scene:116 中国企業
音楽祭に出ることが決まった数日後。
毎年、この日になると雅也は深い悲しみを覚え埼玉県にある墓地へ向かう。この墓地には冬彦の幼馴染であり、雅也とも親しかった女性が眠っている。
雅也が目的の墓まで来ると、先客がいるのに気づいた。
「お前も来ていたのか?」
墓石の前で手を合わせていたのは、冬彦だった。
「今日は、雫の命日ですからね」
南條雫は冬彦から紹介され、大学時代に一緒に遊びに行くようになった数少ない女友達だった。雫は活発で明るい女性で、その明るさを雅也は好きになった。
一年間付き合い、雅也が大学を卒業する直前に別れが訪れた。
新宿で起きた無差別殺傷事件に巻き込まれたのだ。冬彦から知らせを聞いて、雅也が病院に駆けつけた時、雫の目は固く閉じられ、二度と開くことはなかった。
その日から一ヶ月ほど、雅也は何をする気にもなれずにボーッとした日々を過ごした。その間に冬彦が何度も会いに来てくれた。立ち直れたのは冬彦のおかげだ。雅也にとって、冬彦を生涯の友人だと思うようになった切っ掛けである。
雅也は静かに墓前で手を合わせ祈った。雅也が立ち上がると、冬彦が呼びかける。
「先輩、音楽祭に出るのなら、芸名が必要でしょ。どうするんです?」
雅也は少し考えてから、
「……ローマ字で『Shizuku』というのは、ダメかな」
そう答えた雅也の顔に、深い悲しみが潜んでいるのを感じた冬彦は賛成した。
「いいんじゃないですか。雫も許してくれますよ」
「そうだといいけど……」
しんみりとした気分になったので、冬彦が話題を変える。
「ところで、歌う時に覆面でもするんですか?」
雅也が腕を組んで考える。
「それはちょっとな。覆面レスラーが歌ってるような感じになるだろ」
「じゃあ、どうやるんです?」
「本番までに考える」
墓参りを終えた雅也は、音楽祭の打ち合わせをするために新星芸能事務所へ行った。都心の一等地にあるビルの六階が事務所になっていた。
有名芸能人と会うかと思ったが、有名人を目にすることなく応接室に案内された。青木マネージャーが一人の若い女性を連れて現れた。
「お忙しい中、足を運んでくださり、ありがとうございます」
青木と見知らぬ女性が頭を下げた。
「こちら、音楽祭の担当をしている富樫ぷりんです」
「えっ、『プリン』?」
富樫は恥ずかしそうに、姫凜と書いて『ぷりん』と読ませるのだと教えてくれた。この女性はキラキラネームが流行った時に、名付けられた犠牲者らしい。
姫凜と名刺に書いても誰も読めないので、ひらがなの『ぷりん』が定着したようだ。
「私の名前は置いといて、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
富樫は音楽祭にどういうアーティストが出演するか教えてくれた。そこそこ有名な歌手やグループが出演するようだ。
「そんな有名人の中に、俺なんかが出演していいの?」
雅也は正直な思いを確認した。
「正直に申しますと、出演するアーティストのインパクトが弱いんです」
出演するのは人気のあるアーティストたちなのだが、新星芸能事務所に所属する者を集めた結果、サプライズがなくなったと言うのだ。
「それで、こっちに話が来たのか。でも、俺がサプライズになるのか?」
富樫が頷いた。
「話題作りに力を入れれば、サプライズになると考えています」
打ち合わせが終わり、最後に富樫が雅也の歌を聞きたいと言い出した。
「いいですけど、俺は持ち歌とかないから、誰かの歌をカバーすることになりますよ」
「でしたら、どういう曲が得意か教えてもらえますか?」
雅也は迷宮装飾品を作る時に歌った曲を挙げた。富樫は最初に挙げた光の指輪を作った時に選んだ曲を聞かせてくれと頼んだ。
雅也が光や夏を連想するとして選んだ曲をアカペラで歌い始めると、富樫と青木は魅了された。雅也が生み出す歌には独特な世界があり、それが人々を惹きつけるのだと分かった。
富樫は歌を聞いている途中で、恋人同士が夏の花火大会を見ている姿が脳裏に浮かんだ。男性の方は雅也の若い頃のようで、女性は知らない顔である。
聞き終えた富樫は、幸せな気分になりながら細く長い息を静かに吐き出す。
「予想以上です。聖谷さんの声に負けない伴奏とオリジナルの曲が欲しくなりました」
伴奏はともかく、オリジナルの曲は無理だろう。それとも短期間で作曲や作詞が可能な人がいるのだろうか。手早く曲が作れたとしても、練習する時間がないだろうから無理だと思った。
富樫から歌う曲を三曲選んでくれと頼まれた。たぶん三曲の中から本番で歌う曲を選ぶのだろう。
富樫たちと別れた雅也は、第一工場へ向かった。
工場の試作機開発チームのところへ行くと、また人員が増えている。
「中村主任、何で人が増えてるんだ?」
「ああ、空自と海自の人たちですよ」
雅也がなぜだという顔をする。ここで開発しているのは、陸上自衛隊で使う機体だったからだ。
「空自と海自のトップが、ステルス型攻撃翔空機のことを知って、参加させてくれと陸自に頼み込んだようです」
「ちゃっかりしてるな。タダ乗りか」
「いえ、予算を増やすそうです」
航空自衛隊と海上自衛隊には、それぞれの思惑があり予算を出すことになったようだ。空自は無人偵察機への応用、海自はヘリコプター搭載護衛艦の搭載機にできないかと考えているようだ。
「空自の無人偵察機はともかく、海自の搭載機はアメリカから購入するステルス機になると聞いてるぞ?」
「ええ、そのようです。ですが、あれは意外と航続距離が短いそうなんです。それに維持費用が高いと言ってました。一回飛ぶたびに整備検査をするんですが、それが面倒らしいんですよ」
「ふーん。よく知らないけど、高性能機らしいからな。整備なんかにも時間と費用がかかるんだろう。その点、開発しているステルス型攻撃翔空機はどうなんだ?」
中村主任がちょっと残念だという顔をする。
「ここで開発しているのは、ステルス機能と武器搭載量が自慢できるだけの機体になりそうです」
「戦闘機と比べてだろ。こいつは攻撃ヘリの代わりとして開発されるものなんだから、十分だろ。それに機体価格は安くなると聞いたぞ」
「ええ、これが本当に完成したら、自衛隊だけで数百機の調達を見込めると思います」
「いいね。自衛隊がそれだけ購入してくれたら、部品の購入やメンテナンスの代金で黒字になる」
「聖谷取締役も、経営者らしくなってきましたね」
雅也が溜息を吐いた。
「本社の偉い人から、利益はどうなってるんだって、毎日のように言われるからな」
マナテクノの筆頭株主である雅也が、社内では一番力があるはずなのだ。だが、物部グループから来たベテランたちから遠慮なしに指摘され、知らず識らずのうちに経営感覚を鍛えられていた。
その時、雅也のスマホが鳴った。相手は神原社長である。問題が起きたので、本社に来るようにと言う連絡だった。
雅也は本社ビルに向かった。その本社ビルでは、神原社長と中園専務が待っていた。会議室で会議が始まる。
「海外の企業が動真力機関を開発したというニュースが発表された」
中園専務が深刻そうな顔で告げた。
「何という企業です?」
「タリダル機械工業という会社だ」
神原社長が教えてくれた。聞いたことのない会社だったので詳細を尋ねる。
「それがよく分からないのだよ」
「本社は中国にあるらしいのだが、どうやら中国共産党の幹部が関わっているようだ」
雅也は諸外国の魔勁素を使った動真力機関の開発が行き詰まっていると聞いていたので、本当に開発できたのかどうかを疑った。
「本当に開発できたという証拠は?」
「発表会でデモンストレーションをするそうだ。今度の日曜日に上海で行われる。我社にも招待状が届いたよ」
「誰かを参加させるつもりですか?」
「それを検討中なのだ」
中園専務が反対しているらしい。
「どうも、危険な予感がするのだよ。これは罠なんじゃないか」




