scene:137 オルロフ族の騎馬戦士
討伐軍の野営地で出発の号令があった時、男爵クラスの貴族部隊は湧水を汲めていなかった。だが、出発しないわけにもいかず、デニスたちも出発した。
ミモス山を通りすぎ一日ほど西へ移動したところで各貴族は分かれて、それぞれが指示された場所へ向かう。デニスはセシェル領のクレメンスと一緒に指定された場所まで移動した。
その場所は木がほとんどない草原だった。起伏が少ない地形でオルロフ族の騎馬戦士には、戦いやすい場所だ。デニスはカルロスを呼んで相談した。
「この地形をどう思う?」
「徒歩の我々には少し不利ですな」
「蛮族が使う武器は、短弓と槍だと聞いているけど、『装甲』の真名を使えば防げると思う。だけど、セシェル領の部隊はどうなんだろう?」
カルロスが首を捻った。貴族の部隊なので、何かの真名を持っていると思うのだが、セシェル領の兵士が精強だという噂は聞いたことがない。
そう答えたカルロスへデニスが視線を向ける。
「そうすると、持っていたとしても『魔勁素』と『敏速』『豪腕』『豪脚』あたりか」
「そうだと思います」
伯爵であるヒムセシェル家が今回派兵した兵力は五〇〇。軽装鎧をつけた槍兵が多いようだ。一方、ベネショフ領の兵士は、もっと軽装だった。
夏だということもあるが、各人が『装甲』の真名を持っているので軽装なのだ。モスグリーンのTシャツの上にポケットがいくつか付いている軍用ベストを着ている。ズボンは厚手のもので、靴は魔物のドロップアイテムの革を使った丈夫なものだ。
セシェル領の兵士は、羨ましそうにベネショフ領の兵士を見ていた。軽装鎧はそれなりに防御力があるのだが、とにかく暑い。
デニスは太陽の位置を見て、一時間ほどで日が暮れそうだと判断した。セシェル領のクレメンスがデニスたちのところに近付いてくる。
「デニス殿、敵の姿が見えない。今日は戦いにならないようだが、どうする?」
「戦場規範では、見張りを立て兵は休ませることになっています」
ベネショフ領の兵士たちは、夕食の支度を始めていた。クレメンスはその様子を見て頷いた。
「そうだな。最初は、セシェル領の兵士が見張りに立とう」
夜中の零時で見張りを交代することになった。どうも、クレメンスが頼りない。こういう戦いは初めてのようだ。
カルロスが最初の見張り番を決め、野営する場所を確保した。デニスが頬にとまった虫をパチッと叩いて落とした。一日目の野営地は、それほどでもなかったが、ここは矢鱈と虫が多い。
「こういう草原で野営するのは、虫が多くて嫌になるな」
デニスの愚痴を聞いたカルロスが肩を竦めた。
「仕方ないですよ。我慢して寝るしかないんです。それとも、装甲膜を展開しながら寝ますか?」
「装甲膜は無理だろ。ずーっと展開していると精神的に疲れる。第一眠れないじゃないか」
そこでアイデアが閃いた。『装甲』と『雷撃』の二つの真名を魔源素結晶に転写して、虫よけができないかというものだ。『装甲』の転写は以前から考えていたが、ピッタリの歌が見つからず保留になっていた。
問題は寝ている間、虫にだけ反応する雷撃付きの装甲膜をずーっと展開しておけるだけの魔源素が供給できるかという点だ。空気が動かない屋内だと、迷宮装飾品の周りの空気も動かず、魔源素が供給切れになるかもしれない。
こういうケースは、迷宮石や魔源素結晶をエネルギー源とする迷宮装飾品が作れたら問題解決するんだが、とデニスは考えた。
「デニス様。何か考え中にすみませんが、将軍の伝令が来ました」
「えっ……そうか。何だろう?」
デニスとカルロスは、将軍の伝令から話を聞くために向かった。すでにクレメンスが傍にいて、デニスたちを待っている。
「ゲープハルト将軍からの伝言です。オルロフ族は明日の昼頃に、討伐軍と会敵するとの予想です」
オルロフ族の現在位置と行動から推測したものらしい。
クレメンスが伝令を見ながら尋ねた。
「何か特別な指示はあるか?」
「今夜は戦場規範通りに、警戒を緩めず兵を休ませろとのことです」
「承知した」
伝令が去り、デニスがクレメンスに尋ねた。
「クレメンス殿、兵士たちをどのように配置するか相談しませんか?」
「いいだろう。食事を終えたら、私の天幕に来てくれ」
デニスとカルロスは兵士たちのところに戻り、用意された夕食を食べた。堅パンとソーセージ、それに干し肉で出汁を取った塩スープである。
堅パンは塩スープに浸けて、ふやかしてからでないと食べられない硬さだ。野戦食としては、まあまあの味だった。野菜が少ないという欠点もあるが、仕方ないだろう。
「デニス様、この野戦食はもっと美味しくなりませんかね」
イザークが不満を漏らした。イザークは意外にもグルメなのだ。
「できなくもないが、優先すべきことじゃないだろ」
「いえ、食い物は重要です」
何だか異様な迫力でデニスに迫りながら、イザークが改善を願い出た。
「わ、分かった。何とかするから」
「本当ですか。ベネショフパンみたいなのを期待していますからね」
イザークがこれほど味に五月蝿いとは思わなかった。
その夜は虫に悩まされながら眠り、朝起きた時には顔や腕のあちこちが腫れていた。
「痒い、やっぱり虫撃退用迷宮装飾品が必要だ」
タオルを湿らせ顔を拭く、水が貴重なので顔を洗えないのだ。兵士たちも顔や腕を掻きながらアクビをしている。虫に刺されたようだ。
この虫は、雅也の世界で『蚊』と呼ばれている虫に近いと思う。だが、ここでは吸血羽虫と呼ばれており、夏になると大量に発生して、人々に嫌われている。
雅也の世界の蚊は、病気を媒介する種もいるので真剣に対策を考えた方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると、眠そうに目を擦っているイザークが来た。見張り番をしていたようだ。
「何か異常があったか?」
「いいえ、静かな夜でした」
デニスは兵士たちに戦闘準備をさせて、敵を待った。そして、日が高くなった頃にオルロフ族が現れた。
まず蛮族の騎馬戦士が動き出す。オルロフ族の騎馬隊が駆け寄り、短弓による攻撃を仕掛けた。矢の雨がクリュフ領の侯爵騎士団を襲う。
侯爵騎士団は盾で矢を防いだ。それでも死傷者が出る。侯爵騎士団も弓隊が反撃を始めるが、素早い動きで駆け回る騎馬隊には効果が薄いようだ。
後方から来たオルロフ族の歩兵が、ゲープハルト将軍が率いる部隊と衝突し激しい戦いを始めた。貴族部隊の多くは将軍の部隊を支援するために移動する。
一方、蛮族の騎馬戦士たちは、ダリウス領の紅旗領兵団とクリュフ領の侯爵騎士団に囲まれ苦戦する状況になっていた。
「この分だと出番がないかもしれませんね」
カルロスがデニスに言った。
紅旗領兵団と侯爵騎士団の兵力だけで、決着が付きそうだと思えたからだ。その時、手柄を立てなければと思ったのか、クレメンスが前進を兵士たちに命じた。
セシェル領の部隊が移動を開始し戦いの現場に近付いた時、紅旗領兵団の一部が後退する。チャンスだと気づいたオルロフ族の騎馬戦士は、その一点に集中攻撃をかけた。
「紅旗領兵団の動きが変じゃないか?」
デニスがカルロスに確認した。
「ええ、何を考えているのでしょう」
そこが突破され、騎馬戦士がセシェル領部隊の前に飛び出した。
「いかん、クレメンス殿が倒れた」
その時点で二〇〇〇だったオルロフ族の騎馬戦士が数を減らしながら二つに分かれた。紅旗領兵団と侯爵騎士団に囲まれながら戦い続けている部隊と包囲網を突破した五〇〇ほどの部隊である。
セシェル領部隊は、その五〇〇の騎馬戦士に蹂躙され瓦解した。指揮官が最初に倒れたせいである。ただクレメンスは怪我をしただけで死んではいなかった。
「おいおい、冗談じゃないぞ。こっちは七〇人しかいないんだ」
カルロスが顔をしかめて吐き捨てるように言う。デニスが厳しい顔をして指示を出した。
「こうなったら、全力で蹴散らすしかない。……ボーンサーヴァントを出せ!」
ベネショフ領の兵士たちは、ボーンエッグを取り出しボーンサーヴァントに変化させた。そして、ボーンサーヴァント用に持ってきた長巻を渡す。
騎馬戦士の目の前に、小さなスケルトンと兵士の混成部隊が現れたことになる。騎馬戦士たちは驚いたが、勇猛な男たちなので短弓で攻撃を始めた。
しかし、矢はベネショフ領の兵士たちが展開した装甲膜で弾かれ地に落ちた。ボーンサーヴァントに命中した矢もあったが骨を傷つけただけで、致命傷は与えられなかった。その様子を見た騎馬戦士たちは恐怖を感じたと思う。だが、数においては優勢である。そのまま突撃することを選んだ。
「爆裂球攻撃だ!」
全力を出すと決めたデニスは躊躇せず、ベネショフ領の兵士たちに最大級の攻撃を騎馬戦士たちに向けて放つように命じた。それは頑丈な氷晶ゴーレムでさえ倒す威力のある真名術だった。
その爆裂球攻撃が騎馬戦士たちの間で炸裂すると、人馬が切り裂かれ血煙が舞い上がる。しかも轟音が戦場の隅々にまで響き渡った。
「な、何事だ!」
ゲープハルト将軍が大きな声を上げた。副官は偶々ベネショフ領の兵士たちの方角を見ていたので答えた。
「ベネショフ領の兵士が一斉に放出系の真名術を行使したようです」
「放出系の真名術だと……おい、あれは何だ?」
将軍がデニスたちに目を向け、ボーンサーヴァントの存在に気づいて疑問を口にした。副官もボーンサーヴァントについては知らなかったようで答えられない。




