scene:157 哀れな海賊
翌日、デニスは賢人院を尋ねた。グリンデマン博士ではなくエックハルト博士を探す。その博士は迷宮や魔物に関する研究の第一人者である。
二階のサロンでエックハルト博士を発見。博士は背の高い鷲鼻が特徴の男性だった。
「エックハルト博士、ちょっとよろしいですか」
「ん、君は?」
「ベネショフ領の次期領主デニスです」
「何の用かね?」
「魔物について、質問があるのです」
デニスは『転換』の真名を手に入れられるという石喰いトカゲについて尋ねた。
「石喰いトカゲが、どの迷宮にいるかを知りたいのかね。簡単な問いです。クム領のミトバル迷宮ですよ」
「クム領のミトバル迷宮……」
ミトバル迷宮は、鉱山都市クムの近くにある迷宮である。この迷宮には転写を可能にする『抽象化』の真名を持つ怪鳥モクームという鳥の魔物もいる。
デニスはミトバル迷宮の情報を集めた。迷宮は影の森迷宮と同じ地上に存在する迷宮である。山脈に囲まれた地に扇形に広がる森林型迷宮で、八つの区画に分かれていた。
石喰いトカゲは、六区画の岩場エリアに棲息しているらしい。この魔物は氷晶ゴーレム並みに頑丈であり、剣や槍では倒せないという。
ちなみに、怪鳥モクームは三区画に棲息しているようだ。こちらは飛び回るので、よほどの弓の名手でないと仕留められないらしい。
必要な情報を集めたデニスは、一旦ベネショフ領に戻ることにした。
「船長、風はどうだ?」
「いい横風が吹いてます。帰りも順調そうです」
「そりゃあいい」
船長の言う通り船旅は順調だった。ベネショフ領に戻ったデニスは、エグモントに王都での受注を報告した。
「ほう、陛下から直々に船の建造を受注したのか、名誉なことだ」
このことが全国に広まれば、港を持つ貴族の多くがベネショフ領に帆船を発注するかもしれない。そうなれば、ベネショフ領の造船業は大きく発展するだろう。
「造船所の従業員を増やさねばならんな。そうなると、造船所の技術が他領に漏れることが予想できる。何か対策があるのか?」
デニスは技術の漏洩について考えていた。だが、多数の労働力を雇えば、その人々から技術が漏れ出すことは止めようがないと結論した。
「技術がある程度漏れるのは止めようがないかな。どうしても漏らしたくない技術を決めて、その技術だけを秘密にするしかないよ」
販売した船を調べれば分かるような技術情報は、秘密にできない。秘密にするのは製造技術などになるだろう。特殊な加工技術で作られる部品などは、出入りを厳しく管理する部屋で製造することになる。
「大斜面の開発は順調なのか?」
「用水路と道路は完成した。紡績工場と下町を建設する準備が始まっている」
大斜面に造られた用水路を流れ落ちる水の力を使った紡績工場と工場で働く工員と家族が住む下町の建設を優先することになっていた。
領都ベネショフの人口は、四〇〇〇から七〇〇〇に増えている。このままの勢いで増えれば、直に五桁になるだろう。人口が増えたことで、町の様子も変わった。商店が増え商店街のようなものも出来上がり、周辺の村落から買い物客が来るようになった。
「商人たちに聞くと、隣のバラス領からも買い物に来ているようだ。どうやら、バラス領は悲惨なことになっているらしい」
バラス領の新しい領主スヴェン準男爵は、領主経営をなおざりにして紅旗領兵団と一緒に影の森迷宮に通っているようだ。
紅旗領兵団は一〇〇人単位で魔物を狩り、真名を集めているらしい。その中心人物は、武闘祭の優勝者レオポルトと次期領主ハーゲンだという。
デニスは大斜面の開発工事を見て回り、紡績工場の作業状況を視察した。順調なようだ。屋敷に戻って帳面をチェックしていると、カルロスが入ってきた。
「デニス様、お客様がいらっしゃいました」
エグモントが大斜面に行っているので、カルロスはデニスのところに来たらしい。デニスが玄関に向かう。そこにはクリュフ領侯爵騎士団の騎士ローマンが立っていた。
「ローマン殿ではないですか。クリュフ領で何かあったのですか?」
「いえ、武闘祭見物に王都へ行かれるのなら、一緒に行かないかと、侯爵様からの伝言でございます」
そんな時期になったか、デニスは秋なんだと感じた。
「喜んで御一緒します。そう伝えてください。それから、我々は船で行くつもりだったので、侯爵も船で行かれないか、確認してください」
ローマンが去ってから、デニスは王都へ連れて行く者をリストアップした。家族と従士ザムエル、ベテラン兵士一〇人を連れて行くことにする。
従士の最年長であるザムエルは腰を痛めて自宅療養中であったが、最近回復して出歩けるようになったのだ。
侯爵も船で王都へ行くことになり、数日後に侯爵がベネショフ領の港に現れた。
「ほう、これがベネショフ領で造られた船か、立派なものだ。海のある貴領が羨ましい」
クリュフバルド侯爵がメルティナ号を見上げながら声を上げた。
「王都に運ぶ荷があれば、お引き受けしますよ」
デニスが商売の交渉を持ちかけた。
「どれくらいで引き受けるのかね?」
デニスは陸路で運ぶ場合の七割くらいの値段を告げる。侯爵は考える素振りを見せた。
「海賊が出ると聞いた。少し考えさせてくれ」
陸でも山賊が出るので危険は一緒だと思うが、船は急な天候の変化で難破することもある。それらのリスクを計算して、侯爵は答えを出すのだろう。
デニスの家族と侯爵たちがメルティナ号に乗り込んだ。最後にザムエルとベテラン兵士たちが乗り込むと出港した。甲板で海を眺めていたデニスにアメリアが歩み寄る。
「兄さん、今度の武闘祭には、クルトも参加するの?」
「ああ、参加すると聞いているよ」
「今回は優勝できるかな?」
頑張っていたクルトが優勝することを、アメリアは願っているようだ。
「どうだろう。少年の部では最強に近いと思うけど」
昨年の少年の部は、バルツァー公爵の四男メルヒオールが優勝した。今年は出場しないそうなので、クム領の少年剣士ヨハネスとクルトが優勝候補となっていた。
「デニス様、海賊が出たようです」
ヴァルター船長がデニスに報告した。島陰から急に出てきた小型船が、メルティナ号の進路を塞ぐように進んでくる。
「デニス殿、どうするのだ?」
クリュフバルド侯爵が厳しい顔で尋ねた。
「真名術で撃退します」
デニスはベテラン兵士とエグモントを呼ぶ。エグモントは青い顔をして甲板に現れた。家族の中でエグモントだけが船酔いするようだ。
「何があった?」
「父上、海賊です。これから排除します」
「任せる。儂はダメだ」
さらに青くなったエグモントは甲板に座り込んだ。
「侯爵様、護衛の中で放出系真名術を使える者を貸していただけますか」
デニスは侯爵に援護を要請した。ベネショフ領の兵士だけでも大丈夫だと思ったが、念のために侯爵の兵士にも迎撃を頼んだのだ。
「いいだろう。ランドルフ!」
侯爵は息子を呼んで、デニスに協力するように命じた。ランドルフは数名の兵士を呼び寄せる。放出系真名術が使える兵士たちなのだろう。
デニスは海賊船を攻撃するタイミングを計算した。
「今だ、攻撃しろ!」
デニスの合図で放出系真名術ができる者は、海賊船に向けて真名術を放った。
海賊船は二〇人ほどが乗る小型船である。多数の真名術を受けて、海賊船の船体は切り裂かれ爆発し、燃え上がる。
ヴァルター船長は、同じ船乗りとして複雑な感情を持ったようだ。
「哀れな。この船を狙おうなんて考えるからだ」
海賊船が瞬く間に沈み始め、波間に消えた。




