也は潜水艦と言われて、凄く納得した。究極の潜水艦は音を出さないものだと聞いている。動真力エンジンなら、スクリューがなくなり無音に近付くに違いない。
会議が始まった。こういう会議もリモートにできないかと考えたが、ダメだと結論する。盗聴される恐れがあるので、危険なのだ。




