scene:158 ミトバル迷宮
海賊船を撃退したメルティナ号は、その後何事もなくロウダル領の港に入港した。
デニスは、クリュフバルド侯爵と一緒に下船する。
「ふむ、船旅だと早いし楽なものだね。気に入ったよ」
「僕もそう思います。ただ船酔いする者には辛いかもしれません」
侯爵が笑った。一番船酔いしたのが、デニスの父親であるエグモントだったからだ。
「この船なら安心して、王都へ送る商品を任せられそうだ」
侯爵はクリュフ領の主力産業である織物産業の製品を船を使って王都へ送る決心をしたようだ。
「王都だけでなく、周辺諸国にも輸出する計画はないのですか?」
デニスは他国との貿易を視野に入れた領地経営を行おうとしていた。
「どこの国と貿易しようというのだね?」
「まずは、ヌオラ共和国の西にあるバイサル王国と貿易をしようと考えています」
バイサル王国はゼルマン王国の二倍ほどの規模を誇る国である。人口も二倍なので布製品の需要は多いとデニスは予想していた。
なぜ隣国であるヌオラ共和国とラング神聖国を外したかというと、ヌオラ共和国の国民はゼルマン王国に対して敵愾心を持っており、ラング神聖国は政情不安となっているからだ。
「ほう、それは面白い。我々も考えてみよう」
侯爵たちとデニスはロウダル領の港で別れた。デニスたちはロウダル領の領主に挨拶するというので、侯爵たちが先に王都へ向かった。
クリュフバルド侯爵はランドルフと並んで進みながら、ベネショフ領とデニスについて話し合った。
「ベネショフのデニスについて、どう思う?」
侯爵が息子に尋ねた。
「いろいろ考えているようで、頼もしいと思います」
「確かにな。だが、気をつけろ。我々が利用しているつもりでいても、本当は利用されているということもある」
ランドルフが腑に落ちないという顔をする。
「どういう意味でしょう?」
「先ほどの貿易の話だ。あれは貿易の許可を陛下からもらうために、我々を利用しようと考えておるのだ」
「そんな……あまりにも不遜ではないですか」
「考え違いをするな。貿易はクリュフバルド家にとっても利益になるのだ。儂はベネショフの話に乗るつもりでおる。デニス殿の提案はゼルマン王国にとっても有益なのだ」
「しかし、ブリオネス家の掌の上で踊るようで、気分は良くありません」
「そう思うのなら、デニス殿に負けない提案を考えろ。そうすれば、対等の相手として付き合える」
クリュフバルド侯爵は思いの外、デニスを高評価しているようだ。ランドルフはデニスを注意人物の一人と認識を改めたが、友好関係は維持しようと決めた。
侯爵たちを見送ったデニスたちは、ロウダル領の領主に挨拶してから王都に向かった。
王都の屋敷に到着したデニスは、一晩休んでから兄ゲラルトの家族やクルトのフレーベル子爵家などの付き合いのある貴族に挨拶をして回った。
この挨拶回りは重要で、秋の例年行事となっている。この挨拶回りは次期領主の仕事であり、デニスは一日に何軒も貴族家を回った。これは王都に屋敷を持つ貴族特有の慣習であり、屋敷を持たない貴族は挨拶回りをすることはなかった。
「王都に屋敷を持つ前は、こんなことをしなくて済んだのに」
デニスが愚痴ると、一緒に回っているザムエルが反応した。
「デニス様、最近愚痴が多くなったのではないですか?」
「どうだろう。いろいろと忙しくなったからな。愚痴りたくなる機会も多くなった」
「ベネショフ領を発展させようというのは賛成なんですが、こんなに急ぐ必要があるんですか?」
「急いでいると思うのか? そんなつもりはないんだけど」
「三年でベネショフ領の人口が倍に近付いているんですよ」
デニスは日本の人口と比較すると、数千人単位を少ないと感じてしまう。だが、この国では中々の規模なのだ。
「しかし、二年後には子爵になることが決まっている。その体裁を整えるには、ある程度頑張らねばならんだろう。それが急いでいると見えるのかもしれない」
ザムエルが頷いた。
「そうでしたね。ブリオネス家は子爵になるんでした。私も頑張らねば」
「頑張るのはいいが、また腰を痛めるんじゃないぞ」
デニスが笑った。
武闘祭が始まった。少年の部では、ヨハネスとクルトが順調に勝ち進んでいる。
「クルト兄さんは、すごいね」
マーゴはクルトの活躍を見て嬉しそうにしている。それはアメリアも同じだった。
「決勝は、クルトとヨハネスになりそうね。どっちが勝つと思う?」
アメリアが試合を見ながら、デニスに問いかけた。
デニスの目から見て、剣の腕は同等だった。決着は、持っている真名の種類で決まるだろう。
決勝戦、やはりクルトとヨハネスの戦いとなった。
『剛力』の真名を手に入れたクルトは、昨年より数段成長していたようで優勢のまま試合を進めた。最後にヨハネスが自分の小手を攻撃するように誘ってから、その小手に合わせてクルトも小手を放ち、すかさず頭を狙って二撃目を決めた。剣道の相小手面と同じような技だ。
クルトの優勝である。クルトの家族は大喜びだった。またデニスの家族も喜び、特にマーゴとアメリアが非常に喜んだ。
「デニス殿、優勝できたのは、ベネショフ領で鍛えてもらったおかげです」
国王から優勝祝いの言葉をもらったクルトは、満面の笑顔を浮かべて礼を言った。
大人の部はダリウス領のレオポルトが再び優勝した。
武闘祭が終わった後は、お祭り騒ぎとなる。デニスはお祭り騒ぎに加わらず、アメリアとベテラン兵士一〇人を連れてクム領へ向かった。
クム領のミトバル迷宮で狩りをするためである。テオバルト侯爵からは、迷宮に潜る許可をもらっていた。その代わりに国王からの注文である帆船が完成したら、クム領の帆船を優先して建造するという条件が付いた。
ベネショフ領にとっては、歓迎すべきことなので喜んで引き受けた。
「ねえ兄さん、ミトバル迷宮へ行くのは、なぜなの?」
「欲しい真名があるんだ」
「何の真名?」
「真名の力を迷宮石に転写する『抽象化』の真名だ。僕以外も迷宮装飾品が作れるようになって欲しいんだ」
「あたしも?」
デニスは頷いた。ベネショフ領では迷宮装飾品作りを事業化している。といっても、転写ができるのはデニスだけなので本格的な産業にはなっていない。
デニスは転写担当者を増やしたいのだ。そして、迷宮装飾品を産業化したいのである。
「ふーん、あたしは兄さんと同じ『言霊』がいいなぁ」
アメリアはデニスのように人を魅了する曲を歌いたかったようだ。歌うだけならボイストレーニングなどを行えば、上手くなるので教えてみるのも面白いかもしれない。
クム領に入港したデニスたちは、ベテラン兵士一〇人を連れてミトバル迷宮へ向かった。港から半日ほどで迷宮に到着。迷宮の入り口には侯爵の配下が門番をしていた。
「何者だ?」
誰何した門番兵に、デニスはテオバルト侯爵からもらった許可証を見せた。許可証が侯爵本人が書いたものだと分かり、門番兵が態度を改めた。
侯爵自らの許可証を持つのは貴族だけだったからだ。
「今日は、迷宮の前に野営して、明日の朝から潜るぞ」
デニスの声で、テント張りや薪集めが始まる。ベテラン兵士たちは手際よく野営の準備を進めた。
アメリアはこういう野営は初めてだったので、楽しかったようだ。
翌朝、天気は雲一つない晴天である。風もほとんどなく森林型迷宮の探索にはもってこいの天気だった。
デニスたちは装備を整えて迷宮に入る。
「一区画は、スライムと突撃ウサギぐらいだ。先に進むぞ」
一区画は低木と雑草が生い茂るエリアで、デニスたちは最短距離で通り過ぎ、二区画に入った。二区画は背の高い木が増え、本格的な森林エリアとなる。
そこで遭遇する魔物は赤目狼と牙猿だ。牙猿は大きな牙を持つ大猿で、こいつを倒すと『跳躍』という真名を手に入れられるそうである。
デニスが欲しいと思う真名ではないので、通り過ぎようと思った。だが、牙猿の群れに取り囲まれ戦うこととなった。
この牙猿には苦労した。強いというわけではないが、木の上から枝を投げつけるので面倒なのだ。気を抜くと、身体に枝が命中する。装甲膜を展開しているので怪我はないが、鬱陶しい。
「デニス様、どうしますか?」
ベテラン兵士のロルフが尋ねた。
「仕方ない。雷撃球で撃ち落とす」
その命令で兵士たちが一斉に真名術を放つ体勢を取った。アメリアも上を見上げて狙いを定める。
「今だ!」
デニスの号令で、アメリアと兵士たちが一斉に雷撃球を放った。牙猿たちが悲鳴を上げ、半分が木の上から落ち、残りは逃げてしまう。
兵士たちは落ちた牙猿に素早く駆け寄り、長巻で首を刎ねる。
仕留められた牙猿の中で、一匹だけがドロップアイテムを残した。金属のような光沢がある大きな牙である。この牙は武器の強化のために使われるものだ。
ベネショフ領ではあまり使わないが、これらの牙を添加した強化鉄製の武器を使う探索者は多かった。強化鉄は、鋼鉄よりも頑強で硬いからだ。
デニスは二区画で、面白いものを発見した。ゴムの木である。この木の樹液を加工すれば天然ゴムになるというものだ。デニスは本の中でゴムの木が存在することは知っていたが、ベネショフ領の周辺には生えていないので、実物を見るのは初めてだった。
「この木を持って帰ろう」
アメリアが首をコテッと傾げた。
「これは食べられる実がなるの?」
「食べられる実がなるかどうかは知らないけど、こいつの樹液から便利なものができるんだ」
ゴムの木は挿し木で増えるということなので、枝を十数本回収した。
そして、デニスたちは三区画に入った。二区画と同じ森林が広がっている。だが、より高い木が多いようだ。ここに怪鳥モクームがいるらしい。




