scene:106 王都の小悪党
建設現場をルイーゼとフォルカたちに任せ、デニスはゲレオンと一緒に王都に戻った。
橋桁部分の製作が進んでいるか確認するためである。いくつかの工房に分割して発注しているので、その全部を廻り確認した。
「デニス様、順調なようですな」
「ああ、秋の雨季前に間に合いそうで良かったよ」
デニスたちが王都で一番大きな商店街を歩いていると、クリュフ領の次期領主ランドルフと会った。
「おやっ、デニスではないか」
「ランドルフ殿、お久しぶりでございます」
ランドルフが少し話をしようと誘ったので、近くの店で休憩することになった。王都に多い喫茶店のような店である。但し、この世界にはコーヒー豆がないので、コーヒーではなく大豆の一種を焙煎して熱湯で抽出したポンサという飲み物を出している。
このポンサ豆は普通の大豆より油分が少なく焙煎すると香ばしい香りになる。ただコーヒーのような魅了される香りや苦味がないので、物足りない感じがするとデニスは思っている。
デニスたちはポンサと焼き菓子を頼み、話を始めた。
「聞いたか? バラス領の新領主が決まったようだぞ」
「本当ですか。誰になったのです?」
「バルツァー公爵の従兄弟で、スヴェンという人物だそうだ」
「公爵の従兄弟……友好的な人物だといいのですが」
「噂では、公爵の腰巾着だそうだ。実質バラス領を支配するのは、バルツァー公爵になるのだろう」
デニスはバルツァー公爵に良い印象は持っていない。直接会話した経験はないのだが、こちらを毛嫌いしている雰囲気を感じていたのだ。
「しかし、公爵は何のためにバラス領を?」
「うちが管理している影の森迷宮を、利用したいらしい。公爵から迷宮を自由に利用できるように手配してくれという依頼があった」
公爵からの依頼なので、正当な理由がない限り拒否できない。クリュフバルド侯爵は承知せざるを得なかったようだ。
ダリウス領の紅旗領兵団は、王家の近衛騎士団に匹敵する戦闘集団だと言われている。しかし、王家には黄金旗騎士団がある。一騎当千の強者だけを集めた戦闘集団で、この少数精鋭の黄金旗騎士団だけで、近衛騎士団の戦力を上回ると言われている。
公爵が黄金旗騎士団のような戦闘集団を作ろうとしているという。
「何のためにです? 紅旗領兵団だけで十分だと思うのですが」
デニスが質問した。
精鋭二〇〇〇を超える紅旗領兵団の戦力は、領主軍としては十分なものである。他国との戦争になれば、常備兵の紅旗領兵団の下に農民から徴兵した五〇〇〇の兵士が組み込まれ、総勢七〇〇〇の兵力になると言われているのだ。
八〇人の常備兵を揃えるのに苦労しているベネショフ領と比べると、悲しくなるほどだ。なのに、公爵は不満に思っているという。
デニスが理解できないという顔をしているので、ランドルフが笑った。
「高位貴族ともなれば、他の貴族と張り合うものらしい。クム領のテオバルト侯爵が黒旗領兵団を二〇〇〇に増強したというのを聞いて、その上が欲しくなったのだろう」
バルツァー公爵とテオバルト侯爵が張り合っているようだ。いい大人が何をしているのだと、デニスは思った。
デニスがランドルフに視線を向ける。
「クリュフ領では、侯爵騎士団を増強されないのですか?」
ランドルフがニヤリと笑う。
「現在の一二〇〇を一八〇〇に増強することになった。ベネショフ領のおかげだ」
デニスが首を傾げた。いきなりベネショフ領のおかげだと言われたからだ。
「ベネショフ領のおかげ……どういう意味です?」
「例の綿糸だ。あれのおかげでクリュフ領は増強する資金を用意する目処が立った」
クリュフ領は、ベネショフ領が開発した綿糸で綿織物を作り大儲けしたらしい。ベネショフ領もかなり儲けたが、それ以上に儲けたのだろう。
「ところで、ヘルムス橋はどうだ?」
「順調に建設は進んでいます」
「王都へ来る途中、ベネショフ橋を見物したよ。頑丈そうな立派な橋だ。あれほどの橋を建設できるのなら、ヘルムス橋の建設も成功するだろう」
「ありがとうございます」
デニスはヘルムス橋建設の苦労話を少ししてから、ランドルフと別れた。
「常備兵を一八〇〇ですか。豪勢なものですね」
商店街を歩きながら、ゲレオンが羨ましそうに言った。
「一人年間金貨一〇枚の人件費が必要だと計算すると、一八〇〇人で金貨一万八〇〇〇枚だぞ」
ベネショフ領は金貨二〇〇〇枚の借金を返すのに苦労しているのだ。その金額を聞いたゲレオンは大きな溜息を吐いた。
「侯爵や公爵ともなると違うんですね。ベネショフ領は一〇〇年経っても無理そうです」
「まあ、そうかな。情けなくなるから、その話はやめよう。ところで、兄上のところへ寄りたいんだが、いいか?」
「構いませんが、何か約束があるのですか?」
デニスが頷いた。
「グスタフ男爵が話があるらしいのだ」
「もしかして、ゲラルト様の二人目の子供ができたんでしょうか?」
「それだったら、嬉しいんだがな」
ゲラルトとカサンドラの間には、去年男の子が生まれている。時期的に二人目の子供ができたとしてもおかしくないのだ。
グラッツェル家に行くと、カサンドラが迎えてくれた。
「いらっしゃい。父が書斎で待ってますわ」
案内されて書斎へ行く。グスタフが何かの紙切れを眺めていた。
「待っていたよ。二人とも座ってくれ」
デスクの前に小さなテーブルと椅子が二つある。その椅子にデニスとゲレオンが座った。
「まずは、これを見てくれ」
グスタフが先ほど見ていた紙切れをデニスに渡した。
「賭け札?」
「そうだ。ヘルムス橋が完成し、秋の洪水で流されるかどうかが、賭けになっている」
デニスは思いっきり顔をしかめた。
「橋が流されることに賭けている者が大勢いるのですか?」
「八割が流されると思っているようだ」
賭けの胴元は、王都の悪を仕切る顔役の一人らしい。日本だと、暴力団のボスというところだ。
「その顔役は大物なんですか?」
「いや、小物だ。だが、卑劣な男なのだ」
名前はヴェンデルというらしい。渾名を『悪食虎』というようだ。何にでも噛み付き食い散らかすという意味のようだ。
「ヴェンデル自身は大した奴ではないのだが、手下に大勢の荒くれを抱えている。ヘルムス橋の建設を妨害するかもしれん」
デニスには意味が分からなかった。ヘルムス橋を賭けの対象にしているのは理解した。だが、それがどうしてデニスたちの建設作業を妨害することに繋がるのか、分からない。
「理解できないという顔だな。賭けは、『完成する』『洪水で流される』『雨季までに完成しない』という三択なのだ。そして、胴元が一番儲かるのが、どうやら三番目らしい」
「賭けの倍率を、胴元が操作しているんですか?」
「そうらしい」
「面倒なことを……」
「ヴェンデルは貪欲な男だ。気をつけろ」
グスタフ男爵はデニスを忠告するために呼んだようだ。ヴェンデルという男を警戒する必要がある。兵士たちを増員するように、ベネショフ領に連絡しよう、デニスがそう決心した。
それから十数日が経過し、橋脚と橋台が完成する。その情報は王都にも伝わり、顔役のヴェンデルも知るところとなった。
「まずいな。ヘルムス橋が完成しそうじゃねえか」
ボスの言葉を聞いた配下のベルノルトが、ニヤッと笑う。
「やりますか?」
ベルノルトはヘルムス橋の建設を妨害するかと確認したのだ。ヴェンデルが不機嫌そうな顔で肯定した。
「ベネショフ領が買い集めている木材がある。それを焼き払え」
ヴェンデルは粗暴な男である。腕っぷしと度胸だけでのし上がった人物なので、考え方は単純だ。邪魔な奴、敵対する奴は暴力で排除する。
「但し、ベネショフ領の兵士は腕利きが多いと聞いている。正面からは行くなよ」
「分かってますよ。闇に紛れて仕掛けることにしやす」
悪党が考えることなど、デニスにはお見通しだった。
数日後に、ヴェンデルの配下十数人がヘルムス橋の建設現場に向かう。だが、そこにベネショフ領の兵士が待ち構えていることを知らなかった。




