scene:126 武装翔空艇
大学のオーケストラと合わせ稽古をした雅也は、第一工場に戻った。
「歌の練習はどうだった?」
工場の事務所に顔を出すと、小雪が工場長と打ち合わせをするために来ていた。
「まあ、何とかなったかな。学生たちが変に焦っているようだったけど、最後には合わせてくれたよ」
「へえぇ、学生もやるわね。ところで変装して行ったのよね。どんな変装なの?」
「付け髭とカツラ、それにサングラスだけだ。大したもんじゃない」
「でも、見たかったなぁ。音楽祭は絶対に聞きに行くから」
雅也は苦笑した。
「それより、第二工場に構築した救難翔空艇の製造ラインはどうなんだ?」
「順調に製造を開始しましたよ。自衛隊や海上保安庁、消防関係から注文が来てます」
「ふーん、海外からは?」
「オーストラリアから、消火用翔空艇が造れるなら、大量発注するという申し出がありました。その他の諸外国から検証用だと思われる注文が大量に来てますね」
「消火用翔空艇? ああ、オーストラリアの森林火災か。どれくらいの水を運べればいいんだろう?」
「あの国の希望では、二〇トンほどが望ましいそうよ」
開発中の動真力エンジンの中に、出力増強型のものがあったはずだ。その出力増強型動真力エンジンと防火対策をすれば、何とかなるのではないか。
ちなみに、出力増強型動真力エンジンと武装翔空艇に搭載される推力偏向型動真力エンジンとは別物である。純粋に馬力だけを比較すれば、推力偏向型動真力エンジンの方が大きかった。ただ燃費は出力増強型の方が良いらしい。
「放水車のように放水できるようにしたら、高層ビル火災の消火にも対処できるな。提案してみようかな」
「ダメよ。そんな研究に回せる技術者はいません。自衛隊から無理な要望が入って、大変なんだから」
「無理な要望って?」
「ステルス型攻撃翔空機の最高スピードをマッハ以上にできないかだとか、海中に潜れるようにできないかとかです。無茶苦茶ですよ」
「スピードは理解できるが、海中に潜るというのは何でだ?」
「海中に潜れるなら、敵機にロックオンされた時に、海中に潜ってミサイルを避けたり、海中で給油とかができるそうです」
潜水艦並みに潜れるということではなく、海中五メートルくらいにまで潜れるならいいそうだ。生活防水の範囲なので不可能ではないだろうが、給気口やジェットエンジンをシールドしなければならないだろう。
「あの機体はハイブリッド型で、バッテリーを動力源にして動かせるから可能だろうけど……高高度を飛ぶ攻撃機がロックオンされてから海中に逃げ込む暇があるのか? それより高度を上げて逃げた方がいいと思うけど」
「さあ、どうなんでしょう。でも、潜水艦から海中給油とかはできるんじゃないですか」
「海上じゃなく海中なのは、潜水艦から給油しようという構想なのか。面白いけど、一〇年以上の開発期間がかかるんじゃないか」
雅也は暴走しそうになる開発チームの手綱を引き締め、試作機の開発を進めた。
武装翔空艇の方は、救難翔空艇の構造を強化し武器を積み込み、搭載する兵器に合わせて火器管制システムを改修するだけなので順調のようだ。
ただ順調とはいえ、火器管制システムの改修はそれなりに大変らしい。大勢の専門技術者が寸暇を惜しんで開発に取り組んでいる。
試作機が形になり始めると、武装翔空艇を公表することが議題になった。同盟国からも日本は隠れて何をしているのだと、追及されるようになったからだ。
防衛省は武装翔空艇の試作機開発について公表することにした。そうしないと来年度の予算が取れないのだから仕方ないそうだ。
その公表の会場には、第一工場の翔空艇発着場が選ばれた。マナテクノは近くの自衛隊基地が良いのではないかと主張したが、未完成の試作機を運ぶのは大変だと指摘された。
その日、アメリカ国防総省に日本から招待状が送られた。受け取ったのはテレパス国防長官である。
「日本が密かに開発していると聞いていた武装翔空艇を、やっと公表する気になったようだ」
国防長官は国防総省の顧問であるトロッター博士を呼んで、日本へ行って武装翔空艇を評価することを頼んだ。
トロッター博士は世界的に有名な航空機メーカーの軍用部門で責任者をしていたこともある専門家だ。
「ほう、日本の翔空艇には興味があったので、喜んで行かせてもらう。それで何を重点に評価すればいいのかな?」
「拡張性だ。我が国が開発した兵器を搭載できるかどうか。軍のシステムに組み込めるかどうか」
「ふむ。アメリカに導入するつもりなのかね?」
「大統領から軍事費を削れと言われているのだ。日本が開発中の武装翔空艇は、かなり低予算で開発が進み機体も安価に製造できそうだと聞いている」
トロッター博士が思い出したように確認した。
「我が国で、動真力機関を開発していると聞いているが、開発は進んでいるのか?」
国防長官は深い溜息を吐いた。
「それが順調ならば、日本が開発したものに手を出そうとせんよ」
軍事面では常にナンバーワンを目指している国である。軍事に関連する技術ならば、大金を出して研究開発しているはずだが、動真力機関の開発は難航していた。
数人の軍人と一緒に日本に飛んだトロッター博士は、防衛省の役人に案内されマナテクノの第一工場に向かった。その工場はトロッター博士の予想より小さなものだった。
「思ったより小さな工場だな。本当にここで開発しているのかね?」
「はい。ここはヴォルテクエンジンの製造工場で、工場の一角を借りて開発が行われています」
博士は肩を竦め、アメリカの開発とは違うと感じた。
翔空艇発着場に案内されると、そこには自衛隊関係者と数人の政治家、マスコミが集まっていた。
発着場の中央には、シートを被せられた武装翔空艇が置かれていた。風でなびくシートの隙間から、機体の一部が顔を覗かせている。
「時間になりましたので、日本が開発している武装翔空艇AN-1について説明します」
防衛装備庁の広報担当者が説明を始めた。
武装翔空艇が動真力エンジンを搭載した初めての軍用機であること。ヘリコプターに比べて機動性が高く静かであることが伝えられた。
「武装翔空艇の最大速度は、どれくらいなんですか?」
マスコミの一人が質問した。
「時速六〇〇キロを目指して開発中です」
実際の目標値より一〇〇キロほど低い数値を教えた。軍事機密に関するものなので、正直に教えないのが普通なのだ。
時間が来て、開発中の武装翔空艇が披露された。シートを外すと、優美な機体が姿を現した。翼のない飛行艇をもっと洗練した形にしたデザインである。
マスコミの間から、驚嘆の声が上がる。
「これは開発が完了しているのかね?」
トロッター博士がマナテクノの中村主任に英語で尋ねた。
英語に堪能な中村主任は、首を振って否定する。
「いえ、まだ完成していません。ソフトウェアの開発に時間がかかっているようです」
「なら、我が国と共同開発というのはどうだね?」
「それは日本政府に聞いてください」
博士は武装翔空艇に大きな可能性を感じた。システムの多くは攻撃ヘリのものが流用できそうであり、戦闘機以上の機動性を発揮するかもしれない。しかも拡張性が高く、兵器搭載量も多そうだ。
「確か救難翔空艇を販売していたね。それと比べて試作機は、どう違う?」
「機体の剛性が高くなり、エンジンも高馬力のものに変えてありますので、最大速度が違います」
「軍用として使うのなら当然のことか」
記者の一人が開発予算について質問した。その答えを聞いたマスコミは、肩透かしを食らったような顔をする。予想より大幅に少なかったからだ。
武装翔空艇の開発がニュースとなった時、この機体の評判は良くなかった。開発予算が少ないのを知った各国の軍事評論家は、日本が安価で低性能な兵器を大量に製造し配備しようとしていると考えたようだ。
その推測はあながち間違っていなかった。防衛装備庁は低性能ではあるが安価で、厳しい訓練を受けなくとも操縦できる兵器。運用維持費が安く整備も簡単な兵器を求めていたのだ。
防衛装備庁が目指した兵器とは異なり、武装翔空艇に別の可能性を見出した人物がいた。
トロッター博士である。彼は武装翔空艇が高性能な兵器となり得る可能性を秘めていると直感し、アメリカ政府が購入した救難翔空艇を徹底的に分析させ、アメリカ軍が攻撃型翔空艇を開発するなら、どのようになるかを研究させた。
各国の軍事関係者が武装翔空艇のことで盛り上がっている頃、雅也は能天気に歌の練習をしていた。
「本番が近付くと、何だか落ち着かなくなった。俺って緊張しているのかな?」
カラオケボックスで話を聞いていた冬彦が笑った。
「先輩が緊張ですか。珍しいですね」
「誰でも緊張するだろ。大勢の前で歌うんだぞ」
「大丈夫ですよ。最後にちょこっと歌うだけじゃないですか」
「そうだけど、失敗して恥をかくのは俺なんだ。ちょっとでも練習しとかなきゃと思うだろ」
「そういえば、神原社長が川菱重工の恩田社長を連れて観に行くとか言ってましたよ」
「嘘だろ。何でわざわざ恩田社長を連れてくるかな」
「素晴らしい音楽祭になると知っているからですよ。ちなみに、うちの親父も行きます」
「最悪だ。こうなったら開き直るしかないか」




