scene:178 奇妙な迷宮石
デニスは、賢人院の状況とヤルミル博士の研究が気になった。しかし、ベネショフ領での仕事を放り投げて王都へ向かうことはできない。
一〇日ほど様々な仕事を片付けた後、完成した物見台をカルロスと一緒に視察に行った。
ベネショフ領では、ヌオラ共和国との国境線になっているチグレグ川を監視する物見台三つを建設した。
敗退したばかりで、ヌオラ共和国が再び戦争を仕掛けるとは思えないが、将来に向けてのものだ。もし、パヴェル議員がヌオラ共和国の政治中枢で力を伸ばせば、今回の雪辱戦を考えるかもしれないからである。
「ここに、八日間泊まり込んでチグレグ川を見張ることになるが、兵士たちから苦情がでたら対処してくれ」
物見台に登ったデニスは、同行しているカルロスへ言った。
「分かりました。ですが、見張り兵は八日ごとに交代することになっています。それくらいだったら、苦情は出ないと思いますよ」
「それならいいんだが……カルロス、ヌオラ共和国が所有している川船をどう思う?」
「どう思うとは?」
「我々は、ヌオラ共和国の船が攻めてくるのを待って、川岸から反撃するしかなかった。だが、それは敵国に先制攻撃の自由を与えているということだ」
カルロスは頷いた。
「ですが、その対策となると、難しいのではないですか?」
「そうなんだ。対抗措置として、同じように川船を用意し、敵の軍勢が船に乗り込むのを発見したら、船で近付き焼き払うぐらいしか思いつかない」
眉間にシワを寄せ考えるカルロス。
「……そうですな。ただ川船に乗り櫂やオールを使って移動するのは大変でしょう」
それを聞いたデニスは、雅也の世界にあるエンジン付きの小型ボートが頭に浮かんだ。
チグレグ川は川幅も深さも十分にあり、小型船ならかなり上流まで遡ることができる。問題は人力での移動は、時間がかかることだろう。
「蒸気機関のようなものを製造して、小型船に乗せれば自由自在に川を往復できるか」
カルロスは驚いて目を見開いた。
「そんなことができるんですか?」
「できないこともないと思う。ただ小型船に乗せるには、蒸気機関を小型化しないとダメだ」
「ラング神聖国には、そういう小型船もあるんでしょうか?」
「あるかもしれないな」
「そういう小型船があれば、船で荷物を王都やチダレス領に運べますよ」
王都モンタールは、クワイ湖に隣接している。そして、湖と海はヘルムス川で繋がっていた。そのヘルムス川を使って、荷物を王都やチダレス領へ運ぶというカルロスの提案だ。
現在はロウダル領の港に荷物が到着すると、陸路で王都まで運んでいる。王都までは距離が短いので、それほど品物の売値に影響しないが、クワイ湖の北にあるチダレス領へ運ぶと値段が跳ね上がる。
それだけ陸路での輸送費は高くなるのだ。デニスはクワイ湖をもっと利用するべきだと思うのだが、王家はあまり積極的ではなかった。
クワイ湖の中心に浮かぶ湖島迷宮が危険な迷宮であり、王家が近付かないように規制していることも関係しているようだ。
「素晴らしい提案だ。そういう船が完成すれば、クワイ湖を中心にした周辺領地が大いに発展する」
カルロスには、クワイ湖の周辺領地が発展するかどうかは分からなかった。だが、輸送が楽になるのは分かる。
「ですが、その小型蒸気機関は造れるのでしょうか?」
蒸気機関を製造することはできる。だが、ラング神聖国がゼルマン王国でも蒸気機関を造っていると知れば、自国の技術を盗んだと言い出しそうだ。
「研究すれば造れそうな気がする。だが、ラング神聖国と揉めそうな気がする」
造れそうだという言葉を聞いて、カルロスは領主の言葉を思い出した。エグモントは息子が天才かもしれないと言っていたのだ。今更ながら納得する。
二人は屋敷に戻り、エグモントに物見台について報告した。
「物見台が完成し、チグレグ川を見張る体制も整った。デニスは王家へ提出する報告書に書き加えてくれ」
「そうか。もうそんな時期なんだ」
春が来て御前総会の時期である。
「今回は、クリュフ領の侯爵たちも一緒だ」
武闘祭の時も一緒に王都へ行ったが、今年の御前総会へも一緒に行くらしい。快適な船旅で行くことを覚えたら、陸上を馬車で行きたくないのは理解できる。
ただ船酔いするエグモントだけは意見が違うようだ。
「また船に乗るのか……」
エグモントが暗い顔をしている。
「そう言えば、ライノサーヴァントのボーンエッグが二〇〇個近く集まった。これで騎兵部隊を編成できる」
「騎兵を人選しなければならないな」
「お前が人選するか?」
「いや、父上に任せます」
兵士の能力については、カルロスやゲレオンたちが一番詳しいだろう。その彼らから報告を受けているエグモントが適任だろうと思ったのだ。
数日後、デニスとエグモントは、ベネショフ領が所有する二番目の帆船であるアステリア号に乗って王都へ向かった。
ベネショフ領の造船所で建造された二隻目になる帆船は、メルティナ号と同型船であった。ちなみに、拡張された造船所で建造中の船は、王家から依頼があった武装帆船である。
「デニス殿、物見台を完成させたようだな」
甲板で海を眺めていたデニスに、クリュフバルド侯爵が話しかけた。クリュフ領の西側にも物見台が建設中だと聞いている。たぶんベネショフ領が建設した物見台を参考にしているのだろう。
「ええ、御前総会の前に完成できて幸いです」
「羨ましいね。我々が建設している物見台は、後一ヶ月ほどかかりそうだ。ところで、ベネショフ領は帆船を何隻所有するつもりなのかね?」
「今年は、もう一隻建造する予定です」
「儂も帆船を所有したいのだが、残念ながらクリュフ領には海がない」
「所有していなくとも、使うことはできます。それでいいではないですか」
クリュフバルド侯爵が苦笑いした。
「商売が上手いな。クリュフ領を顧客にしようと言うのだな」
「そういうわけではないのです。例えば、他の領地の港を借りて、帆船を所有するということもできます。ですが、領地の特性を無視した産業を大きくするには、通常以上に費用が必要でしょう」
「なるほど、産業を育てようと思うなら、領地の地勢や気候・特性に合ったものを選べということか」
「ご明察です」
そんな話で船旅の単調な時間を潰して旅を続けた。そして、ロウダル領に到着。そこから王都へ向かった。
王都の屋敷に到着したデニスたちは、屋敷の風呂で旅の疲れを洗い流し休んだ。
翌日、デニスは賢人院へ行ってみた。洒落た建物が建っていた場所は、更地になっていた。誰かが残骸を片付けたようだ。
「これは……跡形もなくなっている」
デニスはグリンデマン博士の屋敷に向かった。事情を聞くためである。
「誰かと思ったら、デニスではないか」
家から出てきたグリンデマン博士が出迎えてくれた。
「博士、無事だったようですね」
「事故のことは聞いたらしいな。あれは夜中だったので、死者はヤルミル博士だけだったのだ」
デニスは博士の書斎に招き入れられ話をした。
「ヤルミル博士は、どんな研究をしていたんです?」
「迷宮石に関するものだったようだが、詳しくは知らんのだ」
しばらくの間、ヤルミル博士について経歴などを聞いた。賢人院がなくなったので、グリンデマン博士は暇だったらしい。王政府は再建すると言っているが、二年ほどかかるようだ。
「誰か研究について知っている人に、心当たりがありませんか?」
「役人たちも調べておったのだが、分からんかったようだ。エックハルトに訊いた方がいいかもしれん。奴はヤルミルの飲み友達だったからな」
デニスはエックハルト博士の家を訪ねた。そして、エックハルト博士から、ヤルミル博士が奇妙な迷宮石を手に入れたという話を聞いた。
どこで手に入れたか尋ねると、王都の商店街にある店だという。店の場所を確かめ、そこへ向かった。
王都の商店街は、昨年以上に賑わっていた。バイサル王国との貿易で仕入れた商品が売られるようになり、周辺の町からも大勢の商人が来ているのだ。
探している店は、商店街の端に近い場所にある宝石店だった。中に入って店主にヤルミル博士が何を買ったか尋ねる。
「あれは、ラング神聖国の朝市で手に入れた迷宮石だったのです」
「どんな迷宮石だ?」
「私の目には、普通の迷宮石だとしか……ただ朝市では相場の半額で売っていました」
安かったので、店主は仕入れたらしい。デニスは溜息を吐いた。
「実物があれば、何か分かったんだが……」
その言葉を聞いた店主は笑った。
「ありますよ。一個だけ残っています」
元々二個だけ仕入れたのだが、ヤルミル博士は一個分の所持金しかなく一個は残っているという。
デニスは即座に買い取った。見た目は普通の迷宮石である。
その迷宮石を手に取り、じっくりと調べようとした時、違和感を感じた。デニスは迷宮石を調べるために『結晶化』の真名を解放し、真名の力を借りて調査する。
「これは……」
この迷宮石は、魔源素結晶と魔勁素結晶が半々に混じり合った迷宮石だったのだ。




