scene:11 隣町の領主
その日、ユサラ川の東側にあるバラス領の領主が、三人の部下を引き連れベネショフを訪れた。デニスは珍しい来客が気になった。
バラス領の領主ヴィクトールは、まん丸い顔で大きな鼻が特徴的な男だ。年齢は四〇代、ガッシリとした体格をしている。
エグモントは丁重に出迎え、応接室に案内した。同じ準男爵のはずなのに、エグモントが頭を低くしている。
「毎度毎度、催促せねば利子も払わんとはどういうことですかな」
バラス領の領主ヴィクトールが不機嫌そうな声を上げた。
ベネショフ領は周囲の領主から借金をしている。その借金が領地経営を圧迫しており、エグモントは苦労していた。
エグモントは無表情のまま頭を下げる。
「申し訳ない。事務処理に手間取っておりました」
ヴィクトールが、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「それで、利子分の返済金は揃ったのかね?」
「それなのですが、金貨一五枚しか集まっていないのです。もう少し待ってもらえませんか」
エグモントがまた頭を下げた。
ヴィクトールが上から、
「金貨一五枚だけですか、困りましたね。契約は守ってもらわねば……それでは書斎の蔵書を代わりにもらいますよ」
エグモントは唸り声を上げた。だが、他に金目の物がないのは分かっている。
「仕方ない」
ヴィクトールは部下に蔵書を運ぶように命じた。部下は屋敷のあちこちを探し、書斎を探し当てた。そこでは、デニスが本を読んでいた。
三日続けて迷宮に潜ったので、今日は休みにしたのだ。
「どなたです?」
「デニス様ですね。我々は、ヴィクトール準男爵の配下の者です。主の命令で金目の物を差し押さえます」
デニスは『差し押さえ』と聞いて顔をしかめた。
「もしかして、ここの本を差し押さえる気ですか?」
「めぼしい物は、本しかないようです」
デニスは書斎の本は読破していたが、貴重な本もあり惜しくなった。
「それで、いくら必要なんです?」
「利子分は金貨二〇枚、エグモント殿が足りないと言われているのは、金貨五枚ですよ」
その言葉には棘があった。領主なのにたった金貨二〇枚も出せないほど困窮しているのかという侮蔑とお前みたいな若造に金貨五枚がどうにかなるのかというものだ。
デニスは顔が赤くなるのを感じた。恥ずかしさと同時に、これほどブリオネス家は苦境にあるのかと認識を改めた。
金貨一枚の価値を日本円に換算すれば二〇万から三〇万円の間になるのではないかと、デニスは考えていた。ただ食料品や土地が安いので、発展途上国のような経済状況だろう。
それを考慮すれば、金貨五枚は大金である。金貨一枚を三〇万円と換算して、一五〇万円。二〇歳にもなっていない若造が用意できる金額ではなかった。
但し、例外はある。迷宮探索者と呼ばれる者たちだ。彼らは命を賭け金に大金を稼ぐことも可能だった。そして、デニスは駆け出しとは言え迷宮探索者である。
「蔵書の中のどれを持っていくのです?」
「全部ですよ」
この世界、本は貴重品だ。ここの蔵書全部で、金貨一〇〇枚以上の価値がある。
「ヴィクトール殿は、えげつない商売をするようだな」
部下の三人が顔色を変えた。
「主人を侮辱するのか?」
デニスは三人を宥め、一緒に応接室へ向かった。
「どうした、お前たち。蔵書は運び出したのか?」
「いえ、書斎でデニス様とお会いしまして、ヴィクトール様と話があるそうです」
ヴィクトールが、デニスに顔を向けた。
「ほう、何かな?」
「足りない金額は、僕が出します」
エグモントがデニスを見た。
「待て、足りないのは金貨五枚なのだぞ」
二人の準男爵は、デニスが持っているはずがないと思っているようだ。デニスは首に吊るしてある巾着袋を取り出し、中から金貨五枚を出した。
デニスはテーブルの上に金貨を並べた。
「これでいいですね」
ヴィクトールが一瞬だけ悔しそうな表情を浮かべてから金貨を集め、自分の巾着袋に入れた。残りの金貨一五枚はエグモントから受け取っていた。
「半年後には、また来るからな」
そう捨て台詞を残して、ヴィクトールたちは帰っていった。
エグモントがデニスを執務室に呼んだ。
「何でしょう?」
「あの金はどうしたのだ?」
「父上も知っておられる通り、迷宮に潜って稼いだものです」
エグモントは弱々しく頭を振った。迷宮が資金源になることを思いつかなかった自分に怒りさえ覚えているようだ。
「それで探索はどこまで進んでいるのだ?」
「三階層に下りたところです」
「石墨が採掘できる階層か。金にならん場所だな」
その意見には異論があった。石墨は利用価値のある素材だと知っていたからだ。
「四階層に下りられそうなのか?」
「三階層の赤目狼には苦戦していますが、四階層には鉄の鉱床があると聞いているんで、頑張るつもりです」
ベネショフの鍛冶屋は、鉄を他の町から購入していた。それを工房の炉で熱して製品を作っている。他の町で作られた鉄製品より安くしないと売れないので、鍛冶屋はあまり儲からないそうだ。
翌日から、デニスの迷宮探索が再開。震粒ブレードが使えても、赤目狼は強敵だった。何度も危険な目に遭いながら迷宮を探索し、グラファイトまたは石墨と呼ばれる鉱物を持ち帰った。
しかし、グラファイトは売れなかった。なので、屋敷の納屋に貯蔵している。
三階層の探索を始めて七日目。五七匹目の赤目狼を倒した瞬間、新しい真名を手に入れた。それは『嗅覚』である。
この真名は犬並みの嗅覚を人間に与えた。その代り使用中は真力を消費する。通常なら体内で魔勁素から真力へ変換され供給される。
だが、デニスの場合、魔源素から真力への変換が行われる。このことには大きなデメリットがある。魔源素の濃度が薄い場所では真名術の発動が難しくなり、発動しても本来の力を発揮できないのだ。
『魔勁素』の真名を持つ者なら体内に溜め込んだ魔勁素を使って、いつでも真名術を発動できるのに比べ不利となる。
『嗅覚』の真名を得た頃には、宮坂流の剣技が大いに進歩していた。実戦で使いながら学ぶという方法は効率がいいのだろう。そのノウハウは雅也にもフィードバックされ、雅也の剣技も進歩する。
剣技もそうだが、一番進歩したのは魔源素の制御能力である。連続して戦っても、震粒ブレードの制御を手放すことがなくなり、小ドーム空間にいる赤目狼の集団も入り口に陣取って、なるべく一対一になるように戦えば全滅させられるようになった。
デニスは知らなかったが、赤目狼の集団を倒せる迷宮探索者は一人前と認められる。
ようやく四階層へ下りる穴を探し当てたデニスは、喜び勇んで下りた。四階層で遭遇する魔物は、鎧トカゲである。
二足歩行するトカゲで、大型犬ほどの大きさがある。頭から尻尾の先まで鎧のような皮に覆われており、倒すのが難しい魔物だ。
こんな小さな迷宮にしては、強力すぎる魔物である。但し、この鎧トカゲにも弱点はある。喉の部分が鎧によりカバーされていないのだ。
「震粒ブレードで喉を突けば、仕留められそうだけど」
『言うは易く行うは難し』という言葉が頭に浮かんだ。雅也の知識である。
鎧トカゲの前足にある鋭い爪が厄介だった。デニスが使っている棒は、剣の代わりなので槍ほど長くはない。突きを放てば、相打ちになる恐れもある。
「槍を用意するか……でも、迷宮の中だと通路が狭い場所もあるし、何か考えよう」




