scene:109 硬化樹脂
洪水に耐えられるヘルムス橋を完成させたことで、ブリオネス家は準男爵から男爵になった。そして、ベネショフの北側にある大斜面を正式に領地に加える手続きが行われた。
手続きと言っても、どこからどこまでの土地をブリオネス男爵の領地とするという誓約書を国王から手渡されるだけなのだが、エグモントは受け取る手が震えたという。
王都からベネショフ領に戻ったデニスは、早速大斜面の開発を始めようとした。だが、エグモントから資金が足りないと言われ、ガッカリする。クリュフ領からの借金を返済するので、ほとんどの貯蓄がなくなるという。
ただ紡績工場で作られる綿糸が定期的にクリュフ領で売れるようになったので、半年ほどすれば本格的に開発を行える資金が貯まると分かった。
デニスは兵士たちに新しい領地の地形調査を命じた。開発を行えなくとも下準備だけはしておこうと思ったのである。
「そういえば、岩山迷宮の調査はどうなったのだ?」
執務室で書類を見ていたデニスに、エグモントが尋ねた。
一度エグモントには報告しているのだが、忘れてしまったようだ。
「八階層の大きな屋敷で鬼女を攻略したところで中断したままだよ。成果としては、その屋敷で偽聖煌剣を発見したことと硬化樹脂の産出場所という二点かな」
「そうだった。ところで、その偽聖煌剣の正体は分かったのか?」
「王都の武器屋で調べてもらったんだけど、聖鋼が三割ほど含まれた合金製の剣ではないかと言われた」
「聖煌剣の劣化版みたいな感じか?」
「まあ、そうかな」
聖煌剣は、アンデッドに属する魔物に特別な威力を発揮する武器である。切断力や頑丈さは緋鋼剣に劣るが、敵を斬り裂いた瞬間に特殊な光を放ちアンデッドにダメージを与えるという。
王都の武器商人たちは、劣化版の聖煌剣を『黄煌剣』と呼んでいるらしい。迷宮から数年に一度くらいのタイミングで発見されるという。ただ発見されるのは短剣が多いようで、剣は珍しいのだそうだ。
「それで、もう一つの硬化樹脂とは、どういうものなのだ?」
「そうだなあ。簡単に言うと太陽の光に当たると固まる性質を持つ透明な液体かな」
エグモントが理解できないという顔をしている。
「そんなものが、何の役に立つ?」
「使い道はいろいろあるよ。この硬化樹脂は乾いても透明なので、装飾品を作るのにいいと思うんだ」
「装飾品? よく分からんな。試しに作ってみてくれ」
「えっ、僕が作るの?」
「売れるようなちゃんとしたものでなくともいいんだ。どういうものか分かればいい」
デニスは自分の部屋に戻り迷宮で手に入れた硬化樹脂について考え始めた。雅也の世界にあるUVレジン、あるいは紫外線硬化樹脂と呼ばれるものに似ていると思っている。
ただ迷宮産硬化樹脂は、硬化した後に超撥水効果があると判明していた。硬化樹脂で板のようなものを作り、ガラス板の代わりにならないかと一時は考えた。
「しかし、ガラス板の代わりにするには、大量の硬化樹脂が必要だ。それほど迷宮から採れるだろうか?」
硬化樹脂の供給量には不安がある。ガラスは雅也に大量生産の方法を調べてもらうのが、良いかもしれない、とデニスは考え直す。
「まずは、装飾品だ」
雅也の知識の中に、紫外線硬化樹脂を使った装飾品の存在があった。向こうの世界では安価な装飾品という扱いであるが、こちらでは高価な装飾品として売れるのではないかと予想している。
丸い型の中に硬化樹脂を流し込みドライフラワーなどを浮かべるというが定番だが、ドライフラワーがないので青い塗料で硬化樹脂を色付けした後に、金粉と銀粉を適当に振りかけ模様を描いた。そして、もう一度硬化樹脂を流し込む。描いたものが、硬化樹脂でコーティングされた。
「僕に絵心がないと証明されたな」
美しいというより、奇っ怪な模様になってしまった。溜息を吐いて、アルミで作った型ごと外に持ち出した。
このアルミの型は、鍛冶屋のディルクの弟子に作ってもらったものだ。ディルクに頼んだのだが、紡績工場の機械を製造するので忙しいらしい。
外に出ると、アメリアとマーゴが遊んでいた。デニスはアルミの型を平らな地面の上に置いて太陽光に晒す。妹たちが近付いてきた。
「デニス兄さん、それは何?」
固まったのを確認して、型から外して確かめた。アメリアがデニスの手元を覗き込む。
「迷宮で手に入れた硬化樹脂を使って作ったブローチだよ」
マーゴも覗き込んできた。
「うわーっ、キレイ」
その言葉を聞いて、アメリアが眉をひそめた。
「でも、変な模様です」
デニスの顔が引き攣った。自分でも変な模様だと思っていたのだが、妹に指摘されるとショックがある。
「初めてだからな。まだ上手く描けなかったんだ」
マーゴがデニスの袖を引っ張って、どうやって作ったのか尋ねた。
「そうだな。説明するのは難しいから、一緒に作ってみるか?」
マーゴは喜んだ。部屋に戻って、アメリアとマーゴにブローチを作らせてみた。二人は楽しそうに塗料で色付けして、金粉や銀粉を撒いた。驚いたことにマーゴが一番綺麗なものを作った。
「父上と母上に見せよう」
三人でエグモントのところへ向かう。エグモントは、デニスが纏めた書類を確認していた。
「どうした?」
「先ほど話した装飾品を作ってみたんだ。アメリアとマーゴも作ったんだよ」
「ほう、どんなものだ?」
デニスは三つのブローチをエグモントに見せた。
「ふむ。綺麗なものだ。それにしても、意外だな」
デニスが首を傾げ、何が意外だったのかをエグモントに尋ねる。
「デニスは、何でも器用にこなすのだと思っていたが、苦手なものもあるのだな」
エグモントはデニスが作ったブローチを見て言った。
「図面を引くのは上手いんだけど……」
「誰にでも苦手なものはある。それに引き換え、アメリアとマーゴの作ったものは、売り物になるぞ」
褒められたアメリアとマーゴは喜んでいる。マーゴは自分が作ったブローチを握りしめ、エグモントに抱きついた。
「ところで、この装飾品をどれくらいで売るつもりなんだ?」
「銀貨一枚以上で売りたいですね」
「……もう少し高く売れるんじゃないか?」
「そうかな」
「エリーゼを呼んできてくれ」
エグモントがアメリアに頼んだ。エリーゼの意見を聞きたいらしい。少ししてエリーゼが部屋に入ってくる。
「どうかなさったんですか?」
エリーゼがエグモントに尋ねた。
「アメリアとマーゴが作った装飾品を見てくれ」
デニスが作ったものは、なかったことにしたらしい。
エリーゼは娘たちが作ったブローチを不思議そうに見る。どうやって作ったのか分からなかったようだ。
「綺麗ですね。どうやって作ったのかしら?」
「作り方は、後でデニスに聞けばいい。それより本格的にこれらの装飾品を作り始めたとしたら、どれほどで売れると思う? デニスは銀貨一枚以上で売りたいと言っているのだが」
「本格的に作るということは、質が上がるということかしら? それなら銀貨三枚でも買いたいと思う者は大勢いるでしょう」
「やはりそうか」
デニスは装飾品の価値を低く評価していたようだ。これは雅也の世界で銀貨一枚以下の値段で多くの装飾品が売られているのを知っていたことが影響している。
エリーゼは硬化樹脂を使った装飾品に興味を持ったようだ。その後、エリーゼを中心に装飾品作りが広まり、ベネショフ領の産業の一つとして発展する。
装飾品作りをエリーゼに任せたデニスは、久しぶりに迷宮へ行くことにした。一緒に行くのはリーゼルとアメリアたちである。領主一家が王都に行っている間、リーゼルは若い領民たちを探索者に育てる仕事をしていた。
この仕事はエグモントから依頼されたもので、一〇人ほどの若者を鍛えていた。二ヶ月ほど鍛えた結果、三階層の赤目狼を倒せるまでに成長している。
フィーネとヤスミンが、自分たちも協力していると声を上げた。
「あの人たちは、まだまだなんだよ。昨日なんか、一人が赤目狼にお尻を噛まれて大変だったんだから」
フィーネが声を上げた。怪我した若者はリーゼルが持っていた治癒の指輪で治した。この指輪はデニスがアメリアに渡したものを借りているそうだ。
エグモントは六階層で活動できる探索者を欲しいと言っていたので、もう少しだ。
「見習い探索者たちは、何をしているんだ?」
「四階層で鉄を掘ってるよ」
「大丈夫なのか? 鎧トカゲを相手するには、かなりの技量が必要だぞ」
「大丈夫、エグモント様から雷撃の指輪を借りているから」
デニスが製作した雷撃の指輪を使って、鎧トカゲから『装甲』の真名を手に入れようとしているらしい。すでに半分ほどが真名を手に入れたという。
「一緒に付いていなくて、いいのか?」
「今日は、雑貨屋のカスパルさんと一緒に、掘り出した鉄をクリュフ領へ売りに行ってるの」
リーゼルだけ残されて暇だったようだ。話をしながら迷宮を進んだデニスたちは、七階層の雪原を越え八階層に到着する。
目の前に広がる廃墟を見て、デニスたちは気持ちを引き締めた。
「今日は、奥にある城を探索する。たぶん強敵がいると思うから、油断するなよ」
アメリアたちが元気な声で返事をした。




