scene:16 行方不明者
その日、行方不明者の調査という珍しい依頼が探偵事務所に持ち込まれた。依頼者は行方不明になった男性の両親である。
雅也は小雪から依頼書を受け取り、やる気になっている冬彦を見た。
「さて、何から調査を始める?」
「まずは、松田さんのアパートに行こう。鍵は預かっている」
行方不明者である松田孝蔵は、雅也と同じ三二歳。宅配業のアルバイトをしていた。行方不明になったのは、一週間前。
アルバイトをしていた宅配業者から両親に連絡がいき、探し始めたようだ。警察に捜索願いを出したが、毎年数万人もの捜索願いが出される現状では、捜索は行われないだろう。
基本的に警察が捜索を行うのは、事件性がある場合や子供、認知症を患っている高齢者の場合だけなのだ。
二人は住宅街の片隅にある古いアパートに向かった。本来なら両親の立ち会いの下に手掛かりを探すのだが、両親は商売をしており、立ち会えないらしい。
狭いアパートの部屋には、物が散らかっていた。整理整頓という言葉とは無縁の人物だったようだ。
「汚い部屋だな。大学時代の先輩の部屋みたいだ」
「五月蝿いぞ。あの頃は忙しくて片付ける暇がなかったんだ」
学生時代の雅也は、アルバイトを掛け持ちしており掃除する時間もなかったのだ。ただ掃除する時間があるなら、飲みに行ったという事実もあった。
「おっ、ノートパソコンがある」
冬彦がノートパソコンを見付けて、電源を入れた。
「おい、勝手に中を見ちゃまずいだろ」
「大丈夫ですよ。ちゃんと両親の許可をもらってます」
立ち上がったノートパソコンがパスワードを要求してきた。
「当然、パスワードは想定していたよな?」
雅也が冬彦に言った。冬彦は不敵に笑い、
「先輩、見損なわないでください。僕がそんな気の回る人間だと思いますか」
雅也は溜息を吐いた。
「言葉の使い方が、間違っているぞ。まあいい、パスワードはどうする?」
「そうですね。この部屋を見ると、ここの住人はズボラな人間です。パスワードも適当に決めた可能性が高いと思うんですよ」
冬彦が探偵らしい推理を披露したので、雅也は感心した。
「それでどうするんだ?」
「世の中には、そういうズボラな人間が、よく使うパスワードというものが知られているんです」
冬彦はスマホで危険なパスワードのランキングを探し出し、試し始めた。問題のパスワードは、ランキング一五位のものと同じだった。
冬彦がドヤ顔で雅也の顔を見た。
「どうです。僕の言った通りでしょ」
冬彦のドヤ顔を見て、何だか悔しくなる。冬彦はデータを調べ始めた。メールとどんなサイトを利用していたかを調べ、一人の友人が判明した。百田という高校の同級生だった人物だ。
そして、雅也は松田孝蔵が利用しているSNSに注目した。それは明晰夢について議論していた。
それも異世界の夢を見る人々が語り合っているようだ。中身を読んだ雅也は不安を覚えた。ここに集まっている人々は、面白がっているだけで重要性に気付いていない。
魔源素や魔勁素、真名という存在は、現代社会を大きく変える可能性を持つものだ。神原教授が研究しているが、特に真名の存在は重大な影響を与えそうだという。
雅也が考え込んでいるうちに、冬彦は孝蔵の友人である百田に話を聞きに行くことに決めたようだ。
「とりあえず、友人の百田のところへ行きましょう」
「そうだな」
冬彦の提案はもっともなので、雅也は賛成した。
百田の住まいは、孝蔵のアパートから遠くないところにあった。庭付きの一軒家である。ドアチャイムを鳴らしても、住人が出てこない。留守のようだ。
雅也と冬彦は諦めて帰ろうとした。そこに二人の男が近付く。何だか目付きの悪い男たちである。雅也は警戒した。
「そこの二人、少しいいかな」
「何でしょう?」
男たちが内ポケットから警察手帳を出して見せた。二人は刑事らしい。
「あなたたちは、百田の知り合いか?」
雅也と冬彦は否定した。
「我々は探偵です。百田さんの友人を探しています」
「友人とは誰だ?」
「松田孝蔵という行方不明者です」
刑事たちが顔を見合わせた。
「誰の依頼で探している?」
「ご両親です」
「……余計な真似を。松田孝蔵はある事件の重要参考人となっている。行方が分かったら警察に連絡してくれ」
刑事たちが去り、雅也と冬彦だけになった。冬彦が、
「どういうこと?」
「孝蔵さんが何かやったってことだろ」
「何を?」
「刑事たちも教えてくれなかったんだから、分からん。だけど、最近刑事が捜査しているような事件となると、放火殺人事件くらいだろ」
「マジで……ヤバイだろ。死人が出てるんだぞ」
放火殺人事件は、ビジネス街で起きているので目撃者も多い。目撃者の証言によると、火の玉が窓から飛び込んで燃え上がったという。
「火炎瓶でも投げ込まれたのかもしれませんね」
冬彦が推測で言った。雅也は嫌な予感を覚える。真名術の中に『火炎』という真名を使う術があり、同じようなことができるからだ。
「この依頼、断るか」
そう雅也が口にすると冬彦が、
「待ってください。警察より早く見付ければ、いいんでしょ」
「だけど、殺人犯かもしれないんだぞ」
「重要参考人で、指名手配されたわけじゃないんだから」
雅也は厄介なことになるかもしれない、と考えた。
「それじゃあ、捜索方針を決めようか。俺は孝蔵が放火犯だという観点から探してみる」
「だったら、僕は百田の家を張り込みます」
二人は別れた。雅也はバスでビジネス街へ向かい、日が沈むのを待つ。犯人は現場に戻るという言葉もある。それに放火したビルで働く人物を狙ったのなら、あの事件で怪我や火傷をした人々が入院している病院もあるここで再び事件を起こす可能性がある。
「あれっ、先輩」
ぶらぶらしていた雅也の背後から、声がした。振り向くと会社の後輩山口がいた。
「山口、会社からの帰りか?」
「ええ、先輩は今何をしてるんです?」
「ちょっといろいろとな」
喫茶店に入り、あれから会社がどうなったか尋ねた。仕事を放り出して辞めたので気になっていた。
「先輩が放り出した東京クリーブホテルの仕事は、僕に回ってきました。お客様の要望で少し手直ししましたが、概ね好評でしたよ」
それを聞いて、雅也は安心した。
「そうか、良かった」
「全然良くないですよ。沖縄カルラホテルの仕事は大変なことになっちゃいましたよ」
「あれは高田の仕事だろ」
「でも、お客さんに出した設計図は、先輩が遊びで作っていたリゾートホテルのものだったじゃないですか?」
「高田が勝手に持ち出して、お客さんに出したんだ。強度計算に問題があったから、かなり手直ししないとダメだったはずだ」
山口は溜息を吐いた。
「道理で……高田先輩が手直ししていたようなんですが、もたもたしている間に他社に仕事を持っていかれたようです。唐木部長がカンカンになって怒鳴っていました」
「ふん、ざまあみろだ。高田はどうなった?」
「資料整理をさせられていますよ。リストラ対象になるかもしれません」
「リストラ……そんなことをしなきゃならないほど会社は苦しいのか?」
「第一事業部の連中が、ニュージーランドの仕事で何かやらかしたらしいんです。契約通り仕事を終らせるために、莫大な経費がかかると聞いています。今期は赤字ですよ」
雅也は会社の現状を聞いて、辞めて良かったかもしれないと思い始めた。
「ところで、先輩は何をしているんです?」
「俺か、探偵だ」
「……た、探偵ですか。思い切った転職をしましたね」
山口が半分呆れたような顔で言った。
「苦労しているが、面白い仕事だぞ」
「そういえば、痩せた……いや、身体が引き締まったみたいですね」
「鍛え始めたからな」




