scene:125 大斜面の開発開始
デニスが屋敷に戻ると、ヨアヒム将軍の息子クルトが来ていた。
「クルトじゃないか。どうしたんだ?」
「もう一度、ベネショフ領で鍛えたいんです」
「秋の武闘祭で負けたことが、そんなに悔しかったのか?」
「それもあるけど、武闘祭の後にデニス殿が技を披露したでしょ。あれを見て修業しなきゃと思ったんだ」
ベネショフ領で修業するのは構わない。だが、クルトはハルトマン剛剣術の使い手である。剣術は教えられないのだが、どうするつもりなのか尋ねた。
「それでも構いません。剣術の基礎から鍛えたいんです」
デニスは苦笑した。
「いいだろう。時間がある時に鍛えてやる」
宮坂流は教えられないが、剣術の基礎から鍛え直すのもいいだろう。
そうこうしているうちに、御前総会の時期が迫りエグモントが王都に来た。
「陛下といろいろあったようだな」
「予想もしていないことだったけど、何とか上手く交渉できたと思う」
デニスが治癒の指輪や通信モアダについての交渉内容を語った。
「なるほど、指輪の件はいいとしても、その通信モアダはベネショフ領だけの秘密として使った方が良かったのではないか?」
デニスもそういう考えが浮かんだが、ベネショフ領だけで小さく利用するのでは限界があると思ったのだ。デニスは王国全体で使った方が利益になるとエグモントに説明した。
「そんなものか。それで通信モアダが使える範囲はどれほどなのだ?」
それはデニスにも分からなかった。解説書にも通信範囲は書かれていなかったからだ。ただ国内なら問題ないみたいなことが書かれていたので、相当広い範囲で通信可能なのだと分かっている。
「迷宮で手に入れた通信モアダを使って実験してみたのだけど、王都内ならどこでも通信可能だった。但し、迷宮は例外みたい」
「王国内なら通信が可能だとすると、貴族たちが欲しがるだろうな」
デニスが肩を竦めた。識別符の数が少ないのだから、いくら貴族たちが欲しいと言っても無い袖は振れない。
「欲しいのなら、スウィンデーモン王がリポップした後に倒して『共振』の真名を手に入れればいい。但し、識別符は自分たちで探すしかないけど」
デニスはフェシル人の資料はほとんど見つからないが、前王朝時代の資料はいくらか残っているので、探せば識別符が見つかる可能性があると考えていた。
それに識別符の図が、どういう原理を基に描かれているのか分かれば、新しいものを創り出すこともできるだろう。これは雅也に頼んで調べてもらう価値がある。
御前総会では、デニスが迷宮で通信モアダに関する解説書を手に入れたことが発表され、王都と各領地との間で、新しい通信手段が開発されるだろう、と国王が宣言した。
バルツァー公爵が身を乗り出した。
「それは素晴らしい。その解説書を我らにも見せて頂けるのでしょうか?」
「いや、当分の間は非公開とする」
公爵が後ろを振り向き、デニスを睨む。
「公爵、これはブリオネス男爵家の要望ではなく、国王である余が決めたことだ」
「なぜでございますか?」
「これは軍事にも利用できる。他国に利用されることを避けねばならん。分かるな」
公爵は渋々という感じで承諾した。
国王はデニスとの約束を守り、各領主にブリオネス男爵家が労働者を募集することを許すように命じた。平和が続き、人口が増え始めている各領地の貴族は承諾する。
どの領地でも仕事がなくて困っている領民が居るのだろう。
御前総会が無事に終わり、デニスたちはベネショフ領に戻ることになった。アメリアは親しくなったテレーザ王女と会えなくなるのが寂しそうだった。
「また、王都に来た時に会えるよ」
「そうだけど、ベネショフ領が王都に近かったら良かったのに」
その言葉を聞いたデニスとエグモントは笑うしかなかった。
今回の帰路には、クルトも同道している。ヨアヒム将軍は護衛兼世話係をつけると言ったが、クルトが拒否したようだ。修業に世話係など要らないということだ。
何事もなくベネショフ領に到着したデニスは、クルトの修業をカルロスに任せた。新米兵士たちと一緒に鍛えるように指示を出したのだ。
デニスとエグモントは王都を含めた他領から人を集め、港の整備と貯水池の土木工事を始めた。貯水池というのは、大斜面に造られる町の水源となるものだ。
大斜面北部を流れるユサラ川からの水を貯める人工池は、大斜面の上部に二つ造成されることになる。この貯水池の水を使う町は、五万人が生活できる規模になる予定だった。
ベネショフ領に人が集まり始め、街は次第に賑やかな様子を見せ始める。
その工事が順調に進み始めたのを確認したデニスは、それを従士のゲレオンとイザークに任せた。デニスには国王から頼まれた仕事があったからだ。
デニスは国王と約束した治癒の指輪一年分を作った。これを一ヶ月に一個ずつ王都に届けねばならない。そして、共振迷石の製作である。
雅也に調べてもらい、使えそうな曲が見つかった。最初、共振と共鳴の単語で探したが的確な曲が見つからず、シンパシーやシンクロという単語で調べ、良さそうな曲が見つかった。
その曲は二〇〇六年にメジャーデビューした男性歌手のもので、歌詞の中に響きあって同じように震えるというような言葉があり、雅也がピッタリだと選んだものである。
今回は歌うだけでなく、識別符をイメージしながら歌わねばならず、紙に書いた識別符を見つめながら歌うことにした。
出来上がった共振迷石を他の部品と一緒に通信モアダに組み立てる作業は、割りと簡単だった。その新型通信モアダは、日本の音響メーカーに協力してもらい設計した一級品だったからだ。しかも日本の雅也が実際に製作しテストした上で、デニスに設計図を提供したものだった。
送信用は無線機のマイクのようなタイプで、受信用はヘッドフォン型である。但しヘッドフォンは右耳の部分にしか共振迷石が組み込まれておらず、左耳は雑音を遮断するだけの機能しかなかった。
実際に使ってみるとクリアな音声が聞こえる。さすが日本の会社が設計したものだ。エグモントやカルロスは感心した。
「凄いな。こんなものがあれば、軍事作戦がどれほど円滑に行えるものか、想像もつかん」
「デニス様は、陛下にとって特別な存在になったのかもしれませんね」
エグモントが同意するように頷いた。
「しかし、ブリオネス家は男爵だ。他家との釣り合いもあるから、この家だけを優遇するわけにはいかんだろう。もし、陛下が優遇するようなことをなされば、他家の嫉妬を買うことになる」
国王がブリオネス家だけを贔屓にしたとなれば、貴族たちは揃って当家に冷たくするようになるだろう。貴族の世界は何かと嫉妬深いのだ。
それを避けるためには、実績を積み上げ納得させなければならない。
通信モアダも実績の一つになるだろうが、これは他所から評価しづらいものだ。もっと明確に、例えば戦いで手柄を立てる、または開拓に成功し新たな町を築き上げるなどの実績が必要になる。
「デニス、これからどうするつもりだ?」
「常備兵を増やし大斜面の開発や港の整備を始めたことで、父上も気づいていると思うけど、資金繰りが苦しい。紡績工場の機械と工員を増やして、綿糸の生産量を五倍に増やそうと思う」
エグモントとカルロスが不安そうな顔をする。
「クリュフ領に売っている綿糸と同じものを他領へ売ろうと言うのか?」
「いえ、八〇番手の綿糸ではなく三〇番手か五〇番手の綿糸を増産し売ろうと思うんだけど」
エグモントがホッとしたような顔をして頷いた。
「それならいい。クリュフバルド侯爵の機嫌を損じるのは、立場的にまずい」
西部において絶大な影響力を持つクリュフバルド侯爵に対し、男爵程度の貴族は気を使わざるを得ない。これはブリオネス家だけでなく、他の西部地域の貴族も同じだ。
それはデニスも理解していた。それくらいの気配りができないようでは、貴族は務まらない。とはいえ、こういう時は雅也が羨ましくなる。
その翌月、ブリオネス男爵家から贈り物が白鳥城に届けられた。デニスが作った通信モアダが二セットである。バルナバス秘書官から贈り物を受け取った国王は、通信モアダを手に取り確認してから、取扱説明書を読んだ。
国王は内務卿と軍務卿を呼ぶように命じた。秘書官が二人を呼んでくると、通信モアダを二人に見せた。内務卿が手に取り観察する。
「これが通信モアダですか。奇妙な形でございますね」
「これを両耳に当てるようだ」
国王がヘッドフォン型受信機を両耳に当てる。そして、マイクを手に取った。
それを見て、軍務卿が同じようにする。国王と軍務卿が起動文言を唱えた時、ヘッドフォンから声が聞こえた。
『こちらブリオネス男爵家のデニスでございます。聞こえますか?』
国王と軍務卿がびっくりした顔をしたので、内務卿が声をかけようとした。それを国王が手で制す。
「こちら、マンフレート三世である」
『これは陛下、遠いところから失礼いたします』
「遠いところからだと、そちはどこにおるのだ?」
『ベネショフ領でございます』
「ほ、本当にベネショフ領におるのか?」
『はい。本日、通信モアダを試されるのではないかと思い、屋敷で待機しておりました』
デニスはこのデモンストレーションにより、国王たちを驚かせることに成功した。そして、通信モアダの驚異的な性能に歓喜した国王から多大な賞賛の言葉をもらうことになった。
これで内務卿との価格交渉が有利に進められるだろう。




