scene:112 イェルクとデニス
アメリアたちは影の迷宮で爆裂トカゲを狩って『爆裂』を手に入れた。その帰りにエリーゼの実家であり、デニスの祖父であるイェルクの屋敷に寄った。
「よく来た」
イェルクは笑顔を浮かべて歓迎してくれた。リビングに通されたデニスたちに、お茶が出された。この国で広く飲まれているお茶は、日本で普通に飲まれている煎茶である。
デニスは湯呑みではなくカップに注がれたお茶を一口飲みホッとする。イェルクは笑いながら迷宮での成果を自慢しているアメリアたちの話を聞いてから、デニスに尋ねた。
「アメリアたちを、影の森迷宮の四区画に連れて行ったのか?」
「ええ、アメリアたちにせがまれたんです」
「危険な真似をするな。四区画といえば、爆裂トカゲや肉食ヘラジカのいる区画だろ」
イェルクはアメリアたちを心配したようだ。
「大丈夫ですよ。アメリアたちの技量は四区画で戦うのに十分なものです。現に爆裂トカゲを仕留めて『爆裂』の真名を手に入れましたから」
「本当に爆裂トカゲを仕留めたのか? あいつは爆裂球攻撃をするはずだが、どうやって防いだのだ?」
「爆裂トカゲが爆裂球を放つ時、喉が波打つような動作をするんです。その動作をしたら、爆裂球を放つ前に先制攻撃を仕掛ければいいんです」
デニスは先制攻撃で爆裂トカゲの爆裂球攻撃が中断されることを説明した。イェルクは難しい顔をした。
「簡単に言うが、その先制攻撃が難しいのではないか」
アメリアたちは凍結球攻撃という手段がある。だが、通常の兵士や探索者は、放出系の真名術を持っていないので苦労するようだ。
「ところで、街の入り口で西へ行く侯爵騎士団を見かけましたが、どうかしたんですか?」
「西の村が、山賊の集団に襲われたのだ。騎士団が山賊を退治しようとしているが、国境を越えてヌオラ共和国に逃げ込んでしまうので苦労しておるようだ」
「ふむ。国境というと、チグレグ川を渡ってくるのか」
ヌオラ共和国とゼルマン王国の国境線は、チグレグ川に沿って引かれている。この川にはラマン橋という橋が架かっており、この橋の両端で出入国の管理をしている。
山賊は船を使って川を渡ってくるらしいが、どの辺を渡るのか分かっていない。それが分かれば待ち伏せて一網打尽にできるのだが、と騎士団のメンバーが言っているらしい。
「チグレグ川の全流域を見張るわけには行きませんからね」
ダミアン匪賊団の場合は、ベネショフを襲うと分かっていたので、ある程度渡河の場所を絞り込めた。しかし、山賊団はどの村を襲うのか分からない。
「ベネショフ領にも協力要請があるかもしれんぞ」
「父上に伝えておきます。ですが、たかが山賊でしょ。侯爵騎士団だけで十分なのでは?」
「一〇〇人以上の規模らしい」
「それでも、侯爵騎士団なら……」
一〇〇〇人以上の規模がある侯爵騎士団なら、殲滅できる数だ。
「いや、侯爵様は国王陛下に本格的に戦う許可を願い出られた。そうなると、陛下の命令で山賊団を討伐することになる。その場合は侯爵家だけでなく、西部地域の全貴族に協力するよう命じられるだろう」
国境線近くでの戦いになるため国王の判断を仰いだのだろうが、手順としては国王がヌオラ共和国へ山賊を退治するために兵力を国境線付近に派遣することを通達してから、兵力を送り出すことになる。
総大将はクリュフバルド侯爵で、副将をマノリス領のギュデン・ジェザ・バルマノリス男爵が務めることになるだろう。マノリス領はミンメイ領とダリウス領の間から南に突き出たゴルツ半島の西側にある。
バルマノリス家は、元々子爵家であったという自負を持つ家である。前回のヌオラ共和国との戦いで、バルマノリス家は失敗を犯した。深追いして共和国軍から手痛い反撃を食ったのだ。その時、多くの捕虜を出し評価を下げた。
この失敗のために、バルマノリス家は子爵から男爵に格下げされている。とはいえ、貴族の家系として古く、西部地域では二番手の貴族として扱われていた。
「ブリオネス家は男爵となった。常備兵を三年以内に二〇〇にしなければならんのだろう?」
デニスが大きく溜息を吐いた。年間金貨二〇〇〇枚ほどの資金が必要になる。綿糸を量産し販売量を増やす必要がある。但し、クリュフ領に売っているものと同じ綿糸を売るわけにはいかない。
その綿糸はクリュフ領で人気の布として織られ、王都などで売られている。同じ綿糸を他のところに売れば、クリュフバルド侯爵は不快に思うだろう。
クリュフ領に販売している綿糸は、日本で八〇番手と呼ばれている太さの糸である。薄地の布を織る糸で、他領では作れないものだ。
その八〇番手の糸の他に、厚手の布を織る三〇番手の糸をベネショフ領では作っている。この三〇番手の糸は、ベネショフ領内で布に織られ販売されている。
三〇番手の糸は他領でも作られており、八〇番手の糸より安い。
「そうすると、五〇番手ほどの綿糸を作るのがいいか」
デニスが独り言を呟いた。
「何だと?」
イェルクがデニスの独り言に気づいて確認した。
「何でもありません。常備兵二〇〇人を揃えるのは大変ですが、何とかなります。問題は、その兵士を鍛えることです」
現在のベネショフ領兵士は、デニスが従士たちと協力して二年がかりで育てた者たちである。単なる兵士ではなく真名術を使う兵士であり、有名な紅旗領兵団にも劣らない力量を持つ兵士だとデニスは思っている。
同程度の兵士を一二〇人も鍛える労力を想像し、デニスは溜息が出そうになる。その表情に気づいたイェルクが慰めるように言う。
「従士や今の兵士に任せればいいのではないか」
「兵士たちや従士は、自分たちが鍛えられた通りに育てようとするでしょう。けれど、従士や兵士にも個性があります。それに沿って育てねばなりません。それを指導するのは領主である父上と僕の仕事になります」
イェルクは感心した。この歳で、そこまで深く人間を理解しているとは、驚くべきことだと思ったのだ。エグモントが息子のデニスは天才かもしれないと言っていたが、事実なのかもしれないと思う。
デニスとイェルクが話している間、ヤスミンたちと話していたアメリアが、デニスに尋ねた。
「兄さん、迷宮で手に入れたものを調べに王都へ行くの?」
岩山迷宮の八階層で手に入れたぐい呑みみたいな道具と古代文字で書かれた古文書のことである。
「そうだな」
古代文字の調査もあるが、王都へ行って橋の建設を手伝ってくれた建築家のルイーゼをベネショフ領に招こうと思っていた。ベネショフ領の発展には、彼女の能力が必要だと考えたのだ。
「私も、王都へ行く」
アメリアが言い出した。理由を聞くと、王家の次男ハイネス王子の婚約パーティーに出席したいという。
「そういえば、そんな招待状が王家から届いていたな」
デニスは王家から届いた招待状があったことを思い出した。貴族の一員としては出席するべきなのだが、遠方に領地がある貴族の欠席は、やむを得ないこととして許されている。
「婚約パーティーか……父上の許可があればいいか」
「やったー!」
イェルクが変な顔をした。
「待て待て、山賊団のことはどうする。もうすぐ陛下から命令が下されるのだぞ」
デニスは笑って、
「従士の誰かに任せれば大丈夫ですよ。それに指揮を執るのは侯爵騎士団の団長なんでしょ」
名目上は侯爵の息子であるランドルフが総大将になるかもしれないが、実際は団長が指揮を執るだろう。その討伐作戦に参加しても、でしゃばることは許されないとデニスは考えていた。
国王の命令であるので兵士を派遣するが、ベネショフ領部隊のリーダーはカルロスで十分だと思う。
そのことを話すと、イェルクも納得して頷いた。祖父も侯爵騎士団の副団長を務めた男である。複数の貴族が兵士を出して討伐軍を編成する場合、一番に問題になるのが誰を指揮官にするかである。
主力になる貴族部隊を指揮する者が、指揮官となるのがベストなのだ。
「ということで、下手にでしゃばらない方がいいんです」
そう言って、デニスは話を終わらせた。
ベネショフ領に戻ったデニスとアメリアたちは王都へ向かった。護衛としては、ゲレオンだけである。
その数日後、国王からベネショフ領にギレ山賊団の討伐に兵を出せという命令が下った。
エグモントは、カルロスとイザークに兵士三〇人を率いて討伐部隊に合流するように命じた。
「デニス様が率いるべきだったのではないですか?」
カルロスがエグモントに確認した。
「いや、デニスとも話し合ったが、今回は侯爵騎士団に花を持たせることにした方がいいそうだ」
「なるほど、分かりました。ですが、他の貴族はそれを承知するでしょうか?」
マノリス領のギュデン男爵は自尊心が強く、何かとでしゃばることで有名である。カルロスが心配しているのは、ギュデン男爵のことだった。
「そこはクリュフバルド侯爵家が抑えるだろう。それに相手は一〇〇人程度の山賊だ。少しくらいギュデン男爵がへまをしても支障ない」
エグモントはそう答えたが、ギュデン男爵の存在は不安要素として残った。
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領地などの位置関係につきましては、第一部の『人物一覧と設定』に地図を載せていますので、参照してください。




