scene:134 国王の思惑
オスヴィン外務卿が大司教の顔を見てニヤッと笑った。
「なるほど、水蒸気の力ですか。これを知ったからには我が国でも研究せねばなりませんな。数年後にはディアーヌ号と同じような船が、我が国から出港する姿が見られるでしょう」
大司教が外務卿に鋭い視線を向け言い返す。
「原理が分かったとしても、それをちゃんとした動力源にするには、具体的な仕組みを解明する必要があるのですぞ。それに加え優れた精錬技術や金属加工技術などが必要です。その技術が貴国にあるのですか?」
外務卿は不快そうな表情を浮かべた。その顔を見た大司教は追い打ちをかけるように言葉を続ける。
「どうですか? 一つでも我が国に匹敵する技術を貴国は持っているのですか?」
それを聞いて外務卿がデニスの顔を見た。
「ありますぞ。この時間なら最後の部分を聞けるでしょう」
外務卿が交渉団を待合所に案内した。そこにあったのは、デニスが置いた迷石ラジオである。時間は一三時の少し前なので、放送を行っていた。
迷石ラジオの前には、人々が群がり熱心に聞いている。大司教がその人々を怪訝そうな顔で見た。
「ここに何があるというのだね?」
「もう少し前に行けば、分かります」
「君たち、少し道を開けてもらえないか」
外務卿の声を聞いた人々が道を開けた。交渉団が迷石ラジオの前に進み出る。迷石ラジオを目にしたクレールは驚きの表情を浮かべた。
大司教は変な形の箱から声が響いているのに気づき目を見開いた。
「これは、何なのかね?」
「迷石ラジオというものです。遠くの地で発した声や演奏を、この機械で聞くことができるのです。こんなものが貴国にありますか?」
誇らしそうに言う外務卿に、交渉団がムスッとした顔になる。
「ふん、これが何だというのだ。声が聞こえるだけで、何の役に立つ」
大司教は強気の姿勢を見せたが、クレールは迷石ラジオの意味に気づいた。これは遠方との通信が可能になったということだ。経済や軍事に大きな恩恵を与えるだろうと分かる。
その後、関税交渉が始まったが、交渉団の口調が午前中より弱くなった。
デニスは国王に呼ばれ、王家のリビングに案内された。まだ国王は戻っておらず、そこで王妃とテレーザ王女に捕まり礼を言われた。
「あなたの作った迷石ラジオは、素晴らしいわ」
王妃は迷石ラジオにハマったようだ。放送の時は、王族が揃ってラジオを聞きながらティータイムを楽しんでいるという。
「アメリアは来ていないのですか?」
テレーザ王女がデニスに尋ねた。
「はい、今回は急に呼ばれましたので、アメリアは留守番です」
「そうなんですか。また遊びに来てくれると嬉しいです」
「分かりました。アメリアに伝えます」
コンラート軍務卿と国王がリビングに現れた。
「待たせたな。応接室で話をしよう」
デニスは国王の後から応接室に入った。外務卿はまだ交渉中なので、軍務卿が一緒に話を聞きたいということで同席しているようだ。
「そちが調べた報告書は読んだが、理解できない部分がある。詳しく説明してもらいたい」
デニスはできるだけ噛み砕いて分かりやすく説明した。
「なるほど、水が水蒸気になると体積が一七〇〇倍になるというのは興味深い。話を纏めると、体積が膨張することで、それが力になると言うのだな」
「そうでございます。ディアーヌ号は膨張した水蒸気の力を回転する力に変え、船を進めているものと思われます」
「それはそちが持ってきた玩具と同じ仕組みなのか?」
「そうではないと思います。あのような方法では、力のほとんどが外に逃げてしまいます。何らかの工夫をしているのだと推測しています」
「その仕組みが分かるか?」
ここでデニスが分かると答えれば、元々知っていたのではないかと思われそうだ。
「さすがに具体的な仕組みまでは分かりません。人を集め研究する必要があると思われます」
国王がちょっとガッカリした様子を見せた。
「そうか。まあ、そうであろうな」
軍務卿がデニスに問いかけた。
「ところで、ベネショフ領では造船所を建設しているそうだな」
造船所の建設は、御前総会で提出した報告書に記述していたので、軍務卿が知っているのは不思議ではない。
「はい、貨物船を建造しようと考えております」
「その貨物船は、どれほどの大きさなのかね?」
「全長がディアーヌ号の半分ほどです」
デニスは全長二五メートル、排水量一〇〇トンほどの帆船を造ろうかと考えていた。もちろん、雅也の協力も依頼している。
軍務卿が残念そうな顔をする。ディアーヌ号に対抗できるような船を期待したのだろうか。しかし、今の財政状況でブリオネス家が建造できるのは、その程度の船なのだ。但し、ゼルマン王国の一般的な貨物船と比べて小さいわけではない。中型貨物船という分類になるだろう。
「その船は蒸気機関で走らせるようにできるのかね?」
「無理です。蒸気船を建造するには、船の設計から研究しなければならないでしょう」
「そうか。ベネショフ領の麒麟児でも無理か」
軍務卿の期待が大きすぎる。デニスに頼んだら何でもできるというような噂が流れるのは願い下げなので、少し行動を控えた方がいいかもしれない。
だが、その時には国王と重臣たちの頭の中に、何か困ったことが起きればデニスに相談した方がいいのでは、という考えが刷り込まれていた。
デニスが帰った後、国王と軍務卿はしばらく話し合った。
「陛下、あの若者は本当に逸材ですな」
「うむ、ベネショフ領のような辺境で燻ぶらせておくには、惜しい人材だ。次期領主でなければ引き抜いて、王政府で活躍してもらうのだが」
軍務卿が一つ提案をした。
「あの若者には婚約者がいません。重臣の家から適当な娘を選び縁を結ばせたらどうでしょう?」
国王は頷いた。
「ふむ、面白い。だが、重臣たちの娘でなく、余の娘と婚約させるのはどうだ?」
国王マンフレート三世には、三人の娘がいる。長女はすでに結婚したが、次女テレーザ王女は一三歳であり、一九歳のデニスとなら釣り合わない年齢ではない。
「しかし、ブリオネス家は男爵。王家の姫を降嫁させるには、爵位が足りません。少なくとも子爵でないと」
昔は伯爵以上でないと、王家の姫を降嫁させることはできなかった。だが、王家と伯爵以上の貴族家で血縁が深くなり、今では子爵家までなら許されるようになっていた。
「デニスならば、すぐに手柄を立て子爵になるのではないか?」
「そうかもしれません。ですが、ブリオネス家は男爵に陞爵したばかり、よほどの手柄を立てなければ子爵にできません」
国王が笑いを浮かべた。
「オスヴィンよ。そろそろ北の国境線で騒ぎが起きる時期ではないか」
国王が言う騒ぎとは、北の蛮族が三年ほどの間隔で王国に攻め込んでくることだ。
遊牧民であるオルロフ族は、三年に一度ほどの間隔で家畜の餌である草を求めて南下してくる。そして、必ずゼルマン王国の民と争いを起こすのだ。
三年前は数千の蛮族がチダレス領の北から侵入し争いとなり、ゲープハルト将軍が王都予備軍を率いて、王都の北東にあるチダレス領へ向かった。
その時は貴族にも参戦するように命令が下り、男爵以上の貴族は兵を率いてチダレス領に出兵した。蛮族との戦いでは、バルツァー公爵の紅旗領兵団が活躍し蛮族を北へ追い返すことができた。
だが、活躍した紅旗領兵団も戦いで優秀な兵士を戦死させ弱体化。ここ数年は、若い兵士を鍛えることに力を注いでいるのだ。
「今年の夏に、北の蛮族が攻めてきたら、ベネショフ領の兵士も招集されます。たぶんデニスが兵を率いて出兵するでしょう」
「デニスに活躍の場を与えれば、手柄を立てるだろう。それだけの力を持っている若者だ」
「活躍した褒美に、子爵の爵位を……少し強引ではありませんか?」
他の貴族に依怙贔屓だと思われないか、と軍務卿は心配しているようだ。
「テレーザには幸せになって欲しい。そして、今のところ余の心眼が本物だと認めたのは、デニスだけなのだ」
国王は一人の父親として、娘に幸せになって欲しいという。
「分かりました。ですが、エグモント殿が息子の嫁を先に決めたらどういたしますか?」
「エグモントには、余がデニスの嫁の件を考えていることを伝える。先走って婚約するようなことはさせんよ」
日本に住む雅也が国王の思惑を知ったら、余計なお世話だと言うかもしれない。だが、この国における貴族の結婚は、家と家との結びつきが本人たちの恋愛感情より優先されるのは普通のことだった。




