scene:164 岩山迷宮の棺桶
真名術を重ねて使うということは、普通に行われている。例えば、『頑強』を発動した後に『剛力』を発動するというものだ。
しかし、これは同時に起動するわけではないので、それほど難しくはない。これらの真名術は発動した後も魔源素や魔勁素を供給し続ければ、発動したままの状態が維持できる。
ところが、『雷撃』や『爆噴』などの真名術は、一度発動し術が完成すると真名術は終了する。なので、同時に使うには、同時に起動する必要がある。
人間は右手と左手に別々なことをさせることができる。それと同じように二つの真名術を同時に起動することもできるようだ。但し、これをやるには高度な集中力が必要だった。
この方法により、放出系真名術の射程を伸ばすことができるということは判明している。『爆噴』と『雷撃』『冷凍』『爆砕』の真名などの組み合わせで射程を伸ばせるのだ。
デニスはアメリアとフィーネ、ヤスミン、リーゼルを連れて、海岸の方へ向かった。重起動真名術が他の者もできるか確かめるためである。
リーゼルは紡績工場の近くに大きな宿泊施設を建て、探索者の育成を始めていた。なので、今はブリオネス家の屋敷ではなく、その宿泊施設で生活している。
その建設資金は岩山迷宮で採掘できるグラファイトを利用した鉛筆の製造販売で得ていた。まだまだベネショフ領とクリュフ領で使われ始めただけであるが、好評であり売れ行きも良いようだ。ゴムの木が発見されたので、消しゴムも合わせて販売すれば、売れ行きも伸びるだろう。
「デニス様、新しい真名術というのは、どういうものなのですか?」
海岸が見えてくると、ヤスミンが尋ねた。この辺の海岸は、兵士たちが真名術の練習で使っているところである。
「二つの真名術を同時に起動するというものだ」
「えっ!」
リーゼルが驚いて声を上げる。
「そんなこと、本当にできるの?」
アメリアは疑っていた。ヤスミンとフィーネも首を傾げている。
「実際にやってみよう」
デニスは海に目を向けた。五つの大きな岩が海面から顔を覗かせている。兵士たちは、その岩を標的にして真名術を練習しているのだ。
デニスはアメリアたちに少し離れてもらってから、万一のために装甲膜を展開した。そして、『雷撃』と『爆砕』の真名を解放し、一番大きな岩に狙いをつけて両方の真名術を起動する。
雷撃球でも爆砕球でもない雷爆砕球とでもいうようなものが誕生し、岩に向かって飛翔した。岩に命中した雷爆砕球は、凄まじい火花放電を放ってから岩を爆砕させた。
予想以上に凄い威力を目にして、デニス自身も驚いた。爆砕球単独の攻撃では、ここまでの威力はない。岩の一部が粉々になり穴が開く程度だと思う。
「……大岩の上半分が粉々に砕けてなくなってる」
アメリアが目を大きく見開いて呟いた。
「凄え!」
フィーネが驚きの声を上げる。リーゼルは真剣な顔で消し飛んだ岩を見つめていた。
「二つの真名術を同時に起動する方法を、本当に教えてもらえるの?」
リーゼルが確認した。デニスがなぜそんなことを訊くのか確かめると、探索者なら自分だけの秘密にするという。
「探索者なら、そうかもしれない。でも、僕は貴族なんだよ。このことは兵士にも教えて鍛え上げ、ベネショフ領の戦力を増強させなければならない。戦場で一人でも多くのベネショフ兵士が生き残り、勝利を手に入れるためだ」
変に出し惜しみして味方兵士が死んだら、デニスは強く後悔するだろう。
その答えを聞いたリーゼルは、納得したようだ。但し、秘密にすることを誓ってもらう。
デニスはやり方を教え、まず『爆裂』と『雷撃』を同時に起動することを練習させた。
元々の爆裂球を岩に放つと、岩の表面に浅い傷が刻まれるだけなのだが、リーゼルの放った雷爆裂球は岩に深い傷を刻んだ。その傷の深さは倍ほども差があった。
「これは練習が必要ね。慣れたら戦闘に組み込めると思う」
リーゼルが満足そうな顔をしている。
「この方法で使えそうな真名はないかな?」
デニスがリーゼルに聞いた。探索者としての活動が長いリーゼルは、真名の知識が豊富である。
「そうね、真名の中には単独でどう使うのか分からないものがあったの。例えば、双頭蛇の真名『分散』、暗殺蟷螂の真名『無音』みたいなものね」
「『無音』は使えそうに思うけど」
デニスが反論すると、リーゼルが説明する。『無音』の真名術で音を消していられる時間が短いらしい。心臓が五つ拍動する時間というから長くても五秒ほどなのだろう。
「『無音』はよく分からないけど、『分散』は使えそうな気がする。その双頭蛇は、どこの迷宮にいるんだ?」
「ミモス迷宮にいたんだけど、岩山迷宮の八階層にもいるのよね」
「えっ、八階層にアンデッド以外の魔物がいたのか?」
「紅の塔の近くに巣食っています」
紅の塔というのは、八階層にある城の封印された扉に書かれていたものだ。あの扉には『紅の塔に眠る黄金王の聖印を探せ』と古代文字で書かれていた。リーゼルとアメリアたちに紅の塔の探索を頼んだのだが、黄金王の聖印は見つからなかった。
なので、封印された扉はそのままになっている。デニスも気になっていたが、オルロフ族の襲撃やボーンサーヴァント、大斜面の開発などで忙しくなり放置していた。
「久しぶりに岩山迷宮へ行ってみるか」
デニスが言うと、アメリアたちも一緒に行くと言う。
翌朝、アメリアたちと一緒に迷宮へ出発した。
一階層から七階層までは最短で通過して、八階層まで下りた。このエリアは何度来ても憂鬱な気分にさせてくれる。廃墟の町と遭遇するアンデッドが相乗効果を発揮しているのだろう。
「紅の塔というと向こうだな」
デニスが城のある方角より右側を指差した。リーゼルが頷いた。リーゼルの話では、塔は四階建てになっており、内部はテーブルや椅子、寝台の残骸があるだけの空間だったようだ。
紅の塔は赤い石材を使って建てられた建物だった。大理石に似た石だが、大理石の白い部分が赤くなっている石材で、ある意味廃墟の町に似合った塔である。
「双頭蛇は、塔の裏側にある草むらに潜んでいるの」
リーゼルの先導で草むらに向かう。そこで頭が二つある長さ四メートルほどの蛇と遭遇した。黒に赤の水玉模様がある蛇で、その牙には毒があるらしい。
毒と言っても、デニスたちには装甲膜という防御手段があるので、気にせず攻撃できる。襲ってくる奴を片っ端から斬り捨て、草むらを巡回する。
フィーネが最初に『分散』の真名を手に入れた。次にリーゼル、ヤスミン、アメリアで、最後がデニスだった。双頭蛇は草むらの中にある巣穴から出てくるようで、無限に湧いてくる感じだ。
但し、双頭蛇は真名を手に入れたいと考えなければ、わざわざ相手にしたいとは思わない魔物なので、狩りに来る者はほとんどいないという。
「さて、塔を確かめに行こう」
デニスが提案しアメリアたちも同意した。
一階の入り口は扉が朽ち果てていた。中に入り確かめると、広さは直径八メートルほどの円形の部屋である。そこには正体不明の残骸が転がっていた。残骸もリーゼルたちが調査した痕跡が残っている。丹念に調べてくれたのだろう。
「何もない部屋だな。黄金王の聖印なんてものは、なさそうだ」
「そうなの。上の階も同じだったのよ」
デニスの言葉に反応して、リーゼルが言った。
部屋の隅にある階段を上った。二階、三階も確認したが、残骸だけで何もない。デニスたちは最上階に上がった。最上階は四方に大きな窓がある部屋になっていた。
「本当に何もないな」
デニスが溜息を吐いた。リーゼルの言葉を信じていなかったわけではないが、何か隠し部屋とかがあるかもしれないと期待していたのだ。
だが、一階から最上階まで同じ構造で隠し部屋があるとは考えられなかった。アメリアが首を傾げているのに、デニスは気づいた。
「どうしたんだ?」
「階段の段数を数えていたの。一階から三階まで一七段ずつだったのに、四階に上がる階段だけは二二段だったから……」
これは、アメリアのお手柄かもしれない。デニスたちは四階の床を調べた。
「ここの床に、おかしな点はないです」
ヤスミンが報告する。だとすると、三階の天井部分に何かあるのかもしれない。
デニスたちは三階に戻って天井を調べた。フィーネが階段側の天井に溝があるのを発見した。注意深く探さなければ見つけられなかっただろう。
デニスは宝剣緋爪を抜いて、天井の溝に突き入れる。その溝に沿って宝剣を走らせた時、何かを切断した手応えを感じた。
突然、天井から何かが落ちてきた。デニスたちは跳び退き身構える。天井から落ちてきたのは棺桶だった。棺桶の蓋がガタガタと音を立てた。何かが出てこようとしている。
デニスは宝剣緋爪を上から刺し貫いた。緋爪は棺桶を貫き床まで貫通する。その瞬間、棺桶の中から壮絶な叫び声が響いた。アメリアたちはビクリと反応する。
「僕が押さえておくから、棺桶越しに攻撃しろ」
リーゼルが長巻の突きを入れる。手品の中に、人が入った箱を剣で貫くものがある。そんな感じで全員が突き刺した。但し、手品ではないので突き刺す度に絶叫が木霊する。
「僕の背中にある黄煌剣を使え!」
デニスの指示で、ヤスミンが黄煌剣を抜いて棺桶を貫いた。中の魔物が特大の断末魔を上げる。仕留めたようだ。
デニスは緋爪を棺桶から引き抜いて、蓋を開けた。棺桶の中の魔物は消えており、何かの文字が刻まれた黄金製の指輪と謎が残されていた。謎というのは、棺桶の中の魔物がどんな奴だったかというものだ。
デニスは指輪を拾い上げた。
「これが聖印なのか?」




