scene:150 超越者教会
黒部の話によると、『転換』の真名は迷宮の荒野エリアに棲息する石喰いトカゲから得られるらしい。雅也は石喰いトカゲについては知らなかった。デニスに調べてもらう必要がある。
『転換』の真名は、獅子王が手に入れたという。それは魔源素結晶を魔勁素結晶に、魔勁素結晶を魔源素結晶に転換する力を持っていた。
それを初めて聞いた時、黒部は疑問を持ったらしい。アメリカの中には微小魔勁素結晶を作り出せる真名能力者がいるようなのに、治癒の指輪のエネルギー源として魔源素結晶を購入していたからだ。
「なぜだと思うかね?」
雅也には思い当たることがあった。『結晶化』の真名を手に入れた小雪が、魔勁素結晶を作ろうとした時、大きな結晶を作るのに苦労していたのだ。
雅也の場合は、大気中にある膨大な魔源素を使って魔源素結晶を作るのだが、魔勁素結晶は体内にある魔勁素を放出して結晶化するので、大きな結晶を作るのに苦労するらしい。
購入した魔源素結晶を『転換』により魔勁素結晶にして使用するのが効率的なようだ。
雅也がそれを教えると、黒部は納得した。
「マナテクノは、『転換』の真名を必要にしているのかね?」
「会社は必要じゃない。でも、俺のバディが興味を持っているんだ」
ベネショフ領では、魔勁素結晶を使った誰でも使える迷宮装飾品を製造し産業にしようと考えているのだ。
「そういえば、京極審議官は治癒の指輪を製作したんですよね?」
「ああ、アメリカに持ち込んでオークションにかけるそうだ」
雅也は京極審議官が政府の仕事の一環として、治癒の指輪を製作しているのだと思っていた。オークションにかけるということは、違うようだ。
その点について、黒部に尋ねた。
「日本の産業育成に力を貸している―――という建前です。ちなみに治癒の指輪を製作する会社の社長は、京極審議官が政界に打って出る時に、後援会の会長になる予定だそうです」
「はあっ、京極の奴は政治家になるつもりなの……その時は、落選運動をしてやる」
「私も協力します。奴の不正行為を証明する証拠を集めておきますよ」
黒部も京極審議官から迷惑を受けているようだ。
雅也が帰ろうとした時、黒部が情報を伝えた。
「アメリカから、超越者教会と呼ばれる過激宗教団体が、中東に入ったという情報を入手しました。マナテクノで中東に企業展開しようと考えているのなら、考え直した方がいいですよ」
「そんな計画はないけど、中東にも顧客はいるんだ。どれほど危険なんだ?」
「サウジアラビアの石油施設を破壊しようと、計画しているようです」
雅也には、なぜ宗教団体が石油施設を破壊するのか理解できなかった。
「どうして、サウジの石油施設?」
「その宗教団体は、アメリカのシェールオイル企業に関連しているらしいです」
中東の産油国とアメリカのシェールオイル企業との間で産油量に関することでもめたようだ。中東の産油国は増産を始め、原油の価格が国際的に下がっている。
そのことで打撃を受けたのは、掘削コストの高いアメリカのシェールオイル企業である。超越者教会は、代表的な産油国であるサウジアラビアに攻撃を仕掛けることで、シェールオイル企業を支援するつもりではないかという。
「過激宗教団体ということは、テロ組織なのか? アメリカ国内のテロ組織というのは珍しいな」
アメリカでは暗殺事件などの個人でテロを起こす者は多いが、テロ組織の存在はあまり知られていない。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
雅也と黒部が会話を交わした数日後、サウジアラビアの油田の一つが爆破された。犯人と思われる三人組のうち一人は現地の警官に射殺され、残り二人が高速ボートで逃げた。
その高速ボートを追いかけたのは、アメリカから購入した攻撃ヘリだった。サウジアラビアは早い時期から軍に導入しており、パイロットもベテランである。
兵装は三〇ミリチェーンガンと一九発のロケット弾を格納したロケット弾ポッドである。最大速度が時速三六〇キロほどだ。
その攻撃ヘリが高速ボートを追いかけ、あっさりと追いついた。
追いつかれた高速ボートから、自動小銃による攻撃が行われた。弾丸が攻撃ヘリに命中するが、装甲で弾かれる。
攻撃ヘリのチェーンガンが発射された。高速ボートの周りで着水した弾丸が水飛沫を上げる。それを見たテロ犯は必死に逃げ回った。
「おい、あの船に近付けろ」
テロ犯の一人であるアーヴィングが指示を出した。その船は王族が乗るような豪華クルーザーである。急に進路を変えて豪華クルーザーに近付く高速ボートを見て、攻撃ヘリに乗り込んでいる兵士はチェーンガンで攻撃する。中々命中しない。
ついにはロケット弾が発射された。三発目のロケット弾が高速ボートの船尾に命中し爆発。高速ボートが宙を舞い負傷したテロ犯たちが海に投げ出された。
攻撃ヘリが沈没した高速ボートの周囲を周り、豪華クルーザーが近付かないように指示を出した。
だが、負傷したテロ犯たちは豪華クルーザーの近くまで泳いでいた。そして、密かに豪華クルーザーに潜り込む。
高速ボートが沈没した海域には、サウジ軍の艦艇が集まり始めた。
それらの艦艇を横目に見ながら、豪華クルーザーはマカオに向かう。しかし、その豪華クルーザーはマカオに寄港せず、なぜか日本に到着したことをサウジアラビアは気づかなかった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
その日、世界頂天グランプリの東アジア予選が東京で行われた。予選に参加したのは、三八名である。予選なのでテレビ放送はされないらしいが、撮影はしているようだ。
会場には観戦する多くの人々が来場している。観戦者は格闘経験者が多いらしい。
会場である多目的屋内競技場には、特別なリングが造られていた。高さ一メートルで一五メートル四方の特設リングである。非常に頑丈に造られており、雅也が本気で暴れても壊れないだけの強度があるようだ。
斎藤の試合は、八番目だった。
「どうだ、調子は?」
宮坂師範が斎藤に尋ねた。
「調子はいいです。師範、作戦とかありますか?」
宮坂師範は首を傾げた。
「真名能力者の大会は初めてだからな。情報が少なすぎて作戦が立てられん」
「だったら、全力で戦うしかないですね」
雅也は選手らしい者たちを観察した。気配を読んでみたが、強敵は四、五人である。雅也の横では小学三年生の子供が試合場を見ている。
「ねえ、ユメ姉さんは、本当に勝てるの?」
この子は宮坂師範の息子暁斗だ。ユメ姉さんというのは、斎藤のことである。初めはおばさんと呼んでいたのだが、斎藤により矯正されている。
「強いのは知っておるだろ?」
「でも、最後はマサヤおじさんに負けちゃうんだもん」
地稽古の様子を見学して、斎藤より雅也が強いことを知っているのだ。それで不安になっているのだろう。
雅也は笑って説明した。
「この大会に出る必要があるのは、斎藤さんなんだよ。彼女は空手道場を開きたいから、強いということを大勢の人に知らせなきゃならないんだ」
「ふーん」
暁斗が理解したかどうかは分からないが頷いた。
試合場の入り口から、京極審議官と黒部が入ってきた。可愛がっている獅子王の活躍を見に来たのだろう。京極審議官と秘書らしい男が前の席に座り、黒部は雅也の方へ来た。
「聖谷さんは、斎藤選手のサポートですか?」
「ああ、黒部さんは京極審議官のお守りかい」
黒部が思いっきり溜息を吐いた。
「ええ、嫌な情報が入ったので、護衛を任されたんです」
「黒部さんが護衛? 何かの間違いじゃ……」
「いやいや、私は護衛の手配を任されただけですよ。実際の護衛役は彼らです」
京極審議官の近くに黒服の男が二人、彼らが護衛役なのだろう。
「嫌な情報というのは?」
「前に話した超越者教会が、今度は獅子王さんと京極審議官を狙っているようなんです」
超越者教会がサウジアラビアで油田を一つ破壊したという情報は聞いていた。だが、それが京極審議官とどう繋がるのかが分からない。
「どうして京極審議官?」
「超越者教会の資金源が、シェールオイルと『治癒の指輪』だったんです」
京極審議官が治癒の指輪に関する秘密を盗み出し、商売敵となったというのが理由らしい。
「あらら……自業自得ということで、京極審議官なんか放っておくというのはどうです」
「そういうわけには、いかんのですよ」
「だったら、仕事部屋でおとなしくしておいてもらえばいいのに」
黒部が肩を竦めた。
「そう言って、おとなしくしているようなら、苦労しませんよ」




