scene:176 日本宇宙太陽光発電機構
マナテクノが宇宙事業を立ち上げると発表した一ヶ月後。
気候変動枠組条約締約国会議がオーストラリアのシドニーで開かれた。その会議に参加した経済産業省の倉崎大臣は、会議後の会見で各国のマスコミから責められていた。
「倉崎大臣、日本はCOP25で最初の『化石賞』に選ばれました。その後、前向きなアイデアは出たのですか?」
化石賞というのは、地球温暖化対策に後ろ向きと認定された国に贈られる不名誉な賞である。その化石賞と聞いて、倉崎大臣は顔をしかめた。
「日本も環境問題について、様々な施策を打ち出しております。例えば、炭素固定化技術に対する研究費の増額です」
炭素固定化技術は、二酸化炭素を大量に排出する工場などで二酸化炭素を分離・回収し、地中または海中に貯留する技術である。
アメリカの有名テレビ局のニュースリポーターが身を乗り出した。
「増額と言われていますが、三割の増額では少なすぎませんか?」
元々の予算が少ないので、画期的に研究を進めるためには一〇倍ほどに増額しなければならない。そのことは倉崎大臣も分かっていた。
「炭素固定化技術は一例にすぎません。日本が一番力を入れようとしているのは、宇宙太陽光発電です」
一瞬、会見会場にいた人々が呆気に取られた。アメリカでも宇宙太陽光発電システムは、研究されていた。但し、コスト的に見合わない馬鹿げた計画だと批判され、プロジェクトは中止になっている。
おかげで細々ではあるが研究を続けていた日本が、この分野では先頭を走っている。だが、このシステムを実現するには、莫大な資金が必要だった。
だからこそ、アメリカや他の国は宇宙太陽光発電に消極的なのだ。
宇宙太陽光発電と聞いたマスコミたちは、二、三〇年先の話だと思ったようだ。
「将来の話ではなく、近々の対策を伺いたいのですが」
マスコミの一人が声を上げた。
「宇宙太陽光発電システムの構築は、遠い先の話ではない。日本企業であるマナテクノが、システムの部品を運搬する輸送船開発を始めております」
マナテクノという企業名を聞いたマスコミは、ざわついた。マナテクノは動真力エンジンを開発し、世界的に注目されるようになった企業だったからだ。
「マナテクノということは、動真力エンジンを使った宇宙船ということですか?」
マスコミの質問に倉崎大臣が頷いた。
「御存知の通り、動真力機関はロケットエンジンの推進原理と比べ、根本的に異なります。動真力機関の推力は、引力のような力として働きます。宇宙船の動力として最適だと思いませんか?」
倉崎大臣の言葉に、今度はマスコミが頷いた。
「それは理解しています。ですが、日本は本気で宇宙太陽光発電システムを構築するのですか。莫大な予算が必要になりますよ」
日本政府は、マナテクノの宇宙事業に対して少しだけ資金援助しようと考えていた。日本は環境問題に関して真剣に努力しているのだという姿勢を、国際的に示したかったのだ。
だが、マスコミは懐疑的で、どれほどの予算を出すのか知りたがった。その金額により、日本の本気度を計ろうと考えたのだろう。
「とりあえず、日本が本気だと分かる金額を出すつもりだ」
この時点では、予算など決まっていなかったので、明言するのは避けた。ところが、マスコミの間から拍手が湧き起こる。日本が本気だと信じ、その英断を称えてのことだった。
倉崎大臣が気づかないうちに話が大きくなっていく。海外ニュースで話題になり、日本が本気と言った金額がネットを中心に論争を起こしていたのだ。その中では五〇〇〇億円とか一兆円という数字が出回り始めていた。
日本国内でも、宇宙太陽光発電システムに対する期待が膨らんだ。その結果、野党も騒ぎ始め、日本独特の空気というか、熱狂状態が出来上がっていった。
その空気に押されるように、閣議で予備費から大きな資金が出されることに決まった。
急遽、数社の企業トップが集められ、一つの組織が編成される。日本宇宙太陽光発電機構だった。
そして、その組織の核となるのが、雅也のマナテクノである。
その日、雅也は小雪と一緒に第二工場へ来ていた。救難翔空艇を製造している第二工場の一画に、『起重船』に搭載する大型大出力の動真力エンジンを開発する研究部署が設立されていた。
起重船というのは、静止軌道まで荷物を運ぶ宇宙船のことだ。重い荷物を上げ下ろしする機械をクレーンまたは起重機という。その起重機のように荷物を運び上げる船という意味である。
工場に入った二人は、巨大なエンジンをチェックした。雅也は製造主任の長瀬に尋ねた。
「このエンジン一つで、実際どれくらいの荷物を持ち上げられるんだ?」
雅也は仕様や設計上の性能は知っていた。だが、実際に試験運転して出た結果を知りたかったのだ。
「要求仕様通り、およそ七トンです」
ひょろりとした長瀬主任は、誇らしそうに笑って答えた。
小雪がエンジンを眺めながら質問した。
「起重船には、何基のエンジンが必要なんですか?」
「九基か一〇基は、必要になると思います」
起重船は五〇トンの荷物を宇宙に運び上げることを目標として設計が始まっている。その設計の進捗を確認してから、二人は工場を出た。
雅也たちは駅に向かった。
「もうすぐトンダ自動車が、スカイカーの発売を始めるんですよね。日本でも乗れるようになるんですか?」
「いや、法整備にもう少し時間がかかりそうだ」
日本は免許などの制度整備が遅れていた。一方、アメリカはすでに終わっており、都市部以外では自由に乗れるようになっている。
本社から近い駅で電車を降り、繁華街に向かう。二人並んで通りを歩いていると、小雪の名前が呼ばれた。
振り返ると小雪と同年代の男女の姿があった。
「知り合い?」
雅也が小雪に尋ねる。小雪が頷いた。
「高校時代のクラスメートです」
「久しぶり」
「二人が東京の大学へ行った時以来じゃない」
小雪は地元の大学を選んだが、二人は東京の大学を選んだのだ。
ちなみに二人はクラスメートだったが、そんなに親しい友人ではなかった。
一緒に食事をすることになり、近くのレストランに入った。
席に座り、自己紹介が始まった。
「俺は同じ職場で働いている聖谷です」
「何だ、恋人じゃなかったの?」
小雪の級友がからかうように言った。小雪が顔を赤くする。
「私のことはいいから……二人は付き合っているの?」
小雪の級友の一人である吉岡由香里が笑顔で頷いた。その恋人である三浦も嬉しそうにしている。
「どんな仕事をしているんです?」
三浦が雅也に尋ねた。
「うちの会社は、エンジンの製造をしています」
「へえー、工場なんだ。僕はT大学を出てから外務省に入ったんだ」
訊いてもいないのに、三浦が外務省の役人だと言う。ちょっと自慢そうだ。
雅也は外務省と聞いて少し興味を持った。
「外務省か、どんな国を担当しているんだ?」
「中東だよ」
「大変だな。海賊の活動が活発化しているそうじゃないか?」
「よく知っていますね。日本の輸送船には被害はないけど、インドと韓国の輸送船が拿捕されて問題になっています」
雅也も武装翔空艇が中東で使われるかもしれないので調べていた。以前から海賊が存在する海域だと言われているが、最近の海賊には何か違和感があった。
使う武器が新しくなり強力な黒幕が存在していそうなのだ。そんなことを考えていた時、三浦のスマホが鳴った。
「ちょっと、すまない」
スマホを取り出して、メールの確認をする三浦。そのメールを見て顔色を変えた。
三浦が思わず声を出した。
「海賊が日本のタンカーを襲っただと……」
一大事が起きたようだ。三浦は由香里に謝ってから食事もせずに外務省に向かった。
残された雅也たちは、三人で食事を始めた。小雪が由香里に視線を向けた。
「大変みたいね」
「こんなことは初めてよ。大丈夫かしら」
小雪が雅也にもの問いたげな視線を向ける。
「海上自衛隊が何とかしてくれるさ。十分な戦力があるんだから」
戦いの話をしたからじゃないが、レストランでも窓側の席で食事をしていた男女が大声を上げて喧嘩を始めた。
どうやら別れ話になっているようだ。
「あれって、獅子王じゃない」
小雪が誰か分かって声を上げた。
「そうみたいだな。怪我は回復したようで、良かったじゃないか」
世界頂天グランプリの東アジア予選に出場して、頸骨にヒビが入った獅子王は回復したらしい。
中東では海賊相手に自衛隊が戦っているというのに、日本では痴話喧嘩か、と雅也はげんなりした。
レストランの従業員が喧嘩の仲裁に入る。気の立っていた獅子王は、その従業員を突き飛ばした。
「おいおい、何やってるんだ」
雅也は獅子王のところへ向かった。
由香里は心配顔で小雪に尋ねる。
「大丈夫なの?」
「獅子王は、雅也さんの知り合いよ」
「そうなの」
雅也は獅子王に声をかけた。
「こんな場所で、何をやっているんだ」
「ん、聖谷か。口を挟むな」
獅子王の相手を見ると、怯えた顔をしている。
「彼女、怯えているじゃないか」
「黙れと言っただろ!」
獅子王が雅也の胸ぐらを掴んだ。その顔には狂気が浮かんでいた。
「よせ」
雅也が言った瞬間、獅子王が拳で雅也の顔を殴ろうとした。雅也は右手で拳を受け止め、握りしめる。獅子王の顔が痛みで歪んだ。
獅子王は『剛力』の真名まで使って、本気の蹴りを放った。雅也は跳び離れて距離を取る。それからは無茶苦茶だった。レストランの中だというのも忘れた獅子王は、本気で雅也に戦いを挑んだのだ。
雅也は獅子王の猛攻を捌きながら、冷静にチャンスを待った。呼吸を止めて連打を放った獅子王が息を吐き出した瞬間、雅也はタックルするように接近して獅子王の胴体を抱えクルリと回した。
上下逆さまになった獅子王が足をバタバタさせる。雅也は獅子王の頭を両膝で挟んだ。パイルドライバーの体勢である。
また東アジア予選で食らった技を受けることになるのかと、獅子王は恐怖した。
「僕が悪かった、やめてくれ!」
雅也はゆっくりと獅子王の身体を下ろし、手を離した。獅子王の身体が床に投げ出される。その拍子に、何かが飛んだ。
よく見るとズラだった。獅子王の頭には大きなハゲが残っていたのだ。
「ふん、けが……けがはないようだな」
小雪が鋭い視線を向ける。
「オヤジギャグは、マイナスポイント」
雅也は肩を竦めた。




