scene:154 帆船メルティナ号
ラング神聖国の蒸気船は、二つのタイプがあるようだ。一つはロウダル領の港に寄港した武装蒸気船ディアーヌ号のような船である。
もう一つは帆走を併用する機帆船、または帆装蒸気船と呼ばれるものだ。これは貨物船なのだが、外輪や蒸気機関が故障した時に修理できる人材を確保できないために帆も併用しているらしい。
開発したばかりの蒸気機関は故障が多い脆い存在だと、デニスにも推測できる。後ろから追ってくる船には予備の部品などが数多く積み込まれているのだろう。
クルトがデニスに歩み寄り話しかけた。
「あれがラング神聖国の蒸気船ですか。本当に凄い船ですね」
デニスが首を傾げた。この世界に蒸気船が存在すること自体は凄いと思う。だけど、あの船の性能は、それほどでもないと思っている。
「確かに凄いな。でも、開発されたばかりだろ。最大速度も航続距離も、それほどではないんじゃないか」
デニスは蒸気船の最大速度を知りたいと思った。
「船長、後ろから来る船は、どれくらいの速度だと思う?」
ヴァルター船長は、髭をしごいてから答えた。それを聞いて、デニスは頭の中で換算した。時速八キロほどになる。
雅也の知識の中に帆船に関するものがあった。クリッパー船と呼ばれる快速帆船の最大速度は、時速三〇キロ以上だという。
ベネショフ領で建造されたメルティナ号は、適度な強さの横風を受けた時に最大速度が出るという。これは風力を揚力に変えて推進力としているからで、最大速度は時速二三キロほどである。
デニスが風向きと船速についてクルトに説明する。
「よく分かりません。追い風の時が一番速いように思えるんですけど」
「説明するのは難しいな。こういう縦帆が多い帆船なら、横風の時が一番速いと覚えておくといいよ」
揚力の説明をするには、気圧の説明もしなければならず、面倒なので省いた。
蒸気船がメルティナ号を追い抜き、先行する。追い抜いた時に、甲板にいる乗客たちがメルティナ号を見て笑っていた。帆船に乗っているデニスたちを遅れていると笑っているようだ。
「船長、あの船の最大速度を知りたい」
ヴァルター船長は、前の蒸気船を見ながら考える。
「そうですね。ちょっと挑発してみましょうか」
ゴルツ半島に沿って南下していたメルティナ号は、半島の南端を越えてから進路を東へと変えた。この時、風は横風となる。
蒸気船がかなり小さく見えるので、数キロほど離されたようだ。
船長の命令で乗組員たちが忙しく動き始めた。横風を最大限に利用できるように帆の調整を行う。すると、メルティナ号の速度が上がった。
船首では盛大な水飛沫が上がり、メルティナ号が作る波紋が大きくなる。みるみるうちに、先行する蒸気船の姿が大きくなる。
「蒸気船に追いつきそうです」
クルトがワクワクしているような顔で、デニスに告げた。
「向こうは、まだ全力を出していないだろ。喜ぶのは早い」
帆を大きく膨らませたメルティナ号が、煙突から煙を吐き出している蒸気船に追いついた。
蒸気船の甲板では、メルティナ号を指差して何かを叫んでいる。蒸気船の煙突から吐き出される煙が増え、僅かずつ速度が上がった。
だが、その増速も時速一八キロで止まる。それが蒸気船の最大速度らしい。
「あらっ、案外伸びなかったな」
デニスは拍子抜けという顔で言った。
ヴァルター船長が得意げに笑う。
「デニス様、このメルティナ号が特別なんですよ。以前乗っていた船は、こいつの半分くらいしか速度が出ませんでしたよ」
その話を聞いて、クルトは感心した。それだけの船を造れる技術をベネショフ領が持っているということになるからだ。実際にはベネショフ領というより、デニスが描いた設計図が水準を上回っていただけなのだ。
横風が弱くなり、メルティナ号が減速した。その間に蒸気船が追い抜いていった。
「また、追い抜かれちゃいましたね」
クルトが残念そうに言う。
デニスが肩を竦めた。
「仕方ないさ。風だけはどうしようもないからな」
蒸気船が水平線の向こうに消え、メルティナ号は進路を北に変えてベラトル領の港に入港した。
その港ではイザークたちが待っていた。連日、迷宮に潜っていたからだろうか、少し疲れているように見える。
「デニス様、目標の五〇個を達成しましたよ」
「よくやった」
デニスは五二個の大きなボーンエッグを受け取った。デニスは受け取ったボーンエッグの中から一〇個を取り分け、それをイザークに戻す。
「それはイザークたちの分だ。ベネショフ領で専用の鞍を作ったから、乗り心地を試すといい」
「ありがとうございます」
イザークが嬉しそうに礼を言う。
クルトは羨ましそうに見ていたが、さすがに自分も取りに行くとは言えなかった。
ベラトル領の領主ハロルトに挨拶してから、街の宿屋で休んだ。
翌日、ロウダルの港に入港し、そこから王都まで徒歩で移動した。
王都に到着したデニスたちは、二手に分かれる。デニスとイザークたちはブリオネス家の屋敷に向かい、クルトは自宅に向かう。
屋敷の使用人が、クルトの顔を見て挨拶をする。屋敷に入ったクルトを母親のミリヤムが出迎えた。
「修業はどうだったの?」
「強くなったと思う。それに勉強にもなったよ」
「へえっ、あなたが勉強?」
母親はクルトが勉強嫌いなのを知っていた。
「ベネショフ領では、兵士たちに読み書きと計算、それに歴史などを教えているんだ」
「あなたも、それくらいは勉強しているでしょ」
「でも、従士は礼法儀典と領地経営学、戦場規範も勉強するんです」
貴族ならば、必須となっている科目である。だが、従士にまで勉強させる貴族は少なかった。これはデニスのためにエグモントが雇った家庭教師を、デニスだけだともったいないということで従士にも教えさせたのが、始まりらしい。
「もしかして、それらも勉強したの?」
「貴族なのに、勉強していないというのは恥ずかしいではありませんか」
ミリヤムは息子が少し大人の顔になっているのに気づいた。ベネショフ領でだいぶ鍛えられたらしい。
ヨアヒム将軍が戻り夕食を終えた後。ベネショフ領での修業がどんな様子だったのか、将軍が尋ねた。
将軍は迷宮で行われた修業の様子を聞きたがった。
クルトが『頑強』『剛力』『爆裂』の真名を手に入れたと知ると、驚いた様子を見せる。
「ブリオネス家には、大きな借りを作ったようだな。何かの時には、ブリオネス家の手助けをせねばならんな」
「でも、デニス殿は気にすることはない、と言っておられましたよ」
将軍が息子がまだまだ子供だと微笑んだ。
「そういうわけにはいかんよ。貴族としての体面がある」
クルトはベネショフ領での生活を話し、最後に船で戻った時に遭遇した蒸気船について語った。
「ほう、ベネショフ領のメルティナ号が、蒸気船を追い抜いたのか。そのメルティナ号を見たいものだ」
将軍はボーンサーヴァントとライノサーヴァント、それにメルティナ号に興味を持った。
「クルト、お前のボーンサーヴァントを見せてくれんか」
「いいですよ」
クルトはボーンエッグを取り出し、ボーンサーヴァントに変化させた。
ミリヤムとメイドが驚いて声を上げた。
「驚かなくてもいいよ。こいつが僕のボーンサーヴァントなんだ」
クルトが誇らしげに自慢した。
「ボーンサーヴァントと一緒に戦う訓練もしたのか?」
「いえ、僕はボーンエッグを手に入れた直後に、王都へ戻ったので訓練は受けていません。でも、ボーンサーヴァントは、訓練しなければ戦えないようです」
将軍は残念に思った。その訓練の内容が分かれば、王都警備軍にも取り入れられたのに、と思ったのだ。だが、ベネショフ領では、短期間にボーンサーヴァントを戦力として組み入れている。研究すれば、王都警備軍でも不可能ではないだろう。
翌日、登城したヨアヒム将軍は、クルトの話をコンラート軍務卿に伝えた。クルトが世話になったブリオネス家の秘密を告げ口するようなことになったが、ブリオネス家が秘密にしているわけではなさそうなので、重要だと思い報告したのだ。
報告を聞いた軍務卿は、何度も頷き国王に伝えると告げた。その報告を聞いた国王は、ロウダル領の港に停泊しているメルティナ号を見たいと言い出した。
「しかし、陛下自らが行かれることは……」
「何を言っておる。余が直々に見分せねば、本当の価値を見定めることはできんだろう。現に諜報部隊からの報告では、ベネショフ領で建造されている帆船は、普通の船だというものだった。今聞かされたように、高性能な帆船だったと報告は受けておらんぞ」




