scene:177 賢人院の事件
騒ぎが収まると、小雪は由香里に先に帰るように言った。
「そうね。ところで、小雪。聖谷さんて凄い人ね」
「まあ、そうね」
「逃さないようにしなさいよ」
その言葉を聞いて、小雪は顔を赤くした。
レストランで暴れた獅子王は、雅也に取り押さえられ特殊人材対策本部の黒部に引き渡された。
「獅子王には、がっかりさせられましたよ」
黒部が不機嫌そうな顔で言った。
京極審議官がリタイアしたことで、黒部は本部長代理に昇進していた。本部長は他の役職と掛け持ちなので、実質上黒部が特殊人材対策本部のトップということになる。
「獅子王はどうなるんだ?」
「暴行罪か傷害罪で逮捕されることになります。聖谷さんに取り押さえられてしまいましたから、弁護士が出てくれば不起訴になるかもしれません」
レストランの従業員が突き飛ばされ少し怪我をした程度なので、大した罪にはならないという。しかし、特殊人材対策本部では、獅子王を要注意人物としてリストに載せるらしい。
「ところで、日本のタンカーが海賊に襲われたという情報を聞きましたか?」
「詳しいことは知らないが、そうらしいね」
黒部から聞いた話だと、海自と海賊の間で戦闘が起きたらしい。海賊はタンカーを乗っ取り、どこかに運ぼうとしたようだ。海自の護衛艦が追い付いた時、海賊はミサイル艇を殿に配置し、ミサイルで攻撃してきた。
護衛艦は先制攻撃できないので、海賊の先制攻撃を受けてしまい死傷者を出した。
死傷者の話を聞いて、雅也は暗い気持ちになった。自衛隊は停船を呼びかけたのだろうが、答えはミサイルだったのだ。
ミサイルの攻撃を受ける寸前、武装翔空艇は離陸していたという。攻撃を受け被害を出した護衛艦の艦長は、武装翔空艇のパイロットに攻撃命令を出した。
ランダムに軌道を変えながらミサイル艇に近付いてくる武装翔空艇に向かって、ミサイル艇の機関砲が火を吹き、武装翔空艇は動真力エンジンを積んでいる機体にしかできない機動で射線をかい潜り、対艦ミサイルを発射した。
「その一発で、ミサイル艇は戦闘不能になったそうです」
タンカーの船員を人質に取った海賊は、アメリカの特殊部隊により制圧され、タンカーの乗員から犠牲者を出すことなく事件は解決したという。
黒部と別れ、小雪と雅也は本社に戻った。防衛装備庁の永野から、連絡があり詳細な武装翔空艇の活躍を聞いた。
マナテクノにとっては嬉しい知らせだった。自社の製品が日本の役に立ったのだから。ただ武装翔空艇のパイロットからクレームが出た。
武装翔空艇しかできないような機動を行うと、意識が飛びそうになるのだそうだ。これは武装翔空艇でも耐Gスーツが使えるようにするしかないようだ。
仕事が終わり自宅に戻って寝た雅也は、異世界のデニスが大きな発見をしたことを知った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ベネショフ領では開発事業が大いに進み、外部から大勢の人材を引き入れることにした。最初は女性建築家のルイーゼである。
二年ほど前から、ルイーゼをスカウトしようと働きかけていたのだが、王都北部の開拓事業の仕事を請け負っており、終わるまで新たな契約を結べなかったのだ。
なにせ、契約相手が王政府なのでキャンセルなんてできない。ようやく開拓事業が終わり、自由になったルイーゼがベネショフ領に来てくれた。
「ベネショフ領の新しい街をどう思う?」
デニスがルイーゼに尋ねた。二人は大斜面の最上部にある新しい領主屋敷の建設予定地に立って、大斜面を見下ろしていた。
「なぜ、こんな斜面に街を作ろうと思ったの?」
「水の力を工場の動力源として使おうと思ったからだ。ついでに貯水池に溜め込んだ水は、街の水源として利用する。この街は、世界で一番進んだ街になるだろう」
ルイーゼはほとんど水路と道路しかない斜面を見下ろした。例外は紡績工場である。優先的に建設を開始した工場だけは完成していた。
「世界で一番進んだ街……いいですね。完成した姿を見てみたい」
「ここで働いてもらえれば、見られますよ」
「それは嬉しい。ですけど、建設資金は足りるの?」
「心配いらない。ルイーゼは最高の仕事をしてくれればいい」
工場では綿糸と綿織物の製作が始まっており、その製品はバイサル王国へと輸出されている。ブリオネス家はまだ子爵ではないが、子爵の平均的な収入の二倍ほどの収入があるのだ。
「ふーん、王都の仕事とは大違いね」
デニスは意味が分からず、訝しげな顔をする。
「役人が、もっと安くできないかと五月蝿いのよ」
役人が経費に五月蝿いというのは、ちゃんと仕事をしているということだ。ベネショフ領はバブル景気気味なので、見習わなければならない。
ただ言い訳すると、経費を渋れば建設作業が遅くなる。ベネショフ領では経費節減より、作業スピード優先で仕事を行っているのだ。子爵となるための準備なので仕方ないとルイーゼに説明した。
「それで、私は何をすればいいんです?」
ルイーゼには、工場で働く労働者が住む集合住宅の設計と領主屋敷の設計を手伝ってもらうことにした。
屋敷に戻ったデニスは、エグモントにルイーゼのことを報告する。
「新しい屋敷は、いつ頃完成するんだ?」
「やはり、一年ほどは必要だよ」
工場などは簡単な構造なので割と早く完成したが、領主屋敷ともなると時間が必要だった。
「そうだ、王都よりオルサムが来ておる。交渉を頼む」
「オルサム? ああ、王都の織物問屋か」
王都の織物問屋とは、地方で生産された布を仕入れて王都の仕立て屋などに売るという商売である。
ベネショフ領では、工場で織られた綿織物の一部をオルサム商会に売っている。今年分の綿織物について、仕入れ交渉に来たのだろう。
街の宿屋に泊まっているオルサムを呼び出した。旅が多いのか、日焼けした健康そうな男だ。屋敷の応接室で商談が始まった。
「ベネショフ領で作られているデニム生地は、素晴らしいですな」
デニム生地は綾織と呼ばれる織り方で作られた綿織物である。これは太番手の綿糸を使って織られているので、丈夫であり長持ちする。
また、安い染色剤を使って染められた経糸を使っているので、割と安価だった。
「昨年仕入れた生地は、評判が良くてすぐに売り切れてしまいました。今年は昨年の倍を購入したいと思っています」
「ベネショフ領としては嬉しいですが、王都での需要はそんなに増えているんですか?」
「ええ、バイサル王国との貿易で利益を上げた貴族が、買っているのです」
デニスは首を傾げた。デニム生地で作られた服は、貴族が着るような服ではない。
「意外に思われるのは、無理もありません。貴族の間では、デニム生地で乗馬ズボンを作ることが流行っているのです」
今までの乗馬ズボンの生地は、あまり丈夫ではなかった。なので、よく破れたそうだ。仕立て屋の一人が乗馬ズボン用の丈夫な生地を探し回り、デニム生地を探し当てたらしい。
値段交渉が終わり雑談が始まった。
「そう言えば、賢人院が全壊した事件を聞かれましたか?」
「えっ、賢人院が……博士たちはどうなったんです?」
「迷宮石の研究をされていたヤルミル博士が、亡くなったそうです」
「ヤルミル博士だけなのか?」
「ええ、全壊したのは夜中のことだったそうです」
顔見知りのグリンデマン博士やエックハルト博士が、無事なのを知ってホッとした。それと同時にヤルミル博士が何を行ったのだろうという疑問が湧いた。
雑談が終わり、オルサムが帰った。紡績工場の倉庫からデニム生地を出して、オルサムに渡すように指示しなければならない。
一人になったデニスは賢人院のことが気になった。迷宮石を研究していたヤルミル博士が、それだけの破壊的な失敗をしたということは、迷宮石に莫大なエネルギーが眠っているということになる。
「面白い、ヤルミル博士がどんな研究していたか、調べられないかな」
魔勁素結晶をエネルギー源とする迷宮装飾品も存在する。なので、魔源素や魔勁素がエネルギーとなることは、判明している。だが、そのエネルギーが使えるのは、迷宮装飾品という限られた道具に制限されている。
デニスは強い興味を持った。もっと広範に使えるエネルギー源にならないかと希望を持ったのだ。




