scene:179 ラング神聖国の脅威
特殊な迷宮石を手に入れたデニスは、ヤルミル博士が何を行ったのか実験しようと思った。
「王都ではダメだろうな。もし、ヤルミル博士と同じようなことが起きたら、大騒ぎになる」
王都で特殊な迷宮石を確かめるのは諦め、屋敷に戻った。驚いたことに、賢人院のグリンデマン博士とエックハルト博士が、応接室でエグモントと話をしていた。
「おお、戻ってきたか。博士たちが相談があるそうなのだ」
デニスは何だろうと思いながらソファーに座った。
「相談とは、何でしょう?」
「賢人院の件なのだ」
グリンデマン博士が答えた。破壊された賢人院は、王政府が再建することになっているはずだ。再建の話でないとすると何だろう?
「再建は王政府が行うはずですが」
「ああ、それはそうなんだが、再建されるまで二年が必要だと言われた。その間に賢人院の活動が止まってしまう。そこで貴族屋敷を借りて、研究や文化活動を続けようと考えておるのだ」
一つ疑問が浮かんだ。研究や文化活動なら自分たちの屋敷で行えば良いのに、と思ったのだ。それを確認する。
「それが、研究者や文化人の懐具合は厳しいのだ。自宅に仲間を呼べば、お茶や食事を出さなければならない。その出費が地味にキツイ」
博士たちは情けないという顔をする。賢人院の博士たちは、王政府から援助を受けて研究や芸術などの文化活動をしている。但し、王政府が援助する額は少なく、学校などで教えたり本を書いたりすることで苦しい生活を支えているのが現状らしい。
「金が問題なら、ベネショフ領で少し援助しても構いませんよ」
エグモントが援助を申し出た。デニスも賛成する。賢人院の研究は、国にとって有益だと思っていたからだ。多少のことなら協力しようと考えていた。
エックハルト博士が首を振った。
「いや、金だけの話ではない。我々の自宅は小さく、何人もの仲間が集まり研究するのは難しいのだ。それに、楽器を演奏する者もいる。自宅で練習するのは無理だろう」
デニスはエックハルト博士の自宅を思い出した。それほど大きな家ではなかった。妻子がいるのなら、楽器の練習は難しいかもしれない。この国には防音された部屋というものが、ほとんど存在しないからだ。
但し、数少ない例外として、この屋敷には防音室が二部屋ある。一部屋はラジオ放送で使っている。ラジオ放送は初めベネショフ領だけから放送していたのだが、放送時間を増やしてくれという要望があり、それに応えることにした。
それで王都で人を雇い、この屋敷からの放送を開始している。
もう一部屋は、デニスが魔源素結晶に真名を転写する作業部屋として使っていた。発光迷石などを大量に製作する時は、迷宮より作業部屋を使う方が効率が良いようだ。
但し、真名の力をできるだけ込めなくてはいけない治癒迷石や雷撃迷石は、魔源素が濃い迷宮で転写作業を行うようにしている。
デニスは、転写作業に使っている作業部屋を博士たちに貸すことにした。広さは一二畳ほどあるので十分だろう。
デニスは作業部屋に案内した。今は大きなテーブルと椅子、それに収納棚しかない部屋だ。エックハルト博士が部屋を見て口を開いた。
「おおっ、発光迷石照明がある。いい部屋じゃないか」
「机と椅子、本棚くらいは用意します。何人分くらいが必要ですか?」
「ありがたい。それなら八人分を用意してもらいたい」
グリンデマン博士は部屋を見回し、収納棚に記録モアダといくつもの迷宮石が置かれているのに気づいた。
「この記録石は何を記録しているものなのだ?」
そこに置かれているのは、音楽関係の記録を収めた魔源素結晶だった。博士は記録モアダの記録媒体として使っている迷宮石を記録石と呼んでいるらしい。
「それは、博士たちが演奏した曲や外国で聞いた曲、夢で見た音楽などを記録しているものです」
「夢だと……そんなことをしているのか」
博士たちが聞かせろというので、クラシックのピアノ曲を記録した記録石を取り出し、再生した。
始めは驚いていた博士たちが、目を瞑り集中して聞き始めた。聞き終わった時には、大きく息を吐き出した。
「素晴らしい。これはラジオ放送では流さなかったようだが、どうしてだね?」
「僕には作曲の才能はありません。たぶん、どこかで聞いた曲が夢に出てきたのです。そうだとしたら、演奏者の承諾を得ていない曲をラジオで放送することはできません」
「良くは分からんが、そういうものなのか。だが、ここに埋もれさせるのは惜しい。友人の音楽家に聞かせてもかまわんかね?」
デニスは持ち出さなければ構わないと許可した。グリンデマン博士の友人というのは、ミシェル・アンドロスという国一番の音楽家だった。
彼はデニスが溜め込んでいた記録石の音楽を聞いて泣くほど歓喜した。そして、それらを参考にして作曲を始める。クラシックが多かったが、中には日本のポピュラー音楽を参考にして作詞作曲した曲もあった。
御前総会の日、デニスとエグモントは白鳥城に登城した。
「エグモント殿、ご子息がチグレグ川の戦いで、ご活躍されたそうですね。おめでとうございます」
センダ領のマルツェル男爵が声をかけてきた。
「あ、いや、大したことはありませんよ」
エグモントが驚いたような顔をする。マルツェル男爵とは、今まで付き合いがなかったからだ。
「謙遜されるとは奥ゆかしい。バイサル王国と貿易する機会を我々に与えてくれたのも、デニス殿だと聞いておりますよ」
どうやらバイサル王国との貿易で儲けたので、胡麻をすっているらしい。
同じような態度を示す貴族が何人もいた。貿易でかなりの利益が出たのだろう。
エグモントはデニスと二人だけになると、質問した。
「こうなることを分かっていたのか?」
「ええ。船倉の割当量を決めているのは、ベネショフ領ですから、ブリオネス家には気を使うようになると思ってました」
貴族たちが独自に船を所有し貿易を行うようになるまで、ブリオネス家の扱いは丁寧なものになると考えている。そして、貴族たちが帆船を持とうと考えれば、ベネショフ領と交渉するしかない。
当分の間、ベネショフ領に味方する貴族は増えるだろう。
デニスたちが大広間に入ると、大勢の貴族が席に座っていた。その日は、報告書を提出するだけで終わった。
翌日、提出した報告書を基に国王からの質問が始まった。バルツァー公爵やクリュフバルド侯爵の名前が呼ばれ、最後の方でエグモントの名前が呼ばれる。
エグモントとデニスが国王の前に進む。
「ベネショフ領は順調に発展しておるようだな」
「陛下のおかげでございます」
国が安定しているから、ベネショフ領を開発できるのだと感謝の言葉を述べた。
「ところで、依頼した帆船はどうなっておる?」
「二隻目の武装帆船でございますね。ただいま建造中でございます。来月には引き渡せると考えております」
報告書に書かれていたいくつかの点を確認した後、エグモントたちは解放された。
国王の質疑が終わり、御前総会の終了が宣言された。そして、最後にいくつかの名前が挙がり残るように告げられる。その中にはデニスたちの名前もあった。
場所が大広間から会議室に移された。移動する人々の中にバルツァー公爵とクリュフバルド侯爵、それに軍務卿・内務卿・外務卿の三人の姿もある。
国王が上座に座り、デニスたちに座るように指示した。
「そちたちを残し会議室に招いたのは、ラング神聖国のことを話し合うためである」
バルツァー公爵が鋭い視線をデニスたちに向けた。
「そのような重要な話に、男爵家などという身分低き者を呼ぶ必要があったのでございますか?」
「ベネショフ領には、ラング神聖国と戦いになった時に必要と思われる特別な部隊を用意させておる」
公爵が不満そうな顔をする。そういうことは、公爵家に命じられるべきではないかと考えているのだろう。
「なぜベネショフ領なのでございますか?」
「それはボーンサーヴァントに関連することだからである」
「お待ちください。我々もボーンエッグを手に入れ、ボーンサーヴァントの研究をしているところでございます。もう少しすれば、頑強で力の強いボーンサーヴァントを誕生させられます」
ダリウス領の紅旗領兵団は、スケルトン狩りをしてボーンエッグを集め研究していたようだ。オルロフ族との戦いで見たボーンサーヴァントの活躍に魅了されたのだろう。
たぶん『魔勁素』以外の真名の力を利用するという方法は、まもなく紅旗領兵団も気づくだろう。
「そうだとしても、ラング神聖国が動き出すまでに間に合うのか。間に合わなければ意味がないのだぞ」
「それはそうでございますが……」
国王は軍務卿に視線を向けた。
「ラング神聖国の動きについて、報告してくれ」
「諜報員からの報告によりますと、国民の困窮がいよいよ酷くなり、不満が蓄積しているようでございます。教皇と十大司教は、そんな状態なのに兵力を増強しているようなのです」
「我が国に戦を仕掛けてくるというのか?」
「いえ、ラング神聖国の狙いは、東の隣国ジゼリア王国だと思われます」
ジゼリア王国はゼルマン王国の三割ほどの領土しかない小国である。ラング神聖国の戦力を考えれば、ジゼリア王国の敗北は確定的だった。
バルツァー公爵が期待外れだという顔をする。
「これまでの準備は、無駄骨だったということでございますね」
国王が難しい顔をして考える。
「デニスよ、そちもそう思うか?」
公爵がなぜそんな小僧に尋ねるのかと不満げな顔をした。
デニスは心の中で僕に聞くなよ、と思いながら答える。
「国力を考えれば、ラング神聖国が勝利するでしょう。ですが、彼の国が欲しいのは領土ではなく財貨です。根こそぎ奪って、自国に持ち帰るはずでございます」
軍務卿が大きく頷いた。
「その通りである。ジゼリア王国に勝利したラング神聖国は、どうすると思う?」
「持ち帰った財貨を民のために使えば、ラング神聖国は繁栄を取り戻すかもしれません。ですが、無駄な出費をして国の財政を傾けた教皇が、そんな政策を打ち出すとは思えません。もしかすると、次の獲物を狩るための準備を始めるかもしれません」
クリュフバルド侯爵が顔をしかめて口を開いた。
「その次の獲物が、我が国だと言うのか?」
「その恐れは十分にあると思われます」
会議室に沈黙が訪れた。バルツァー公爵とクリュフバルド侯爵、それにエグモントが国王の顔をジッと見ていた。デニスの予想を国王が知っていたのか、確かめようとしていたのだ。
国王は厳しい顔でゆっくりと頷いた。




