scene:104 犯人確保
その翌日、雅也と冬彦は三上の家に向かった。その家は住宅街の一軒家である。三上は午後三時頃になると家を出てパブか雀荘に行く。
雅也は尾行しながら『嗅覚』の真名を解放した。三上の匂いを記憶するためである。そのまま尾行を続けると、今日も雀荘に到着した。
「先輩、今日も盗みに行くと思いますか?」
「金が必要なら行くんじゃないか。この前の消費者金融では、盗んでいないんだろ?」
金庫を壊した直後に仁木が跳び込みパトカーが来たので、何も盗まずに逃げたらしい。警官が近くまで来ているのに、大金を持ってうろうろしているのはまずいと考えたのだろう。
「でも、不動産屋では五〇〇万円を手に入れているんですよ」
「たぶん借金でもあるんじゃないか」
三上が雀荘に入って一〇分が経過した。
「誰か出てきました」
冬彦の声で、雅也は雀荘の入り口に目を向けた。三上ではない。背格好は同じだが五〇代の男だ。雅也は男に違和感を持った。
「あの男を尾行するぞ。真名能力者だ」
男が魔源素を吸収しているのに気づいた雅也が言うと、冬彦が驚いた顔をする。
「でも、三上じゃないですよ」
「俺が窃盗犯の真名能力者なら、仁木さんに顔を見られたんだから、三上の顔を使うのはやめるぞ」
「でも、不動産屋で隠しカメラに写っているのに、三上に化けてましたよ」
「それはニュースになっていない。それに警察が取り調べたのは、本物の三上さんだ」
窃盗犯が三上の顔が知られたと考えたのは、仁木に見られた時だろう。そうすると、別の顔を使い始める可能性が高い。
「そうだとすると、警戒しているのに、三上がいる雀荘から出てきたことになる。あいつ馬鹿なんですか?」
「雀荘の上の階はアパートになっている。そこに住んでいるんじゃないか」
「やっぱり、頭悪いですよ」
真名能力者なら、その能力を活かして生計を立てることは難しくないだろう。そうしないで、犯罪に使うというのは頭の悪い証拠だと、冬彦は思ったようだ。
その男は繁華街へ向かったが、素通りして河川敷に下りた。そこはサッカーの試合もできるような広い空き地だ。男は広い空き地の中央に立ち振り返る。
「俺を尾行している奴、出てこい」
物陰に隠れていた雅也と冬彦は、顔を見合わせた。
「バレちゃいましたね。どうします、先輩?」
雅也は溜息を吐いた。
「仕方ない。直球勝負で確認しよう。冬彦はここで待機してくれ」
「分かりました。先輩が危なくなったら、警察に連絡します」
雅也は河川敷に下りて、男に近寄った。夕日で男の姿が赤く染まっている。
「お前は刑事か?」
「違う。政府の真名能力者を管理している部署から依頼があり調査している者だ」
「俺に何の用だ?」
「仲間が窃盗犯に怪我をさせられた。あんたの仕業じゃないのか?」
「俺を泥棒呼ばわりするのか? 証拠を出してみろ」
雅也は男を観察した。手には手袋をしている。指紋などは現場に残していないだろう。
「二丁目の消費者金融に行ったことがあるか?」
「ないよ」
「そうか。そこに泥棒が入ったんだが、現場で体毛が発見された。その体毛から遺伝子を抽出して調べれば、分かるんだぞ」
「嘘を付くな。俺の頭に載っているのはカツラだ。髪の毛が落ちているはずがねえ」
男はカツラを外した。夕日で真っ赤に染まったスキンヘッドが現れる。
雅也がニヤッと笑う。
「髪の毛だとは言ってない。体毛だと言ったはずだ」
男は下半身をチラリと見てから、舌打ちした。
「チッ、俺のDHAを簡単に調べられると思うなよ」
男はボクシングのように拳を挙げて構えた。
「……馬鹿か、ドコサヘキサエン酸なんか調べてどうする。お前は青魚か。調べるのはDNAだ」
夕日のせいでなく、男の顔がさらに赤くなる。
「五月蝿え、一文字違っただけだ」
男が雅也に襲いかかった。雅也の脇腹を突き破ろうとする強烈なボディブローを躱し、前蹴りを放って相手を押し返す。
男は格闘技などを習っているわけではないようだ。スピードや威力は驚異的だが、そこに技がないので単調な攻撃となっている。
男の突きを受け流した雅也は、カウンターの突きを男の脇腹に叩き込んだ。男は顔をしかめたが、動きを止めない。普通の人間ならダウンしてもおかしくない威力を持つ突きだった。
「貴様も真名能力者だったんだな」
雅也が力負けしていないのを感じて、何らかの真名を持っていると分かったようだ。
「ふん、お前は『頑強』の真名を持っているようだな」
「ならば、手加減はやめだ」
男は新たな真名を使おうとしていた。
雅也は男の真名に興味があったので、男の動きを観察した。そのうち全身の毛が逆立つような感じを覚えた。
「これは磁気か」
「よく分かったな。俺は『磁気』の真名を持っているんだ」
男が右手を前に突き出すと、その手に地面から何かが集まり始めた。
「何だ? 砂、いや砂鉄を集めているのか。映画にもそういう超能力者みたいな奴がいたけど、あそこまでの力はないようだな」
「馬鹿にするな。この真名術の威力に驚け!」
男の手元から砂鉄の玉が弾け飛び、雅也を襲った。雷撃球などと比べて倍以上も速い。思ってもみなかった速さで迫る砂鉄玉を躱そうとしたが、右肩に命中した。
衝撃で身体が回転し、地面に倒れる。
「死ね、死ね」
追撃の砂鉄玉が雅也を狙って放たれた。地面を転げ回って躱し、隙を突いて起き上がる。
「厄介な奴だな。その砂鉄玉を自由自在に操れるのか」
「お前こそ、タフだな。こいつが命中したら、『頑強』の真名を持っていても骨が折れるのに」
砂鉄玉の重量は七キロほどありそうだ。『装甲』と『頑強』の二つの真名を使って防御していたのに、肩の骨が折れたような痛みがある。
雅也は一番使い慣れた真名術を使った。雷撃球攻撃である。
「無駄だ」
男は砂鉄を盾のような形に変形させ、雷撃球を受け止めた。バチッという音が響き雷撃球が放電して消える。
雅也は爆砕球攻撃をしようかと思ったが、爆砕球は威力がありすぎて相手が死ぬ恐れがある。正当防衛だとしても裁判になるかもしれないと思うと、躊躇してしまう。
「今度はこっちの番だ」
また砂鉄玉が高速で飛んできた。雅也は慌てて避け、川の方へ逃げ出した。男は予想通り追ってくる。雅也は川に沿って少し走った後、振り返った。
「おっ、観念したか」
「観念するのは、お前だ」
雅也は男の横にある川に向かって爆砕球を放り込んだ。狙い通り水面で強烈な爆発が起こり盛大な水飛沫が上がる。その水は、男をずぶ濡れにした。
「これは警告だ。あの爆発を喰らいたくなかったら、降参しろ」
男の顔から血の気が引いた。あんな爆撃を受けたら、確実に死ぬ。砂鉄の盾くらいでは防ぎきれない威力があるのは確かだった。
「その前に、俺が殺してやる」
男は砂鉄玉を雅也目掛けて放とうとした。だが、雅也の雷撃球の方が僅かに放つタイミングが早い。襲いくる砂鉄玉を仰け反って躱した。
一方、雷撃球は男の足元に着弾した。そこは川の水で水溜りとなっていた。放たれた電流は、水溜りの水面を走り男の身体へと流れ込んだ。
「ぎゃあああ!」
男は身体を痙攣させながら倒れた。『頑強』の真名があっても電流の衝撃には耐えられないみたいだ。男の顔が粘土のようにぐにゃりと歪み、三〇代ほどの男の顔に変化する。雅也が推測した通り、真名術で顔を変えていたようだ。
「やったー」
遠くで冬彦の声がして、夕闇の中を走ってくる姿が目に入った。
「先輩、やりましたね。肩は大丈夫なんですか?」
「もの凄く痛い。ヒビが入っているようだ」
雅也は『治癒の指輪』を使って自分で治療した。
冬彦は警察でなく、黒部を呼んだ。しばらくして部下を引き連れた黒部が現れ、男を連れていった。
数日後、雅也と冬彦は黒部と会い、男のことを知らされた。
あの真名能力者は、秋田という三〇代の男だということが、黒部たちの取り調べで分かった。『磁気』と『仮面』という珍しい真名の持ち主だったようだ。
秋田が窃盗犯となった理由は、やはり借金だった。二二〇〇万円の借金があり、手っ取り早く盗んで返そうと思ったようだ。秋田は政府のある組織と取引をして、借金を政府が肩代わりする代わりに、その組織で働くことになったらしい。
「聖谷さん、秋田から聞きましたよ。いろいろ隠していたようですね」
黒部がニヤリと笑って言った。子供のイタズラを発見した大人のような目をしている。
「真名のことか。いつかはバレると思っていたんだが」
「詳しい話を聞かせてもらえますか?」
「仕方ない」
真名術を使って戦った相手から、情報が漏れたのではどうしようもない。雅也は『雷撃』『頑強』『爆裂』の真名を持っていると、黒部に言った。『爆砕』ではなく『爆裂』と言ったのは、『爆砕』の威力が大きすぎたからだ。
『爆裂』の威力が手榴弾程度だとすると、『爆砕』は小さなビルなら吹き飛ばすほどの威力があった。なので、雅也は全力で『爆砕』の真名を使ったことがない。デニスも同じで、使う時は魔源素の量を調整し、ほどほどの威力で使っている。
「隠していた真名は、それだけですか?」
黒部が疑わしそうに言う。
「それだけだ。疑っているのか?」
「ふむ。まあいいでしょう。今日のところは信じておきます」
全然信じていない様子の黒部が答えた。雅也と黒部との間で交わされる腹の探り合いは、毎度のことなので雅也は気にもしない。それより秋田がどんな組織と取引したのか気になった。
その翌日、三日ぶりに第一工場へ行くと、中村主任たちが暴走を始めていた。ステルス戦闘翔空艇の試作機にトンダグループが開発したジェットエンジンを組み込もうという話をしている。
「ちょっと待った。これは攻撃ヘリモドキの試作機なんですよ。戦闘機の試作機じゃない」
中村主任が平然として答える。
「分かってますよ。昔、アメリカのドラマでヘリにジェットエンジンを組み込んだ超音速攻撃ヘリというのがあったんですよ。ジェットエンジンを組み込んだら、本当に音速を越えられるか試してみようということになったんです」
「へえー、そんなのがあったんだ───って、いやいや、ドラマって言いましたよね」
「いいじゃないか。トンダグループも協力してくれると言っているんだから」
雅也は暴走を始めた開発チームを見回し、大きな溜息を吐いた。




