scene:175 ベネショフ領の新たな住人
デニスとランドルフは、王族のプライベートな空間へ案内された。リビングではハイネス王子とテレーザ王女、それにイザベル王妃がお茶を飲んでいた。
「よく来てくれた」
ハイネス王子が立ち上がって出迎える。王子はデニスより四歳年下で、王立ゼルマン学院の生徒だ。
ランドルフとデニスは王族の方々に挨拶をした。
ハイネス王子がデニスたちを呼んだのは、チグレグ川の戦いについて詳細を聞くためらしい。デニスとランドルフは交互に戦いの様子を語った。
王子は、デニスたちが敵船に向かって一斉に放出系真名術を放った様子を詳しく聞きたがった。デニスは最後に敵の一人が川を越えて遠距離攻撃したことを話した。
テレーザ王女が不思議そうな顔をする。
「真名術は、そんなに遠くまで届くものなのですか?」
「いえ、普通の真名術では届きません。特別な真名を手に入れたか、何か工夫をしているのだと思います」
ハイネス王子が口を挟んだ。
「そんな特別な真名なんて、聞いたことがないな。デニスは知っているの?」
デニスは否定した。王子の視線がランドルフにも向けられたので、彼も否定した。
「ただデニス殿は、何か知っておられるようです。彼自身も川越しに敵を攻撃したのですから」
チグレグ川の戦いについては、正式な報告書が出ている。デニスが川を越えて遠距離攻撃した事実は、報告済みなので、ランドルフは正直に話した。
「へえー、デニスも遠距離攻撃できるんだ。どうやったか聞いてはダメかな?」
デニスは苦笑いした。重起動真名術については秘密にしている。国王自身が尋ねたのならば話すことになるが、王子ならば秘密にしていることを伝えればいいだろうと判断した。
「申し訳ありません。遠距離攻撃真名術は秘密にしています。苦労して真名術の研究を行い、ある重要な発見をし、遠距離攻撃可能な真名術が生まれたからです」
イザベル王妃が大きく頷いた。
「そうですね。苦労して発見したものを、簡単に教えられないのは当然です」
「ご理解感謝します。ただ国防のために陛下が必要だと判断された場合は、お話します」
突然、デニスの背後から声が上がった。
「それは真か?」
デニスとランドルフは、驚いて振り向いた。そこには国王が立っていた。慌てて膝を突こうとする二人。それを国王が止めた。
「よい。ここでは型通りの礼儀は無用である。それより、そちが使った遠距離攻撃真名術は、他の者でも身に付けられるものなのか?」
「危険もあり難しいのですが、可能でございます」
「ふむ、面白い」
国王は、デニスが珍しい魔物を倒し貴重な真名を手に入れたのだと、思っていたらしい。確かに『爆噴』の真名は珍しいものだが、ワイバーンは珍しくはない。ただ倒すのが難しいというだけだ。
国王がデニスに視線を向けた。
「ベネショフ領とクリュフ領は、貧民街で労働者を募集するそうだな」
「はい。大斜面の開発や、新しい領地を開発する必要があるのでございます」
ランドルフも新しい領地を開発するために必要なのだ、と述べた。
「東方に領地を持つ貴族たちが、羨ましがっておった。彼らは開発するだけの資金がないのだ」
ベネショフ領やクリュフ領に開発する余裕があるのは、バイサル王国との貿易で大きな利益を上げているからである。
特にクリュフ領の高級織物とベネショフ領の綿糸・格安織物は、バイサル王国で大いに売れた。さらにはバイサル王国の砂糖がゼルマン王国で人気商品となり、莫大な利益を上げている。
デニスやランドルフの父親は、貿易の利益を計算して高笑いを上げていると噂が飛び交っていた。
デニスは、国王が意味ありげな目をしているのに気づいた。
「陛下におかれましては、東方の貴族にも貿易に参加させるべき、との御意向でしょうか?」
「無理にとは言わんが、西と東で軋轢を生むことは避けたい」
一国を統治する国王としては、当然の判断だろう。西の貴族だけを贔屓していると思われるのは、王家としても好ましくないのだ。
しかし、そうなると砂糖やリリオラ磁器から得られる利益を、東の貴族たちと分け合うことになる。ベネショフ領とクリュフ領としては面白くない。
だが、断れば東の貴族たちから足を引っ張られるということもあり得る。貿易で儲けているのだから、手伝い普請は全てベネショフ領とクリュフ領がするべきだとか、主張されると困ったことになる。
その時、デニスの頭にラング神聖国の存在が浮かんだ。もしかすると、国王はラング神聖国に対する防衛力を上げるために、東の貴族たちを支援したいのかもしれない。
ここは東の貴族たちにも恩を売っておくべきだろう。
「クリュフバルド侯爵家がよろしければ、陛下の御意向に沿った形で貿易事業を進めたいと思います」
国王がランドルフに視線を向けた。
「……もちろん、我が侯爵家も賛同いたします」
ランドルフとしては、そう答えるしかなかっただろう。
王子から強請られたチグレグ川の戦いを語り終わったデニスたちは、白鳥城から外に出た。
「デニス殿、どうして東の貴族たちを貿易に参加させることにしたのだ?」
デニスは白鳥城で考えたことを、ランドルフに伝えた。
「なるほど、手伝い普請とラング神聖国か、あり得るな。それに東の貴族たちに恩を売れる」
ランドルフも同じようなことを考えたようだ。
デニスはランドルフと相談して、隔月で王都からバイサル王国まで貨客船を出すことに決めた。そのことを迷石ラジオで放送したところ、多くの貴族が歓迎した。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その日、王都モンタールの貧民街では労働者を募集していた。募集しているのはクリュフバルド侯爵家とブリオネス男爵家である。
「姉さん、どっちに応募するの?」
妹のヨハンナが尋ねた。
貧民街に住む姉デリアは一四歳、妹ヨハンナは八歳の姉妹である。彼女たちの両親は、セシェル領の農民だったのだが、数年前にダミアン匪賊団に殺された。
姉妹はいろいろあって、王都の貧民街に流れてきた。今までは王都民の雑用を引き受けて、何とか生きてきたのだが、貧民街での生活は危険だった。
そこでクリュフ領かベネショフ領のどちらかに行くことにしたのだ。
「できれば、大きな街があるクリュフ領に行きたいんだけど、クリュフ領は男の労働者だけを集めているようなの」
「だったら、ベネショフ領?」
「そうだね。あそこは機織りをする者を募集しているの」
ヨハンナが自分の着ている服を見た。継ぎ当てだらけのボロボロの服である。
「ベネショフ領に行ったら、もう少し綺麗な服が着れるかもしれないよ」
「そうだといいね」
二人は白いテントが張られている場所へ向かった。そこには逞しい体格をした二人の男が椅子に座っている。
貧民街は元から男が多い。男たちはクリュフ領のテントに集まっているので、ベネショフ領のテントの前には人が少なかった。
「あのー、私たちを雇ってもらえませんか?」
恐る恐る尋ねたデリアだったが、なぜかあっさりと雇ってくれた。どうやらクリュフ領に人気が集中して、困っていたらしい。
名前や出身地・家族構成となぜ貧民街に流れてきたかが確認された。デリアたちは、船でベネショフ領へ行くことになるらしい。
「あたしたち、何もできないんですけど、大丈夫ですか?」
対応してくれたのは、ミヒャエルというベネショフ領の従士らしい。
「それは大丈夫です。仕事に関しては指導係がいて、丁寧に教えますから」
ベネショフ領は女性を中心に大勢の労働者を雇用した。その人々は船に乗せられ、ベネショフ領へ向かう。
甲板の上で海を眺めていたデリア姉妹に、クリュフバルド侯爵家に雇われた男が話しかけた。
「お前ら、ベネショフ領に雇われたのか?」
「そうです」
「馬鹿だな。男爵領なんて、貧乏に決まっているだろ。苦労するぞ」
ヨハンナが心配顔で姉を見た。
「貧民街よりは、マシよ」
「うん」
ベネショフ領に近付いた帆船から町が見えてきた。町の様子を目にした姉妹は、目を輝かせた。
「綺麗な町……」
デリアたちの目の前に広がるのは、広い道路と住宅、耕作地が混在する町だった。王都のような賑わいはないが、想像していた町より建物の数が多い。
町には新しく建てられたと分かる家や商店が多いようだ。貧乏な領地には見えなかった。
ミヒャエルが二人の傍に来て、話しかけた。
「ベネショフ領へようこそ。二人には織物工場で働いてもらうことになる。食べ物や服は支給されるし、寝る場所も用意されている。ちゃんと給金も出るからな」
それを聞いたデリアは涙が溢れ出た。今まで明日は死ぬかもしれないと思いながら生きてきた。やっと将来が考えられる生活を始められるのだ。
姉妹の目はベネショフ領が輝いているように見えた。それはベネショフ領で働くことになる者たちも同じであり、今日からのベネショフ領での生活に期待した。
『第5章 群雄編』は終了です。
次章からは、不定期の投稿になります。




