scene:132 ラング神聖国
迷石ラジオの魅力に取り憑かれたのは、王族だけではなかった。白鳥城の待合所で迷石ラジオを聞いた貴族や商人が、競い合うように迷石ラジオを探し求めた。
かなり高価な商品なのだが、裕福な人々は構わず購入した。結果として、ラジオ放送を聞きながらティータイムを楽しむという習慣が流行り始める。
迷石ラジオの販売は、王都のファッシュ商会に委託していた。商会の主であるゼバスチャンは、逸早くデニスが作る発光迷石に注目し、その販売で大儲けをした人物だ。
ゼバスチャンとデニスは親しくなり、王都の生活では世話になることもあった。その縁でデニスは迷石ラジオの販売をゼバスチャンに任せることにしたのだ。
ファッシュ商会の店の前には、大きな看板が置かれている。その看板には迷石ラジオの絵と『予約販売受付中』という文字が書かれていた。
今はまだ迷石ラジオの存在を知っている者は、貴族や商人の一部に限られている。なので、迷石ラジオを注文する人数は限られていたが、それでも製造が追いつかないほどの注文があった。
おかげで注文が溜まり、二ヶ月待ちになっている。
グスタフ男爵もファッシュ商会を訪れ、迷石ラジオを注文をして二ヶ月待ちになった。ゼバスチャンにもう少し早く手に入れられないのかと相談するとデニスに頼んだらと言われた。
グスタフ男爵が、デニスの兄ゲラルトの義父であると知っているゼバスチャンが、特別に教えてくれたのだ。翌日、男爵は王都の屋敷に滞在していたデニスを訪ねた。
「ようこそ、グスタフ男爵。今日はどうしました?」
「迷石ラジオだよ。噂になっている商品をベネショフ領が作っているというのは、本当なのかね?」
「ええ、作っていますよ」
グスタフ男爵の用件は、迷石ラジオを購入したいということだった。
「貴族の間で、迷石ラジオが凄い評判になっているのだ。妻と娘から絶対に手に入れてくれと頼まれている」
貴族の女性たちの間で『お宅はもう迷石ラジオを購入されたのかしら?』という言葉が飛び交っているらしい。そして、ラジオで放送された内容が話題になり、迷石ラジオを持っていない者は肩身が狭い思いをしているという。
デニスは少し驚いた。迷石ラジオの販売数から考え、そこまで影響力のある存在になっているとは思っていなかったのだ。
「いいでしょう。迷石ラジオを一台用意します」
「おおっ、そうか。感謝する」
グスタフ男爵がホッとしたような表情を浮かべた。余程強く購入を頼まれていたらしい。
デニスは共振迷石を短期間に大量に作りベネショフ領の職人たちに預けているので、迷石ラジオに関しては負担に思っていなかった。放送番組の制作もルトポルトたちが頑張っているようなので、デニスの手を離れている。
デニスはベネショフ領に戻り、領地開発に全力を注ぐことにした。
港の整備が完了したベネショフ領では、これまでにない大きな造船所の建設も始めた。大きいと言っても、排水量一〇〇トン、全長二五メートルまでの帆船を建造可能な乾ドックである。
以前から貨物船を建造したいと思っていたデニスだが、迷石ラジオの収益で予算を確保する目処が立ったのだ。その頃になると、最初に造成を始めた大斜面の貯水池が完成した。
デニスと一緒に大斜面の視察を行っていたエグモントは、完成した貯水池を眺めた。そして、規模の大きさに改めて感心する。エグモントが池の周りを歩きながらデニスに質問する。
「これだけの貯水池が本当に必要になるのか?」
デニスが微笑んだ。あまりにも大規模なので父親が不安になった、と分かったからだ。
「必要だよ。この水は新しく建設する紡績工場の動力としても使うから」
エグモントが納得できないという顔をする。
「水車だよ。水車の力を使って機械を動かすようにするつもりなんだ」
「ほう、そんなことができるのか。どのくらいの綿糸が作れるようになる?」
「今ある工場の五〇倍は、生産できそうだよ」
「五〇倍だと、そんなに生産して売れるのか?」
「国内だけじゃなく、他国にも売るつもりでいるんだ」
「なるほど、それでどれほどの利益が?」
「伯爵家か侯爵家の収入に匹敵すると思う」
エグモントが目を見開き驚きの表情を浮かべた。
「な、何だと……伯爵家か侯爵家。本当なのか?」
デニスは大きく頷いた。
「ただ最初から五〇倍の工場を建設するつもりはないよ。まずは五倍の工場を建設して徐々に拡張していく予定さ」
「そうか、少しびっくりしたぞ」
デニスは大斜面を流れ落ちる網の目のような用水路の掘削工事を始めさせた。さらに紡績工場を建設する用地の整備とそこで働く人々が住む住宅地の整備も開始する。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ベネショフ領で大掛かりな開発事業が進んでいる頃、東のラング神聖国ではクレール・ローランサンという二〇歳の青年が、聖国士の一人に任命された。
聖国士とはラング神聖国で特に秀でた業績を残した人物に贈られる称号で、二〇代の者に贈られることは一〇〇年ぶりのことだった。
この国はラング神教により統治される宗教国家だ。フォルタン教皇が最高権力者であり、十大司教と教皇の合議で国が運営されている。
そのフォルタン教皇が赤い竜が彫られた勲章を、クレールの胸につけた。
「これより、そなたは聖国士として生きていくのだ。信徒の規範となり、国に尽くせ」
「国家繁栄のために、全力を尽くします」
クレールが頭を下げると、教皇は満足そうに頷いた。
聖国士任命の儀式が終わり、クレールは十大司教の一人レアンドル大司教に呼ばれて、その執務室へ入った。
「クレールよ。よくやった」
「ありがとうございます、レアンドル様」
レアンドル大司教は、探索者だったクレールを登用し聖国士にまでしてくれた恩人である。
「君が考案した蒸気機関により、我が国の産業は大きく進歩した。しかも、数日後には蒸気船も出港することになっている。何か褒美を出さねばならんと思っておったのだ。何がいい?」
クレールは探索者をやめ蒸気機関の開発を行っている間も、ある真名が欲しいと思っていた。ラング神聖国の迷宮には存在しない魔物から手に入る真名だ。
「蒸気船でゼルマン王国へ行く許可をください」
「ゼルマン王国だと……どんな用があると言うのだ?」
「欲しい真名があるのです」
「ふむ、いいだろう。ゼルマンの異教徒どもに、我が国の天才を見せてやろうではないか」
ラング神聖国が初めて建造した蒸気船は武装船でもあった。その船を隣国に派遣するのは威嚇するためである。蒸気船に乗っているのは、隣国との関税を話し合いに行く交渉団なのだ。
武装蒸気船の武威で隣国を脅し、関税交渉を有利にしようとラング神聖国は考えていた。宗教国家であるのに、やり方は帝国主義国家の発想である。
数日後、ラング神聖国の首都マシアから武装蒸気船ディアーヌ号が出港した。船上にはクレールの姿もある。
「しばらく迷宮に潜っていなかったから、腕が鈍っていないかが心配だ」
そう呟きながら、クレールは海を眺めた。
クレール自身、自分は優秀な探索者だったと思っている。『頑強』『剛力』などの優秀な探索者なら持っていると言われている真名を持ち、切り札となる真名も所有している。
ただ彼には他人に隠している秘密があった。精神の中に地球という星に住むヴコール・マチェロフという男の魂が眠っているのだ。
蒸気機関のパワーで進む武装蒸気船は、何事もなく港町ロウダルに到着した。ロウダルには、オスヴィン外務卿が迎えに来た。
外務卿は入港した武装蒸気船を見て目を剥く。帆も漕ぎ手もないのに進む船。しかも武装している。甲板に大型弩砲と投石機が設置されているのが見えた。
クレールが船を降りると、青い顔をした兵士たちが船縁から顔を覗かせている武器を見ていた。原始的な武器でしかないのに、とクレールは思う。しかし、この世界では最新型の武器なのだ。
この世界では火薬が発明されていない。乾燥地帯ではないので、水に溶けてしまう硝石が手に入らないというのも一因なのだが、真名術の存在も火薬を使う武器というものが発達しなかった原因だった。
だが、この先は分からない。クールドリーマーの誰かが火薬を創り出すかもしれないからだ。
クレールの後から、レアンドル大司教が降りてきた。
「オスヴィン外務卿、お久しぶりです」
「大司教も御元気なようで、何よりです」
挨拶が終わった後、外務卿が船を見上げて質問した。
「この船はどうされたのです?」
「我が国で造られた最新型の武装自走船です」
大司教が誇らしげに言った。
「こんなものを開発されていたとは……」
外務卿が船に対して脅威を感じているのに気づき、大司教はニヤリと笑った。




