scene:133 蒸気機関
ラング神聖国の関税交渉団を迎賓館へ案内したオスヴィン外務卿は、国王の下へ向かった。
「陛下、ラング神聖国の関税交渉団を無事に迎賓館へ案内いたしました」
「ご苦労、代表は誰だ?」
「今年はレアンドル大司教でございます」
国王は外務卿の様子がおかしいのに気づいた。
「何かあったか?」
外務卿がロウダル領の港に到着したラング神聖国の船について説明した。
「その船は、本当に帆や漕ぎ手もなく動いておったのか?」
「この目で確かめました」
国王が難しい顔をして考え込んだ。その顔を見た外務卿は一つの提案をした。
「陛下、賢人院の学者に調査させてはどうでしょう?」
「そうだな。手配してくれ」
「承知いたしました」
外務卿の依頼により、賢人院からグリンデマン博士を含む数人の学者がロウダルへ派遣された。古代史と古代文字の専門家であるグリンデマン博士が参加したのは、古代文明の中に同じような船があったという情報を持っていたからだ。
博士たちの調査により、船の両脇に付いている何かが動き進むのだと推測した。ラング神聖国の船の舷側には、何かを隠すようなカバーが付いており、動く時にその辺りの海面が波立っていることを発見したのだ。
また船に大きな煙突が備わっており、厨房の煙とは思えないと指摘された。
「この船には、大きな謎がある。ベネショフ領のデニス殿から意見を聞きたいものだ」
グリンデマン博士からデニスの名前が挙がった。そこで外務卿と国王は話し合い、デニスを王都へ呼ぶことにした。遠方にいるデニスをわざわざ王都に呼んでまで意見を聞きたいと考えたのは、それだけ武装蒸気船の脅威が重大だと判断したからである。
ベネショフ領には王国で試験中の王命伝達装置が置いてあり、それを使って呼んだ。
形は迷石ラジオに似ていた。というか、構造は同じで使っている識別符が違うだけである。ベネショフ領では、王命伝達装置の前に当番兵を置いて、国からの連絡を聞き逃さないようにしていた。
当番兵がお茶を飲んでいた時、いきなり王命伝達装置から声が響き始める。
「王政府からの伝達事項を伝える。オスヴィン外務卿の要請により、ベネショフ領のデニス氏を王城に召喚する」
その連絡を書き留めた当番兵は、マイクに向かって連絡を受信したことを王都へ伝えた。
連絡を受け取ったデニスは、文面を見て考えた。
「これは暗号を導入する必要があるな。僕が召喚されたことが、他の領主にバレバレじゃないか」
王命伝達装置の欠点に気づいたデニスだったが、すぐには改修できないだろうと思った。暗号を開発しても兵士が暗号を使用できるように訓練する必要があるからだ。
まずは賢人院の学者たちに暗号を考えさせるのもいいかもしれない。本当は雅也に頼んで暗号を作ってもらうのが早いのだが、この世界の人間が自分たちで経験することも大事だろうと考えた。
「しかし、王都で何が起きたんだろう」
大斜面の開発で忙しくしていたデニスは、仏頂面をして旅の支度を始めた。
エグモントが馬を用意した。王命であれば、急がねばならないと思ったのだ。同行するのはイザークとフォルカである。
五日で王都へ到着し、白鳥城に登城した。
城の警備兵は、デニスが名乗るとオスヴィン外務卿の部屋へ案内した。デニスが来たら案内するように指示されていたようだ。
「そこに座ってくれ」
部屋に入ったデニスに外務卿が声をかけた。デニスがソファーに座ると、外務卿が話し始めた。外務卿によるとラング神聖国の船を調査して欲しいらしい。
「賢人院の学者が、すでに調査したのですよね」
「賢人院による調査は終わったが、何も分からなかった。そこで学者たちの間から、君の名が挙がったのだ。賢人院の博士たちより博識だと評判になっていたぞ」
賢人院ではデニスを天才ではないか、と言っているらしい。賢人院でいろいろと議論したので、そんな評判が立ったのだろう。
「承知しました。早急にロウダル領へ行き調査します」
「うむ、頼んだぞ」
屋敷に戻ったデニスは、風呂に入って疲れを癒やした。風呂から上がり食堂へ行くと、イザークたちが待っていた。白鳥城での話が気になるらしい。
「デニス様、外務卿の話とは何だったのですか?」
「ラング神聖国の船を調査してくれという依頼だ」
「船ですか……なぜデニス様に?」
「賢人院の博士たちが、僕を天才だと言っているらしい」
「なるほど。それを外務卿が聞いて、デニス様を呼ばれたのですね」
「ベネショフ領から呼ぶのだから、その船は尋常な船ではないのだろう」
翌日、イザークとフォルカを連れてロウダルの港に向かう。デニスもラング神聖国の船には興味を持った。デニスも知らない真名の活用法を発見したのかもしれないと期待したのだ。
港に到着し実際に船を見て少しガッカリした。見てすぐに蒸気船だと分かったからだ。舷側の外輪と煙突の組み合わせは、雅也の記憶にある黒船と同じだった。
イザークはデニスのガッカリしたような顔を見て勘違いした。デニスにも分からないものだったと思ったのだ。
「そんな顔をしないでください。見ただけで分かる奴なんていませんよ」
慰めているイザークの言葉を聞いて、デニスが笑った。
「違う、違う。分からないんじゃないんだ。期待したより簡単なものだったのでガッカリしただけだ」
「えっ、簡単……俺には皆目見当がつきませんが」
「白鳥城にある図書室かどこかで、あいつの動く原理が書かれている本を読んだことがある」
もちろん、嘘である。読んだのはネット上の情報だ。ベネショフ領で開発できる動力源を探すように雅也に頼んだ時、水車と一緒に雅也が探してきた候補の一つである。
工場の動力としては蒸気機関が相応しかったのだが、蒸気機関の開発には時間と大金が必要だと思い断念し、水車で我慢することにしたのだ。
「王都へ戻るぞ」
王都の屋敷に戻り、どうやって説明するか思案した。蒸気機関は全く新しいものであり、言葉だけで説明しても納得してもらえるだろうか、と疑問に思った。
「簡単な模型を作って、蒸気の力を説明するか」
蒸気機関の模型を作るのは時間がかるので、作るのは蒸気の力で金属製のプロペラを回すだけの簡単な模型である。
その次の日、白鳥城では関税の交渉が行われていた。
「綿織物の関税を、二五パーセント上げることは、我が信徒たちを守るために必要だと教皇は思っておられます」
レアンドル大司教が、これまでの主張を変えようとしなかった。
「しかし、我が国は貴国の茶葉にかける関税を下げたのですぞ」
オスヴィン外務卿が、綿織物の関税を下げるべきだと訴えた。
それを聞いて大司教が薄ら笑いを浮かべる。
「貴殿は関税が国同士の力関係で決まるという原則を忘れておられるようだ。我らのディアーヌ号をご覧になっただろう。あの船に対抗できる船を用意できるのですか?」
あの船ならゼルマン王国の海岸にある町を攻撃し、大きな被害を与えることができる。明らかな脅迫だった。外務卿は思わず唸るような声を上げ、大司教を睨んだ。
白熱した交渉が続いた後、休憩時間になった。
ラング神聖国の交渉団が迎賓館に戻り昼食を食べていると、クム領近くにある迷宮へ行っていたクレールが戻ってきた。
「目的の真名は手に入れたのかね?」
「ええ、手に入れることができました。大司教のおかげです」
クレールが手に入れたのは、『抽象化』の真名である。
「それは良かった。……そうだ、午後から君も交渉に参加してくれ。この国の外務卿に紹介してやろう」
「ありがとうございます」
交渉団が白鳥城に行くと、会議室ではなく広間に案内された。
「どうしてここへ?」
レアンドル大司教が広間で待っていた外務卿に尋ねた。
「ラング神聖国の方々に、我が国の麒麟児を紹介しようと思いまして」
大司教が笑いクレールに視線を向ける。
「偶然ですな。私も故国の天才を紹介しようと考えていたところです」
外務卿はデニスの名前を呼んだ。外にいたデニスが広間に入り自己紹介する。
「ほう、ゼルマン王国の麒麟児は、お若いのですな。それでは我が国の天才を紹介しよう」
大司教がクレールを紹介する。
デニスとクレールは握手を交わした。大司教が薄ら笑いを浮かべデニスに質問した。
「デニス殿はディアーヌ号をご覧になりましたか?」
「はい、素晴らしい船ですね」
「そうだろう。あの船がどうやって動くのか分かりますかな?」
大司教はデニスを試そうとしているらしい。
「正しいかどうかは分かりませんが、推測はできます」
大司教とクレールが驚いたような顔をする。
「外から見ただけでは、分からないと思うがね」
大司教はデニスの言葉をハッタリだと考えたようだ。
デニスはニコッと笑って言った。
「この国には、子供の玩具でこんなものがあるんですよ」
デニスはイザークを呼んだ。イザークの手には、金物細工師に頼んで大急ぎで作らせた蒸気でプロペラが動く模型があった。
その模型をテーブルの上に置き、アルコールランプで水の入った缶を加熱する。それを見てクレールが顔色を変えた。それが何か分かったようだ。
缶の中の水が沸騰し蒸気が缶の上部に開けられた穴から噴き出し始めた。そして、その蒸気がプロペラに当たり回転させる。
「どうです。ディアーヌ号に搭載されている動力は、これと同じ蒸気で動かすものじゃないのですか?」
デニスが告げると大司教が唇を噛み締めた。
突然、クレールが話し始めた。
「そんな玩具とディアーヌ号の蒸気機関を一緒にして欲しくないな」
「ほう、蒸気機関と言うのですか。確かに玩具と船を動かす蒸気機関とは一緒ではないでしょうが、原理は一緒なのではないですか?」
クレールが凄い目つきでデニスを睨んだ。その目はお前の正体は分かっているぞ、という意味が込められていた。睨み返したデニスの目も同じだった。




