scene:159 ワイバーン
三区画の木の枝には、モクームらしい魔物が鈴なりになっていた。
モクームという鳥は、全長が一メートルほど。クチバシが大きく鋭い。探索者はモクームを嫌っていた。それにはちゃんとした理由がある。
デニスたちを枝から見下ろしていたモクームたちが動き始めた。枝から飛び立ち、デニスたちの上空で旋回を始める。
「まずい。装甲膜を展開しろ」
デニスが指示を出した。
その直後、上空から白い物体が降り注いだ。白い物体はデニスたちが展開した装甲膜に当たり地面に落ちる。
「何なの?」
アメリアが声を上げた。
デニスは苦笑いして答えた。
「口を開けるな。こいつはモクームの糞らしいぞ」
「うっきゃああああ―――!」
アメリアが大騒ぎして降ってくる糞を避け始めた。
「この糞は、強烈な酸になっている、決して素手でさわるな」
ロルフが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「アメリア、目的を忘れるな。雷撃球を放つぞ」
デニスたちは一斉に雷撃球を放った。デニスが放った雷撃球は、モクームを焼き焦がして息の根を止めた。だが、アメリアたちの雷撃球は痺れさせただけで仕留めてはいない。
落ちてきたモクームの首を長巻で刈り取った。モクームが攻撃方法を変える。上空で翼をたたみ、鋭いクチバシを突き出して急降下してきたのだ。
「うわっ!」
ロルフが声を上げて避ける。
地面に激突しそうになったモクームは、クチバシと両足を使って着地すると、急いで飛び立った。そして、次々にモクームの急降下が続いた。
「面倒な奴らだ。片っ端から首を刈り取ってしまえ!」
デニスは宝剣緋爪を振り回しながら大声を上げた。
モクームの真名は、中々手に入れられないようだ。デニスは二六羽のモクームを仕留めたが、手に入れられずにいた。『言霊』の真名があるので必要はないのだが、歌わずに転写ができる点を評価していた。
「やったー!」
アメリアが真名を手に入れたようだ。アメリアに続いて兵士たちが真名を手に入れ始めた。真名は続けて同じ魔物を狩り続ければ手に入る確率が高まるという経験則がある。その経験則が実証されたようだ。
ちなみに、三区画はモクームだけではなく、ファングボアやゴブリンも出る。こいつらも襲ってくるので、それをデニスが撃退していた。そのせいで、真名が手に入らずにいるのかもしれない。
「兄さん、モクームは逃げ回る魔物じゃなかったの?」
「それは少数のモクームと遭遇した場合だ。どう見ても数百羽はいる。どうやらモクームのねぐらに入り込んだようだ」
ねぐらに侵入されたモクームたちは、敵を排除しようと逃げ出さずに戦っているようだ。『装甲』の真名を持っていなければ、死傷者が出ていただろう。
最後の兵士が『抽象化』の真名を手に入れたので、デニスは撤退することにした。残念ながら、デニス自身は真名を手に入れられなかったが、それでも構わなかった。
「兄さん、本当にいいの?」
アメリアが尋ねた。
「僕が欲しい真名は、『抽象化』じゃないんだ」
アメリアだけでなく兵士たちも疑問に思ったようだ。
「本当の目的は、六区画に棲息している石喰いトカゲから、『転換』の真名を手に入れることだ」
「ふーん、そうなんだ」
デニスたちは、中央に聳える山に突き当たった。ここを右に行けば四区画、左に行けば五区画になる。六区画に行くためには四区画を選ばねばならない。
この四区画を選んで進む探索者はほとんどいないそうだ。
そこにはワイバーンと呼ばれるドラゴンの一種が巣食っていたからだ。ワイバーンはドラゴンの中では最弱に分類される魔物である。
全長は五メートルほどで、広げた両翼は八メートルになるという。
「兄さん、さすがにドラゴンは無謀よ」
「ドラゴンと言っても、ワイバーンだぞ。『爆砕』の真名があれば仕留められると思う」
ベテラン兵士たちも不安な表情を浮かべている。
「不安そうだな。ワイバーン如きで臆したのか?」
「臆病風に吹かれたわけじゃありませんよ。でも、ワイバーンは火炎ブレスを吐くそうじゃないですか。そいつの対策はあるんですか?」
ロルフが代表して返事をした。
「火炎ブレスの射程は、爆砕球の射程より短いはずだ。ブレスを食らう前に仕留める」
デニスには自信があった。空気中の魔源素が濃い迷宮においては、爆砕球の威力は数倍となる。その爆砕球を食らえば、ワイバーンとて耐えられないはずだ。
と言っても、目的はワイバーンではないので、遭遇したら戦うという話で、探し出してまで戦う気はなかった。四区画には、ワイバーンの他にファングウルフやオークもいる。デニスたちはファングウルフの群れを蹴散らしながら奥へと進んだ。
偶にオークと遭遇するが、兵士たちが素早く始末する。
「ここで少し休憩しよう」
デニスが指示を出した。森の一部が開けており、座れそうな岩が地面から突き出ている場所だった。
持ってきた保存食をリュックから取り出して食べ始めた。保存食を食べ終え、そろそろ移動を開始しようかという時、甲高い叫び声が森に響き渡った。
デニスが上を見上げると大きな鳥―――いや、空飛ぶ大トカゲの姿を発見した。
「ワイバーンだ。戦闘準備!」
デニスが声を上げると同時に、ワイバーンが急降下を始めた。
このワイバーンが不運だったことは、デニスたちがモクームとの戦いで急降下攻撃に慣れていたことだ。すぐさま雷撃球を撃ち上げた。
その多くがワイバーンに命中。それによりブレスを吐くタイミングを失ったワイバーンが地面に激突するように急降下し、デニスたちに襲いかかった。
巻き起こった風でアメリアが吹き飛ばされた。デニスはアメリアを助けに駆け寄る。
「大丈夫か?」
「怪我はしていないみたい」
助け起こしたデニスは、アメリアへ後ろに下がるように指示した。
その間、兵士たちとワイバーンの戦いが続いていた。後ろ足二本で立ったワイバーンは翼で兵士たちを薙ぎ払う。そして、助走し大きな翼を羽ばたくと上空へと飛翔を始める。
「兄さん、今のワイバーンは大きくなかった?」
アメリアが疑問の声を上げた。通常のワイバーンは全長は五メートルほどだが、今のワイバーンは七メートルほどあった。
デニスは上空を旋回しているワイバーンを見上げながら答える。
「ああ、かなり長生きしている個体だろう。最近、探索者が四区画を避けているから、何十年も生き残ったんじゃないかな」
またワイバーンが急降下を開始した。今度もブレスを吐く気でいるらしい。その証拠に目が赤く輝いていた。この目の色がブレスを吐く時の兆候だと言われている。
「ブレスが来る。避けろ!」
デニスが急いで指示を出した。兵士とアメリアは森の中に避難する。
ワイバーンが炎を吐き出した。火炎放射というよりは、ジェットエンジンから吹き出る炎のように勢いがある噴炎だった。
その炎が地面を焼いて、デニスの横を通りすぎた。その様子を見ていたアメリアや兵士たちの顔色が青くなっている。
「心配ない!」
デニスは大声を上げた。ただデニスの顔も青褪めている。思っていた以上にブレスの勢いが強すぎて、爆砕球を放つタイミングを逸したからだ。
翼竜のような魔物が身を翻して上昇する。デニスは自分を囮にするかのように前に出た。上空で旋回したワイバーンがデニスを目掛けて急降下してくる。
ワイバーンがブレスを吐く直前、デニスは『加速』と『怪力』を使って横に跳ぶ。ワイバーンの目からは、消えたように映っただろう。
ワイバーンの口からブレスが吐き出された。同時にデニスが爆砕球を放つ。ブレスはデニスの眼前を通り過ぎ、爆砕球はワイバーンの右翼に命中し翼を粉々にした。
ワイバーンが錐揉みしながら地面に墜落。デニスは跳び出し、宝剣緋爪を抜く。駆け寄りざまワイバーンの首を刎ねた。勢いよくワイバーンの首が飛んだ。
ワイバーンの全身が粉々になって消えた後に、何かが落ちた。
「あっ、ドロップアイテム」
アメリアが駆け寄って持ち上げる。それはワイバーンの皮と角だった。
そればかりではなく、デニスの頭の中にある真名が増えていた。ワイバーンから取得した真名は『爆噴』である。これは特定のものを爆発するような勢いで撃ち出す力があるらしい。
兵士たちがアメリアを中心に集まっている。アメリアが持っているドロップアイテムが騒ぎになっているようだ。
「凄え、ワイバーンの皮って言ったら、金貨数百枚で取引されているものだろ」
「ああ、こいつから作られる革鎧は、貴族しか着れないそうだぞ」
兵士の一人が角を持ち上げて太陽にかざした。
「綺麗だ。虹色に輝いている」
「その角も高価なものなんだろうな。やっぱり武器の強化に使えるのか」
大変な騒ぎになっている。デニスは自分を心配して駆け寄ってくる者がいなかったので、ちょっとだけ不満だった。これは信頼されていると受け止めればいいのだろうか?




