scene:105 公爵の取引
マナテクノの第一工場で製造する試作機は、二つの方針で設計されることになった。拡張性が高いこと、製造費が安価なことである。
防衛装備庁もマナテクノも、試作機が自衛隊の制式装備になるようなことはないと考えていた。自衛隊幹部が求めている高性能兵器の開発にしては、驚くほど低予算で時間がないからだ。
こんな予算で他国に負けないような高性能兵器が実現できるとは思えない。
「戦術データ・リンクはどうしますか?」
技官の一人が永野装備官に確認した。
「後で組み込めるようにはするが、今年度に完成する試作機には必要ない。ソフトウェアを開発する時間はないんだ」
「いいんですか。制服組はこんなもの使えないとか言い出しますよ」
「予算と時間さえもらえれば、後で組み込むと言えばいい」
「操縦システムの多機能表示装置はどうしますか?」
「戦闘機用の多機能表示装置を次世代攻撃ヘリに転用しようと研究を進めていたものがあっただろ。あれを使う」
「しかし、未完成ですよ」
「基本的な機能は動くはずだ。飛んで武器が使えればいいんだから、十分だろ」
雅也は予算面での責任者となったので、会議に出席している。だが、話し合っている技術関係については、あまり理解できないでいた。とはいえ、予算は管理しなければならない。
「その多機能表示装置だが、いくらするんです?」
「六〇〇〇万円ほどです」
雅也が予想していた答えと桁が違った。軍用というのは、なぜ高いのだろうと疑問に思う。
「ところで、試作機二型に組み込むジェットエンジンは、トンダグループが開発したものでいいんですか。軍用に開発したものに比べると推力が低すぎますよ」
試作機二型とは、ステルス機能を組み込もうと開発している試作機である。
雅也は溜息を吐いた。この技官は試作機二型で音速を越えたいらしいのだが、戦闘機に搭載するようなジェットエンジンを組み込む予算はないのだ。
「予算を考えると、商用小型ジェット用に開発されたもの以外の選択肢はありません。これは戦闘機の試作機ではないんです」
会議が終わり、永野が今日までに決まった基本仕様を政府に報告するという。雅也は一言釘を刺すことにする。
「分かりました。ですが、政府が過度な期待を抱かないように注意してください。時間と予算は有限なんですから」
永野が分かっているというように笑った。
永野が書いた報告書は、防衛装備庁の木崎長官から、防衛大臣に提出された。その報告書を読んだ大臣は、護衛空母で使えるのではないかと考えた。
「ステルスヘリモドキか。陸自だけで任せるのは、もったいないな」
木崎長官を呼び、護衛空母で運用可能かどうかを確かめた。
「可能ではありますが、護衛空母はアメリカから導入する戦闘機を載せることになっていますが?」
「予算の問題がある。第五世代戦闘機は高すぎるのだよ。それにしても、マナテクノが日本の会社で良かった。動真力機関の技術は、もっと大々的に支援した方がいいのかもしれんな」
雅也の知らないところで、マナテクノと日本政府の関係が強化される方針が打ち出された。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
同じ頃、ヘルムス橋の建設を始めたデニスは、建設現場近くの港町ロウダルを領地とするホルスト男爵と交渉し、ロウダル領に住む人々を大勢雇った。
そのことで、デニスはホルスト男爵から大いに感謝された。ロウダル領は本当に困っていたようだ。ベネショフ領から支払われた賃金は、ロウダル領の領民の懐を潤し食料などを購入するのに使われるらしい。
現場で忙しくしていた建築家のルイーゼは、気になる点をデニスに尋ねた。
「両岸の基礎部分なんですが、ここまで深く掘ってから基礎を築くのですか?」
デニスが頷いて説明する。
「ああ、あそこの地盤は二メートルほど掘らないと、しっかりした地層にならないんだ。毎年のように橋が流されるのは、軟弱な地盤の上に橋台と橋脚を建設していることが、原因の一つになっている」
「なるほど。ところで木製の橋桁に塗る防腐剤はどうしますか?」
「柿渋でいいだろう」
この世界にも渋柿があり、その青い未熟な果実を収穫して粉砕し発酵させた後に圧搾して柿渋を作る。防腐効果と防水効果もあるので、広く利用されていた。
木材の加工は、ロウダルではなく王都の職人に頼んだ。ロウダル領では必要とする職人の数を揃えられなかったのである。
また橋台と橋脚の建設に必要な石材などは王都近くにある採石場から切り出して利用することになった。これにも大勢の石切職人や労働者が必要でデニスが用意した資金が飛ぶように消えていく。
「貴族たちが手伝い普請を嫌うのも納得だな」
デニスは日々少なくなる金貨の数に溜息を吐いた。
その建設現場から北西にある王都の白鳥城では、ダリウス領のバルツァー公爵とマンフレート王が会話していた。
「バルツァー公爵、何やら願いがあると聞いたが、何かな?」
「畏れながら、バラス領のことでございます」
国王は首を傾げた。バラス領については心当たりがなかったからだ。
「陛下におかれましては、適正な人物を選び出され領主になされるおつもりなのでしょう。そこで領主に相応しい人物を推薦したいのです」
マンフレート王は鋭い目で公爵を見た。バラス領の新しい領主を選ばなければならないのは事実だが、それは国王の権限である。他の誰も口を挟むことはできない。
「差し出がましいとは、思わぬのか?」
「お許しください、陛下。ですが、バラス領と引き換えにミモス迷宮の『ヨッヘムの鍵』を譲りましょう」
国王が眉間にシワを寄せる。『ヨッヘムの鍵』というのは、ミモス迷宮の一〇階層にあるヨッヘム門を開く鍵である。ヨッヘム門の奥には国宝級の宝物が眠っていると言われている。
但し、そこには宝を守るガーディアンがおり、簡単には宝物を手に入れられないらしい。
ヨッヘムの宝物を手に入れることは、ゼルマン王家の悲願だった。しかし、ヨッヘムの鍵を手に入れたのは、バルツァー公爵の祖父であり、ヨッヘム門の中に入ったのも公爵家の者たちだけなのだ。
「ウルダリウス公爵家は、ヨッヘムの宝物を諦めたのか?」
「ガーディアンは強敵です。我らには倒せませんでしたが、王都の強者なら倒せるでしょう」
ダリウス領には、武闘祭で優勝したレオポルトがいる。そんな強者がいるのにガーディアンを倒せなかったということは、相当な強敵だということだ。
だが、国王はガーディアンを倒せないとは思わなかった。王都には黄金旗騎士団がある。その騎士団のメンバーは超越的な実力を持つ武官たちだ。
「いいだろう。取引に応じてやろう。バラス領の領主に相応しい人物とは誰なのだ?」
「私の従兄弟、スヴェンでございます」
スヴェンは公爵の母方の親族である。
「息子の誰かを準男爵にするのかと思っていた」
「陛下、公爵である私の息子を、準男爵にとは冗談がすぎますぞ」
公爵は跡取り以外の息子を王都貴族にしようと考えている。王都貴族なら、実力次第で侯爵になることも可能だからだ。それに比べて領地持ちの貴族は、上の爵位に陞爵することは難しい。
一度準男爵になれば一生そのままというのがほとんどなのだ。
「しかし、なぜバラス領を欲しがるのだ? あの領地にめぼしいものはないはず」
「お忘れですか。バラス領の近くには影の森迷宮がございます」
以前に公爵が迷宮を欲しいと言っていたのを、国王は思い出した。紅旗領兵団を迷宮で鍛え上げ、より精強な騎士団にしたいのだ。そのために公爵の味方が迷宮の近くに領地を持つことは好都合である。
「良かろう。バラス領のことは承知した」
国王は公爵と取引を成立させた。
「ところで、ベネショフ領の手伝い普請は順調に進んでいるのでございますか?」
国王が頷いた。
「順調なようだ。デニスという若者は、辺境に生まれた麒麟児なのかもしれん」
バルツァー公爵が薄笑いを浮かべた。準男爵の息子など問題にしていない様子である。
「陛下、それは買い被りというものでございます。今回の橋の件も、専門家が知恵を貸したのでしょう」
「そうかもしれぬが、そのような優秀な専門家に伝手があるのも実力のうちではないか」
「陛下がそう言われるのならば、そうなのかもしれません」
バルツァー公爵は、ベネショフ領に良い印象を持っていなかった。ベネショフ領の名が上がるようになったのは、次男であるダミアンを成敗し匪賊団を殲滅した頃だからである。
本来なら跡継ぎであるハーゲンが、ダミアンを成敗し身内の恥を始末するべきだった、と公爵は考えている。公爵にとってベネショフ領は余計な真似をした邪魔者なのだ。
こうして、ヴィクトール親子が死んでベネショフ領にちょっかいを出す者がいなくなったと思ったのに、もっと厄介な隣人が引っ越してきた、とデニスが知るのは、王都の屋敷に戻った時だった。




