scene:169 ヌオラ共和国の策動
十分にバイサル王国の視察を行ったデニスたちは、帰国することになった。
クリュフバルド侯爵は、バイサル王国の特産品を大量に購入したようだ。さすがに裕福な高位貴族である。デニスも購入したかったが、手持ちの資金がなかったので購入できなかった。
大斜面の開発で大量の労働力を雇っているので、仕方ない。貿易が軌道に乗れば、余裕も出てくるだろう。今回は侯爵が購入した荷物の輸送費だけで我慢するしかなかった。
デニスたちが帰り支度をしている時、ヨシフ侯爵が姿を見せた。
「デニス殿、お客様です」
「私にですか?」
ヨシフ侯爵が頷いた。
「それも、エゴール殿下なのです」
デニスは慌てて衣装を整え、屋敷の応接室に向かった。
デニスが応接室に入ると、エゴール王子が人払いをする。
「二人だけで話したいことがあるのだ」
ヨシフ侯爵や護衛が姿を消すと、王子が話し始めた。
「君はクールドリーマーだね」
「ということは、殿下も」
バイサル王国はゼルマン王国を調査していたらしい。その結果、ベネショフ領から新型帆船やラジオ放送という地球起源らしい発明が報告されたので、その発明者を探したようだ。
「私のバディは、インドネシアの者なのだが、君のバディは?」
「日本人です」
「それは素晴らしい。先進国の人なのか。将来、進んだ技術を導入できるのだな」
エゴール王子は、本当に羨ましく思っているようだ。
「いえ、この世界の技術レベルを考えれば、先進国かどうかなど、あまり関係ないと考えております」
「だが、日本といえば、魔源素の研究が一番進んでいる国ではないか。その研究成果をゼルマン王国に導入することもできるのでは?」
デニスが苦笑した。
「我が国には、日本の先進技術を導入するだけの基礎技術がないのですよ。産業革命の時代に開発された技術を導入するのが精一杯です」
「なるほど、それが布製品と綿糸ということか。ラング神聖国は蒸気機関を開発したようだし、産業革命時代の技術が導入しやすいのだな」
デニスとエゴール王子は、様々なことを話し合った。そして、最後にヌオラ共和国の話になった。
「ヌオラ共和国には気を付けた方がいい」
「なぜです?」
「ヌオラ共和国で新しい議員となったパヴェル・コフロンという男だ。あいつは危険だ。私が火薬を開発したのは、パヴェルに備えてのことだ」
「そのパヴェルという男は、何者なのですか?」
「元陸軍少将だった男だ。彼は野心家で、海軍の予算まで奪って陸軍を強化している。パヴェルが何を狙っているのか、警戒しているところなのだ」
「そのパヴェルもクールドリーマーなのですか?」
「それは分からない。だが、ヌオラ共和国は真名能力者の育成に力を入れている。それも陸軍の兵士を迷宮に派遣するという方法でだ」
ベネショフ領でも行っている方法なので、驚きはしなかった。だが、国軍の兵士を使って行っているのなら、ベネショフ領とは規模が違うだろう。
ただ人数が多くなると、一人一人の真名取得に時間をかけられなくなる。そこで数が多い魔物を狩って、真名を取得するように指導されるだろう。
ベネショフ領は、自領にある岩山迷宮を利用して兵士の真名取得を行っているので、強力な真名を数多く取得する者が多いが、ヌオラ共和国の兵士はどうだろう?
調べる必要があるかもしれない。
「最後に聞きたい。ゼルマン王国はなぜ、このタイミングで貿易拡大を言い出したのだ?」
デニスが笑顔を浮かべた。
「産業革命ですよ。供給量が増えれば、取引先を広げないと……」
王子は納得してくれたようだ。
エゴール王子が帰ると、クリュフバルド侯爵と外務卿がデニスの部屋を訪れた。外務卿が直球で質問した。
「殿下は、どういう用件で来たのかね?」
「我が国の様子を知りたかったようです。差し障りのない情報を教えました」
「ほう、それだけかね?」
デニスが難しい顔になり、二人を見た。
「実は、気になることを聞きました」
デニスは、エゴール王子から聞いたヌオラ共和国の件を話した。それを聞いた侯爵と外務卿は、黙り込んでしまう。
二人にとって、考え込んでしまうほど重要な情報だった。
「調べなければならんな」
外務卿が呟くように言った。
「ところで、ドラトス城の近くを歩いている時、何か『パン、パン』という音が聞こえてきたのだ。たぶん真名術の一種だと思うが、何か分かるか?」
侯爵がデニスに尋ねた。
デニスは即座に銃の発射音を連想した。だが、正直に二人に話すことはできない。どうして知っているのか疑われるからだ。
「さあ、そのような音がする真名術は、記憶にありません」
「我が国には存在しない真名が、この国にはあるのかもしれんな」
侯爵は火薬の爆発音を真名術だと信じているようだ。
その翌日、デニスたちはバイサル王国を離れた。
帰りの航路は平穏で、何事もなくベネショフ領に到着。クリュフバルド侯爵は馬車でクリュフ領に戻り、外務卿は完成したばかりの新造船で王都に戻ることになった。
新造船というのは、王家から依頼されて建造している一隻目である。テスト航海も終わり納品できる状態になっていたのだ。ちなみに、乗組員は王家が選んだ者たちだ。
普段の生活に戻ったデニスは、従士と兵士たちに『分散』の真名を取得させた。
それから重起動真名術について教え、雷撃散弾や爆裂散弾が放てるように訓練させた。兵士たちが重起動真名術を使えるようになるまで、少し時間がかかった。
デニスは兵士たちの訓練と同時に、バイサル王国で見聞したことを旅行記みたいなものに纏め、迷石ラジオで放送した。デニスにしてみれば、珍しいものを見たので他の人々にも紹介しようと軽い気持ちで行ったことである。
だが、この放送でバイサル王国の様子を聞いた貴族や商人たちは、大いに興味を持った。しかも、バイサル王国との貿易が始まり、彼の国の産物がゼルマン王国に入ってくるようになると、興味を持つ者が爆発的に増えた。
その産物の中で一番の人気商品となったのは、砂糖だった。ラジオ放送の中で、バイサル王国で作られているスイーツを紹介したことが契機となったようだ。
ちなみに、プリンとパンケーキが人気になった。
ブリオネス家では、末娘のマーゴがパンケーキを気に入った。
「お母様、パンケーキが食べたい」
「昨日も食べたじゃない」
マーゴが不満そうに頬を膨らませた。
「今日も食べたいの」
意外なことにパンケーキに必要なベーキングパウダーの代わりとなる重曹は、昔から存在した。主に薬として使用していたようだ。重曹が膨らし粉として使えることがラジオで放送されると、重曹を利用したパンやお菓子が作られるようになった。
エリーゼは『仕方ないわね』と言いながら、パンケーキを作るように料理人に指示した。喜んだマーゴが、母親に抱きついた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
バイサル王国の話題で盛り上がっている頃、王家とクリュフバルド侯爵はヌオラ共和国に諜報員を放った。
その結果、ヌオラ共和国で戦いの準備が始まっていることが判明した。
その結果を受け取ったマンフレート王は、軍務卿と外務卿、内務卿を会議室に呼び集め会議を開いた。
「外務卿からの情報により、ヌオラ共和国を調査した。結果は軍務卿から報告してもらう」
コンラート軍務卿が頭を下げ、報告書を読み上げ始めた。その報告によると、五〇〇〇の兵士を国内の各迷宮に派遣し、鍛えているようだ。
「その兵士たちが、酒場で話していたのを諜報員が聞いたのですが、最低でも『豪腕』『豪脚』を手に入れよ、と命じられているようです。また、何らかの放出系真名術を入手すれば、特別手当が出るようです」
マンフレート王が厳しい顔をしていた。
「なるほど、五〇〇〇の兵士がダリウス領の紅旗領兵団の兵士並みになるということだな。どう思う?」
軍務卿はためらった末に口を開いた。
「……我が国の西部辺境領が、戦いに巻き込まれるかもしれません」
「西部辺境領というと、クリュフ領・ベネショフ領・ポルム領か、どこが一番の弱点となる?」
国王の質問に、軍務卿は頭を悩ませた。歴史的なことを考慮すると、男爵になったばかりのベネショフ領が弱点になると判断される。だが、ベネショフ領の兵士は、よく鍛えられていると聞く。
「ベネショフ領か、ポルム領だと思われますが、ベネショフ領の兵士は、ギレ山賊団退治やオルロフ族討伐で活躍しております。その実績から判断すれば、ポルム領が一番の弱点となるでしょう」
軍務卿の意見を聞いて、国王が頷いた。
「そうすると、ヌオラ共和国が侵攻するなら、ポルム領だと言うのだな」
軍務卿が首を振った。
「いえ、ポルム領は比較的クリュフ領に近く、私がヌオラ共和国の参謀なら、ベネショフ領を攻めるべきだと進言するかもしれません」




