scene:120 賢人院
婚約パーティーの翌日、白鳥城の一角で王家の家族とナディヤ嬢が贈り物の整理をしていた。バルツァー公爵からは金細工の置物、クリュフバルド侯爵からは高価な絹織物である。
ハイネス王子が公爵から贈られた置物を手に取った。
「公爵から届いた置物は、瑞鳥と言われるセシリア鳥か。金細工の名匠ベドワクのものだな」
ナディヤ嬢とテレーザ王女は、その置物が高価で綺麗なものだと分かったが、あまり興味を示さなかった。それよりも綺麗な絹織物が気に入ったようだ。
「これは何だ?」
ハイネス王子はベネショフ領のブリオネス男爵家から贈られた小箱を見つけた。箱を開けると、中に髪飾りとブローチが入っていた。
「綺麗なものですね。この透明なものはガラスでしょうか」
ナディヤ嬢が小首を傾げた。
「いや、何か別のものだ」
ブローチは螺鈿細工で形作られた水鳥を硬化樹脂で封印したもので、髪飾りは螺鈿細工の花を封印したものだった。
「光が当たると虹色に輝くのね。とても綺麗だわ」
イザベル王妃も気に入ったようだ。テレーザ王女は食い入るように髪飾りを見つめている。
「テレーザは、その髪飾りが気に入ったようね」
「とっても可愛いんですもの」
「ベネショフ領は、最近凄いわね」
そう王妃が口にすると、ハイネス王子が同意するように頷いた。
「母上もそう思われますか。ヘルムス橋の件もそうですが、新しい塩田方式も評判になっているようです」
ベネショフ領の流下式塩田を真似る貴族が増えていると、ハイネス王子が語った。
そこに国王が執務室から戻ってきた。
「何をしておるのだ?」
「ハイネスたちに贈られたものを整理していましたのよ」
国王が微笑んでハイネス王子とナディヤ嬢を見た。
「何か気に入ったものは、あったのかな?」
「ナディヤは、クリュフ領の絹織物とベネショフ領の装飾品が気に入ったようです」
「ベネショフ領の装飾品というと、迷宮装飾品なのか?」
「いえ、普通の装飾品のようです」
「どれどれ」
国王は螺鈿細工のブローチと髪飾りを見て賞賛の声を上げた。
「見事なものだ。迷宮装飾品の他にもこれだけのものを作っているとは……」
ハイネス王子が国王に視線を向ける。
「ベネショフ領の迷宮装飾品というと、発光迷石ですか?」
「いや、『治癒の指輪』を作れることが分かり、発注することになった」
王妃が少し驚いたような顔をする。それだけ治癒の指輪を作れる人材は珍しいのだ。
「数年前に亡くなったジギスムント以来の人材ですね」
ジギスムントは迷宮装飾品作りの名匠と言われた人物で、彼が作った治癒の指輪は、金貨数百枚で取引されていた。そのジギスムントも亡くなり、治癒の指輪は中古しか出回らない状況になっている。
「王家で所有するジギスムント製のものは、かなり劣化しておったからな。幸いであった」
王族が怪我をした時のために、王家ではジギスムント製の治癒の指輪を所有していた。ただ永久に壊れないものは存在しないという真理の通り、迷宮装飾品も壊れる。迷宮装飾品は使うたびに少しずつ劣化する消耗品なのだ。
「もう、値段交渉はされたのですか?」
「いや、実際に迷宮装飾品を見て、治癒の効力を確認してからになろう」
同じ効果を持つ迷宮装飾品でも、作成者の持つ真名や技量により効力が違うものである。値段を交渉するのは、その効力を確かめてからになる。
その値段交渉には、クラウス内務卿と数人の兵士が向かった。予め訪問することを知らせる先触れを出していたので、デニスが玄関先で出迎える。
「さて、今日はベネショフ領が作っている治癒の指輪の効力を知り、購入する価格を決めようと思う」
デニスは内務卿の後ろにいる兵士たちに視線を走らせた。彼らは腕や足などに包帯を卷いていた。
「そちらの兵士の方々を、治療すればいいのですね」
「そういうことだ」
デニスは自分が指に填めている指輪を、内務卿に渡した。
兵士の一人が腕に巻いている包帯を解き、傷口を顕にする。剣で斬られたらしい一〇センチほどの傷である。内務卿は指輪を傷口近くに押し当て、デニスから教えられた起動文言を唱える。
次の瞬間、指輪から神秘的な光が放たれ傷口が塞がれていく。みるみるうちに傷が小さくなり白い痕が残るだけとなった。
「こ、これは凄い。本当に国宝級の効力を持っている」
内務卿は驚きながらも負傷兵をすべてを治療した。
その後、価格交渉が始まった。基準とする金額は、ジギスムントが製作した治癒の指輪に付けられた金額である。結果として、指輪一個が金貨三七〇枚となった。
効力はジギスムントを超えているが、劣化が早いのではないかと内務卿に指摘された。値切るための指摘なのだが、デニスは反論できなかった。まだ劣化して壊れた指輪がないので、どれほど耐久力があるか分からなかったからだ。
最後にデニスが一つだけ条件を付けた。
「白鳥城の図書室にある書籍を閲覧できるようにして頂きたいのです」
「ふむ、いいだろう。ところで、賢人院で会いたい学者でもいるのかな?」
「古代文字に詳しい方に、調べて欲しい古文書があるのです」
「なるほど。これが陛下が書かれた紹介状だ」
「ありがとうございます」
内務卿たちが帰った後、デニスはリビングのソファーにぐったりと座り天井を見上げた。
「はあっ、こういう交渉は疲れるな」
アメリアたちがお茶の用意をしてリビングに入ってきた。
「兄さん、お茶でも飲んで一息ついて」
「ありがとう」
アメリアが何か言いたそうな顔をしている。
「どうかしたのか?」
「テレーザ殿下から、城に招待されたの。行ってもいい?」
アメリアとテレーザ王女はいつの間にか仲良くなっていたらしい。王族と仲が良いことは、貴族にとってプラスになるので、デニスは許可した。ただ護衛としてイザークと一緒に行くことを指示した。
次の日、アメリアは白鳥城へ向かい、デニスは賢人院へ向かった。賢人院は白鳥城の傍にある貴族屋敷を改造した建物である。
デニスは紹介状を門番に見せ中に入った。現在、賢人院にいる学者の中で古代文字が読めるのは、ルトガー・グリンデマンという歴史学者兼音楽家だという。
サロンのような場所には、七、八人の学者や芸術家がおり談笑していた。その中の一人がデニスの姿を目にして尋ねた。
「賢人院の成員にしては若すぎるな。何者かね?」
相手は四〇代の顎髭を伸ばした学者である。デニスは挨拶をして紹介状を見せた。
「ほう、陛下からの紹介状があるのなら、粗略に扱えんな。何の用事かな?」
「古代文字で書かれた古文書を解読して欲しくて来ました」
「どれ、その古文書を見せてくれ」
デニスは八階層で発見した古文書を渡した。
「どうやらフェシル人の古代文字のようだな」
「読めるのですか?」
その学者は面白そうに笑う。
「読めるかだと、儂こそが古代文字の第一人者ルトガー・グリンデマンだぞ」
「あなたが、グリンデマン博士でしたか。解読をお願いします」
「いいだろう。だが、代価はどうなる?」
「僕には、相場が分かりません。博士が決めてください」
グリンデマン博士は、顎髭をしごきながら考えて答えた。
「この迷宮装飾品を直すか。新しいものを手に入れてくれ」
博士が手に持っていたのは、ペンの頭に迷宮石が組み込まれたようなものだった。見方によっては、小さなマイクのようにも見える。
「……見たことのないものです。何ですか?」
「記録迷石だ。迷宮装飾品の一種で音や映像を迷宮石に刻み再生する機能を持っておる」
デニスがよく調べてみると、記録迷石が割れている。劣化によって割れたようだ。寿命だったのだろう。
「修理は無理ですね。新しい記録迷石を買うしかないようです」
「記録迷石を作れたのは、死んだジギスムントただ一人だ。新しい記録迷石などない」
そう言われて、デニスは困った。
「その記録迷石を作るには、どんな真名が必要なのです?」
「ミモス迷宮の九階層にいるスウィンデーモンからしか手に入れられない『記録』という真名だ。危険な魔物だぞ」
グリンデマン博士から記録迷石に関する情報を聞き出した。どうやらスウィンデーモンを倒して『記録』の真名を手に入れるしかないようだ。




