scene:172 マナテクノの新事業
ヌオラ共和国との戦いが終わり交渉も済んだ頃、雅也は特殊人材対策本部の黒部と話し合いをしていた。場所はマナテクノ本社の雅也の部屋である。
「台湾の真名能力者が、異変を起こしたという話だけど、どういうこと?」
雅也が黒部に尋ねた。
「その真名能力者は、家族と一緒に住んでいました。その日、起きてこない真名能力者の男を母親が起こしに行ったところ、ベッドの上で昏睡状態になっている息子を発見したそうなのです」
「病気か何かだったの?」
「それだったら、我々が騒いだりせんよ」
黒部の話では、病院に運ばれた昏睡状態の男は三日間眠り続け、目を覚ました時に記憶喪失に陥っていたそうである。
「消えた記憶なんですけど、クールドリーマーになった以降のものだけです」
「……まさか」
「ええ、どうやら異世界のバディが死んだようなのです」
その情報を聞いて、雅也は暗い表情をした。
台湾の真名能力者が昏睡状態になった日時を考えると、デニスが戦ったチグレグ川の戦いで、その男のバディは死んだようだ。
「台湾のドリーマーギルドが詳しく調査したのですが、その彼は真名術が使えなくなっていました」
「へえー、異世界のバディが死ぬと記憶と真名を失うということか」
「そのようです。ただ不思議なことが一つあります」
「不思議なこと……何?」
「昏睡状態になった真名能力者が、手に真珠のようなものを握りしめていたらしいのです。台湾の研究者が調べていますが、正体は不明ということです」
雅也は真珠のようなものというのが気になった。だが、実物が台湾にしかないのなら調べられない。
「日本では、真名能力者のバディが死んだという例はないの?」
「真名能力者はないです。ただクールドリーマーのバディが死亡した例はあります。その場合は、すぐに記憶喪失とはならず、ゆっくりと記憶が消えていくようです」
記憶と真名が結びついているのだろうか? 真名を手に入れた時に、真名の知識が頭に流れ込んで刻みつけられたことを思い出した。
「そのクールドリーマーのバディが亡くなった時は、真珠のようなものはどうだった?」
「何もありませんでした」
ということは、それが真名に関連するかもしれない、と雅也は推理した。
黒部は、台湾の真名能力者のバディがどういう状況で死んだのか、話を聞きに来たらしい。雅也はチグレグ川の戦いについて詳しく教えた。
「なるほど、ベネショフ領の西側で起きた戦いで死んだ可能性が高いというのですね?」
「たぶん、そうだ。ポルム領の近くで起きた戦いは、ゼルマン王国が一方的に敗北したようなので、そのバディがヌオラ共和国の人間なら、チグレグ川の戦いだろう」
「ふむ、ゼルマン王国とヌオラ共和国の戦いでは、引き分けのような気がするのですが、どうして賠償金がなしに?」
「ヌオラ共和国軍が大勢の捕虜を捕らえ、その中にメゾポルム男爵家の親族がいたためらしい。それに王家が数年前の戦いで結んだ賠償金を含む条約を、ヌオラ共和国に守らせるだけの兵力を維持できないと判断したからだそうだ」
ヌオラ共和国は、条約を結んだら必ず守るという律儀な国家ではない。それまで守っていたのは、ヌオラ共和国とゼルマン王国の軍事力を比べると、ゼルマン王国が優勢だったからである。
しかし、今回の戦いでヌオラ共和国の軍事力が侮れないものだということが分かった。そうなると、条約を守らせるためには、ゼルマン王国の軍事力を増強しなければならない。
正直、軍事力を強化する資金を出せないとゼルマン王国は思っているようだ。ヌオラ共和国のように増税すれば、資金を捻出できる。ただそうすると、国民や貴族が王家に対して不満を持つだろう。
話を聞き終わった黒部が帰った後、雅也はバディが死んだ場合のことを考えた。
「デニスが簡単に死ぬとは思わないけど……知識面でのサポートを強化して、死なないように努力しよう」
雅也には一つのアイデアがあった。それは日本の医学知識をデニスの世界に導入できないかというものだ。デニスの世界の平均寿命は、五〇歳ほどである。
戦争や争いごとで死ななければ、たぶん病気で死ぬ可能性が高い。医学知識を広めれば、平均寿命も伸びるだろう。そうなれば、デニスが長生きする可能性も高くなる。
将来的には、ベネショフ領に大きな総合病院と研究施設を建てることも考えている。それに栄養学的なことから、様々な食材を活用する健康に良い料理も、ベネショフ領に広めようと考えていた。
そして、農業の知識も重要である。手始めに魚肥を導入したが、まだまだ広まっていない。これまでは雅也の思いつきで、様々なことをベネショフ領に導入しようとしていたが、考え方を変える時期に来ているかもしれない。
体系的に知識や情報を整理して、発展途上国にどのように導入すれば、社会が発展するのか研究する組織を創設するのが良いかもしれない。
そうすれば、ゼルマン王国だけではなく、地球の発展途上国にも有益なものになるだろう。そんなことを考えて一日が経過した。
翌日、神原社長が重役を集めて会議を開いた。
「ようやく儂の悲願である宇宙事業を開始できる余裕ができた」
マナテクノを設立した動機が、月に行くことだったのだ。神原社長としては、ようやくという表現になったのだろう。
中園専務が苦笑している。専務としては、道楽のような事業はやめて欲しいのだ。だが、マナテクノを設立した理由が宇宙事業を始めることだと聞いているので、止められなかった。
雅也はロケットを作るのかと尋ねた。
「ロケットじゃない。儂らが建造するのは宇宙船だ」
「月まで飛べる宇宙船を建造するんだ」
神原社長が首を振った。
「それは無謀だ。まずは約三万六〇〇〇キロ上空の静止軌道まで飛べる宇宙船の建造を目標にする」
「有人?」
「いや、まずは無人機だ。ただ次の段階として有人も計画している」
中園専務が溜息を吐いて意見を述べた。
「目標が、宇宙船を静止軌道まで飛ばすだけというのは、企業として問題がある。その点はどうするのです?」
専務は宇宙事業が会社の利益に繋がることが必要だと意見した。
「それも考えておる。宇宙体験ツアーと宇宙太陽光発電システムの開発だ」
神原社長が言う宇宙太陽光発電システムというのは、日本上空の静止軌道に巨大なソーラーパネルを建設して発電し、その電気をマイクロ波やレーザービームで地上へ送り、エネルギー源として活用する計画である。
「宇宙体験ツアーはまだしも、宇宙太陽光発電は莫大な予算が必要になるのじゃないか?」
専務の質問に神原社長が頷いた。
「まあ、そうだ。ただ宇宙太陽光発電は、将来的な目標だ。直近は宇宙船の開発を優先する」
その宇宙船は二人乗りであるが、無人でも飛べる機能を組み込むらしい。
神原社長は目を輝かせて宇宙事業について語った。中園専務が社長の計画に水を差すように意見を述べた。
「私としては、第三工場を完成させ、着実に会社を大きくして欲しいんだがな」
神原社長が否定した。
「ダメだ。宇宙事業の開始を遅らせたら、儂が生きているうちに、月へ行けなくなる」
マナテクノの宇宙事業部が創設された。その部長は神原社長が兼任することになった。とはいえ、すぐにでも宇宙船の建造が始まるわけではない。最初は少予算で基礎研究を始め、基本的な宇宙船の仕様が決まったら、設計に取り掛かることになる。
そのことは、日本ではあまり大きく報道されなかったが、世界の宇宙関連企業や軍関係者には注目された。
軍関係者は日本の自衛隊が関連する事業なのではないかと警戒したようである。海外の軍関係者が、日本に問い合わせたことで、閣僚たちもマナテクノの宇宙事業を知った。
その閣僚の中で強い関心を持ったのが、経済産業省の倉崎大臣である。
「マナテクノが、宇宙太陽光発電を事業化すると言っているらしい。調べてもらえないか?」
大臣が秘書に指示を出した。
倉崎大臣が興味を持ったのは、同じようなことを経済産業省が計画しており、予算をつけていたからだ。
その計画には宇宙航空研究開発機構も参加しており、基本的な問題はクリアしていた。
数日後、秘書が調査結果を纏めてきた。その報告書を読んで、倉崎大臣は久しぶりに胸をときめかせた。子供の頃、ロケットの打ち上げを見物に行った時のことを思い出したのである。
倉崎大臣はマナテクノを訪問し、宇宙事業計画について詳細を聞くことにした。そこまで倉崎大臣が注目したのは、日本の電力事情に問題があったからだ。
原子力発電は国民の反対により規模を縮小し、石炭火力発電は大量の二酸化炭素を排出するので、環境に良くないと非難する人々が増えたのである。
倉崎大臣は、日本の石炭火力発電技術を世界に誇れる技術だと思っているが、どうしても二酸化炭素の排出量は多くなる。その点を世界の環境に厳しい人々は許してくれない。
経済産業省の大臣が、マナテクノの宇宙事業について聞きたいと声をかけられたことに、神原社長は驚いた。そして、少し心配した。
「我社の宇宙事業に何か問題があると思うか?」
神原社長の問いに、雅也は首を振った。問題があるとは思えなかったのだ。




