scene:146 王家の諜報員
ベラトル領の領主ハロルトは、屋敷でデニスを待っていた。昨日遅くに、ベネショフ領の者たちを迷宮に案内した部下が戻ってきて、デニスの伝言を伝えたからである。
港の件で話し合ったばかりなので、何事かと少し不安になっていた。
午後になって、ベネショフ領の次期領主が訪ねてきた。従士の一人が応接室に案内し、デニスとハロルトは挨拶を交わした。
「デニス殿、迷宮で何かありましたか?」
「ええ、サキリ迷宮で新しい発見がありましたので、報告に来ました」
「発見?」
ハロルトが怪訝そうな顔をしている。その顔を見ながら、デニスは迷宮での出来事を語り始めた。但し、ボーンエッグについては、一言も話さなかった。
「我々は、死神ワイトが出る砦に入り探索しました」
ハロルトが顔色を変えた。その砦は近付けば死ぬと言われている場所だからだ。探索者の間では、死神ワイトを見たら逃げろと言われており、その砦には入れないと思われている。
デニスは死神ワイトの能力である『死の叫び』について説明した。ちなみに、『死の叫び』という名称は魔物が叫ぶことで敵に効果を及ぼす特殊能力の総称である。
「なるほど、死神ワイトには、そんな能力があったのですか。道理で砦に入れなかったわけだ」
死神ワイトについての調査は不完全であり、正体が幽霊のような存在で剣や槍では倒せないこと、それに特別な武器やある放出系真名術で倒した場合に『叫び』の真名を得られることしか情報がなかった。
おそらくであるが、『死の叫び』を食らった探索者は死んだので知られていなかったのだろう。
「デニス殿たちは、どうやって生き残れたのかね?」
「我々の中に、死神ワイトの『死の叫び』に耐性を持つ者がいただけの話です」
ハロルトが何度も頷いた。死神ワイトから『叫び』の真名を入手すれば耐性が得られると、デニスが話すと興味深そうに聞いていた。
デニスは荷物から聖鋼球を取り出し、テーブルの上に置いた。
「それは?」
「我々は、砦から四個の聖鋼球を回収しました。その中の一個をベラトル領へ納めます」
「せ、聖鋼ですと!」
ハロルトが非常に驚いたようだ。そこにつけ込むように、デニスは定期的にサキリ迷宮へ潜れる許可を願い出た。狙いは、骨鬼牛のボーンエッグである。
「まだ、聖鋼があると思われているのか?」
「それもありますが、サキリ迷宮が四階層までしかないのか、確かめたいのです」
それも気になっているので、デニスの言葉に嘘はなかった。
デニスはハロルトと話し合い、ベネショフ領の者なら誰でもサキリ迷宮へ入ることが許される許可証をもらった。その代わりとして、港に灯台を作ることを約束する。
デニスも灯台は必要だと思っていたので、不服はなかった。その後、デニスたちは三日間サキリ迷宮へ潜り、デニスが二個、ゲレオンたちが三個の骨鬼牛のボーンエッグを手に入れた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
同じ頃、王都モンタールの白鳥城では、国王とクラウス内務卿を始めとする高官たちが集まり、会議をしていた。
「軍務卿。ラング神聖国の武装蒸気船と同じものを、我が国で開発することは可能か?」
「原理は分かっておりますので、時間をかければ……」
国王は期待を込めた視線をコンラート軍務卿に向けた。
「それで、どれほどの時間がかかる?」
「一〇年、いや、二〇年はかかるかもしれません」
国王が溜息を吐いた。
「それでは遅すぎる。何とかならんのか?」
「賢人院の博士たちにも協力を願い研究していただいたのですが、蒸気の力を効率良く回転運動に変換する仕組みが、難しいのだそうでございます」
「どうすれば、開発までの時間を短縮できる?」
「博士たちより優秀な人材を投入するしかありません。蒸気船の原理を一番に見抜いたベネショフ領の次期領主殿でございます」
クラウス内務卿が顔をしかめた。
「それは難しいかと思われます。デニス殿が次期領主でなければ、何とかなったかもしれませんが、王家が強権を発動し彼を徴用することは、これまでの慣例を考慮すると許されません」
コンラート軍務卿が内務卿に視線を向けた。
「船といえば、ベネショフ領で建造されている帆船について、どうなっているか聞きたいですな」
軍務卿からの要請で、王家の諜報員がベネショフ領の造船所を調べていた。国内の諜報員を指揮する内務卿は、厳しい顔をして答えた。
「ベネショフ領で建造されている帆船は、新型ではありますが、通常の帆船です。残念ながら蒸気船ではありません」
ベネショフ領で建造されている新型帆船は、今までの帆船とは段違いの性能を持っていた。だが、派遣された諜報員には分からなかったようだ。
しばらくの間、ラング神聖国の武装蒸気船について話し合いが行われた。だが、満足できる結論は得られなかった。
国王が目を瞑り首を振った。
「結論が出ないようだ。議題を変えよう」
内務卿が頷いた。
「次の議題は、ベネショフ領で行われている迷石ラジオの放送です。これが貴族の間で噂になっております」
国王は意味が分からないという顔をした。
「何が問題だと言うのだ?」
「ラジオを聞いている人々の数でございます」
「それがどうした」
「ラジオの影響力でございます。ほとんどの貴族が迷石ラジオを所有し、家族と一緒に聞いております。そして、その内容を友人や知り合いに話しているようなのでございます」
迷石ラジオは裕福な商人たちにも売れ始めているので、影響力が馬鹿にできないと内務卿が主張した。
「ふむ、内務卿はどうしたら良いと思う?」
「放送の内容をチェックし、指導する者が必要だと思われます」
内務卿は事後検閲をするべきだという意見のようだ。国内を監視する諜報部隊を指揮する内務卿は、情報操作という概念を知っていた。それ故に迷石ラジオが危険だと判断した。
「迷石ラジオの指導員として、ブルクハルトをベネショフ領に送ろうと思います」
ブルクハルトは、諜報部隊で一番の切れ者と言われている男である。
その翌日、内務卿はブルクハルトを自分の部屋に呼んだ。
「何ですか? 叔父さん」
「叔父さんじゃない。城では内務卿と呼べと言っただろ」
「どっちでもいいじゃないですか。身内なんですから」
「身内だからだこそだ。それより、任務だ。表向きは迷石ラジオの放送内容を確認し、王国にとって不都合な内容があれば、放送局員に訂正の放送をさせることだ」
ブルクハルトは面白くなさそうな顔をする。
「それで、裏の任務は何です?」
「次期領主デニスの人柄・統治手腕・武才・女性関係について、調査してくれ」
内務卿の顔を、ブルクハルトがジッと見つめた。
「なぜ、男爵領の次期領主を? それほど重要人物だとは思えませんけど」
「彼をテレーザ王女の婚約者にという話がある」
ブルクハルトが気が抜けたように笑った。
「何だ、そんなことか」
内務卿が不機嫌な顔をする。
「重要なことだ」
その数日後、ブルクハルトは部下三人と一緒にベネショフ領に向けて旅立った。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ブルクハルトは、ベネショフ領に到着した日に領主屋敷に向かった。
兵士に案内され、領主エグモントの執務室に向かう。途中、廊下の向こうから小さな女の子を背負った子供が近付いてきた。その子供は大きな布の真ん中に穴を開け、そこから頭を入れて着るような変わった服を纏っていた。しかも、その服にはフードがあり、それを被っている。
屋内だというのに、変な子供だと思って見ていたブルクハルトは、擦れ違った瞬間にフードの中を見て叫びそうになった。
フードの中の顔はドクロだった。ブルクハルトが驚いたのに気づいた兵士が苦笑いする。
「そいつはアメリア様のボーンサーヴァントですから、気にしないでください」
ブルクハルトは、ボーンサーヴァントの話は聞いていた。
「そ、そうですか。あれがボーンサーヴァント……戦場で活躍したそうですね」
「ええ。しかし、本来は召使いとして使用されていたそうですよ」
「ボーンサーヴァントが着ていた服は?」
「あれは『フード付きポンチョ』という服です。骸骨の姿で歩いていると、女の使用人たちが怖がるので着せています」
女の使用人だけでなく、男でも驚くだろう。だが、兵士の様子からすると、ここでは日常的にボーンサーヴァントが使われているようだ。
執務室の中に入ると、エグモントとデニスが書類を処理していた。
「エグモント様、王都から来訪されたエアハルト様をお連れしました」
エアハルトとは、今回の任務で使うことになったブルクハルトの偽名である。
「ようこそ、エアハルト殿。内務卿の命令で、来られたと聞きましたが」
「はい。迷石ラジオの指導員として派遣されました」
デニスの頭の中に『言論の自由』という言葉が浮かんだ。だが、ここは日本ではないことを思い出す。芝居などで王家への批判をすれば、処罰される国なのだ。




