浦島太郎
「葵花ちゃん、昼間っから……」
「本当は霜降り食べたいんだけどねぇ~」
「葵花さん、お楽しみは夜にしましょうよ。午後から会議なんですから……」
「そう言えば、真璃さん、資料は?」
「竹内さんのせいでギリギリ。ほんと、入社して何年も経ってるのに、未だにパソコンで資料が作れないなんて、機械音痴にもほどがあるわよ。テンプレ使えば簡単なのにそれすらできないなんて……」
「また竹内さん?」
真璃と呼ばれた女性が大きなため息をつき、他の二人も少し遠い目をする。それにしても煩い。女三人集まればというにはまさにこういうことを言うのだろう。
「大石君と斉藤君が手伝うというか、殆どあの二人が作成してくれたから助かったわ。さっき人数分の印刷お願いしてきたところよ」
「仕事はできるのに、事務はダメってアンバランスすぎよね。以前サーバーの方のテンプレをそのまま使って上書きしちゃった事もありましたよね」
「そうね、あの時も大変だったわ……」
「そういえば経理の子がまだ経費の精算ができないって嘆いてましたよ」
「あらら……。今日みたいに期限がぎりぎりの時はともかく、いい加減大石君と斉藤君に手伝わせないで自力でやらせるようにしなきゃ。真璃さん、本当にお疲れさま!」
「無事に終わったら打ち上げしましょうね! 勿論社長のオゴリで!」
女性陣のテーブルは話が途切れることがない。実は彼女の方にチラチラと視線を投げる。全員同じ服を着ていることと会話の内容から、どうやら同じ会社に勤めていることが推察される。とはいえ――。
(あ~、もう! 何て騒がしい人たちなんだ! 大和撫子はどこに行ったんだ!?)
そのテーブルにさきほどの男が着流のまま、たすき掛けをして袖を捲った姿で盆を持ち、席に近付いていく。
「毎日お仕事お疲れ様です。忙しいのにご来店頂きありがとうございますねぇ」
そう言いながら、テーブルにお茶を置いていく。
「朔様とレバーの為ですからっ!」
「朔様に会ってパワーを充電してるんですよ、私たち。ね、真璃さん」
「ええ、これで午後も頑張れそうですわ」
きゃっきゃっとテーブルが華やぐ。朔はお盆で頭をかきながら、何とも複雑そうな笑い声をあげ、そこへリリアが割り込んでくる。
「レバーの香り焼き、お待たせしました~!」
リリアがどんっ! と朔を突き飛ばす。朔は実の目の前まで突き飛ばされてきた。
店舗の入り口でその光景を見ていたクロは、さっきのふきげんさはどこへやら。今度は愉快そうに尻尾をパタパタさせた。
『今日は、真璃さん、葵花さん、珠雨さんか……。朔ったら、ガールズトークから逃げるためにわざとリリアに突き飛ばされてる。まぁ、その方法が一番ここでの朔らしいけど、はたから見たら軟弱男なんだろうなぁ……。あ~あ、やっぱり実は呆れ顔。朔はわざとそう見せてるだけなのにね』
クロが想像した通り、実は心の中で、なんてひ弱な男なんだ。それでも日本男児か! と呆れ返っていた。
「やれやれ。まいりましたねぇ」
実と目が合った朔からは、やる気のなさそうな笑い声。
『朔は実際やる気はなんてないもんね~』
それから朔はすぐそこの席に付いたので、クロはそろそろ頃合いだと、鈴の音とともに店内に入り、女性陣に可愛く「ニャア」と鳴く。
その声は何となく「いらっしゃいませ」といように聞こえ、女性陣達もさっきとは違った笑みで「クロちゃん」と名前を呼びながら、頭や喉をちょいちょいといじる。
ごゆっくりとでもいうように「ニャ~ァオ」と鳴いた黒猫は朔の膝の上にぴょんと飛び乗った。ちなみに、クロの本心は、私のカリカリ代のために毎度あり~である。
それから朔は実にも同じテーブルに着くように促す。実は仕方なく、朔と向かい合って座ることにした。その向こうでは先ほどまでいがみ合っていたリリアと珠雨がすっかり仲直りしたらしく、輪をかけたような騒がしさになっている。
「珠雨さん、さっきの店長のデータください。私が持ってるレア店長と交換しよっ!」
「レア店長!? 何それっ!!」
「ふっふっふ~見たい?」
リリアがエプロンのポケットから取り出したスマホを軽く振って見せると、珠雨がじれたように催促する。
「勿体つけないで見せなさいよ~」
「見よっ! 店長の二の腕ちらり写真っ!!」
じゃーんっと表示した写真に三人の絶叫がこだまする。
「きゃあぁ、葵花ちゃん、葵花ちゃん、レバ-食べてる場合じゃないって!」
「ぎゃーっ、鼻血っ!」
「これ、今の私の待ち受けですよ」
「あの……、わたくしも頂いていいかしら?」
「はいはい、真璃さん、順番ね~。あと、これはいつものお約束ですけど、朔様の写真はあくまでも非公開、ネットに流すのは厳禁でお願いしますね」
「そんなの、当たり前よ~」
「勿論ですわ」
わいわいと盛り上がる女性が四人。全員何かを取り出し、似たような機械を操作しながらますます盛り上がっている。
賑やかなテーブルをのほほんと構えていたクロは、四人が朔の写真を交換しはじめたのを見て眉根を寄せた。
『どうしよう。朔の画像が残るのってマズイと思うんだけど……。最近は簡単に写真が撮れちゃうし、データも送受信もネットへの掲載も簡単すぎるし。大丈夫なのかな』
そんな心配をするクロに大丈夫だというように朔はクロの頭を撫で、同時に実がおずおずと朔に話しかけてきた。
「あの……あの人たち何してるんですか?」
ああ、やっぱりその質問かとクロが考えていると、おっとりとした口調で朔が実の疑問に答える。
「あぁ、スマホやiPhoneとかでデータのやり取りしてるんですよ」
「へ? す、すまほ? あい……ふぉん……?」
朔の簡単かつ、今の時代では常識的な説明をする。勿論、実には意味不明な文字の羅列でしかない。恐らく、今、実の頭はハテナマークのオンパレードだろう。
「あの……もう一回言ってください。すまほ? あい……ふぉ、ん……?」
このやり取りだけでクロの尻尾が大きく揺れる。
『なんか……。笑える……! この会話、彼女達が聞いたら実の混乱はMAX間違いなしだわ!』
クロが笑いを堪えているのを察した朔は、宥めるようにクロの顎を撫でる。
『うふっ。こうして朔に撫で撫でされるのだ~い好き』
浦島太郎状態の実と、普段はボケボケな朔の会話は結構面白い。
『これ、録音して流したらヒットするんじゃない? 某お笑いグランプリで優勝できるかも』
「スマホですよ、スマートフォン。あとはiPhoneですよ。持ち運べる電話の事です」
実の目が丸くなり、パチパチと瞬きが繰り返される。
「――電話? 電話ってあの電話?」
「きっとその電話でしょうねぇ」
朔の言葉に瞬きを繰り返した実は、女性陣の手元二手を向け、しばしまじまじと見入った後、大きく手と頭を振る。
「いやいや、電話のわけないでしょ。だってコードがないじゃないですか」
実の生きていた時代はダイヤル式の黒電話や公衆電話しかなかった。あの小さい箱が電話だなどと、信じるはずがない。その事を承知しているのに、朔はのほほんとしたままだ。
「だっても何も……葵花さんと真璃さんが持っているのがスマホ、リリアさんと珠雨さんがiPhoneですよ。少し前はフューチャーフォン、ガラケという機種ばかりでしたが、今はスマホとiPhoneが主流になってますよ。ああ、最近じゃガラホというのもでてきましたねぇ」
「あんなに小さい電話があるわけないじゃないですか」
そして再び手と頭を振る。
クロがチラッと見上げると、実は若干渋い顔をしている。朔はどこまでも呑気に口を開く。
「おやおや、なんて説明すればいいんですかねぇ? スマホは勿論iPhoneや携帯電話の説明なんてしたことありませんよ」
クロは朔に説明の仕方を教えてやろうかと思ったが、さっきの実にまだむかついているので、わざととぼけて見せた。
『そうよねぇ。スマホはスマホ、iPhoneはiPhoneよねぇ』
「大体、電話線もないのにどうやって使うんですか?」
「電波とか、ですかねぇ?」
「電……波?」
「なんて言えばいいんですかねぇ」
『うぷぷっ……。笑える! 朔も悪気なしの素だからたちが悪いわ。ほんと、日常のことは興味なしってところは昔から変わんないだから。もっとも、そういう部分が母性本能をくすぐり、見た目が綺麗だから女がほっとかないんだろうけど。でも、そろそろ仲裁に入った方がいいかしら』
クロが心の中でそう思っていたときだった。突然、目の前に石の器に入ったジウジウ勢いのある物が現れた。この店自慢の石焼ビビンバだ。
「あ、陣さん。わざわざどうも」
持ってきたのはこの店の調理人で経理や仕入れも担当している陣だ。ガタイがよくて、腕も太くてグラサンを欠かさない。普通のシャツが凄く小さく見える。この姿では見かけ軟弱な朔や、ギャルのリリアの用心棒といってもおかしくない。
実が茫然としているにも関わらず、陣は一言も発することなく厨房へと帰って行く。その間、実は呆然とした面持ちでその後ろ姿を見送っていた。