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クロのイライラ、実の困惑

 イライラしたまま店内から奥に引っ込んだクロは、トントンと階段を駆け上がり、朔の部屋(ねこ部屋)へと入っていく。

 散歩に出かける直前までくつろいでいたキャットタワーにぴょんっと飛び乗ると、そのままぴょんぴょんと最上部のねこ板(棚板)まで上りきり、ふて寝の体制に入る。

 このキャットタワーはクロの要望を全て詰め込んだ朔の手作りで、クロのお気に入りの場所である。三本ある支柱にはしっかりと麻縄が巻かれ、そのうちの二本は天井までの高さがある。

 滑り止めのマットが敷かれているねこ板に、ふわふわのクッションが敷かれた隠れ家風の箱や籠、くぐり抜けの穴やステップは勿論、ハンモックに吊り橋まである。壁にもいくつかのねこ板やキャットウォークが設置され、エアコンやサーキュレーターまで完備されている。

 今日は本当に天気がいいので、もうこのままここで昼寝してしまおう。そう思って寝る体制にはいったものの、まっすぐで綺麗な尻尾は怒りのバロメーターを示すようにばたばたと大きく振られている。


『あ~、ほんっと、イライラする! なによ、実のあの朔への態度は! 気に入らないったらありゃしない。おまけに……』


 バンバンバンバンッとねこ板の上で尻尾が振られる。


『なによ、なによっ、実ったら! この私のことを覚えてないなんてっ! うううううっ……。そりゃ、確かにさっきまで消えかかってた霊体もん。記憶の抜け落ち位あるってのはわかるわよ。わかるけど……』


 バンバンバンバンバンバンバンバンッ。


『私だって転生してるんだもん、もう前の私じゃないってのもりかいしてるわよ。だから、私が生前の飼い猫のクロだとわからなくても無理はないけど……。でも、だからって、この毛並み、この色艶、この可愛いお目々にこの可愛い声! これを見聞きしてもピンとこないわけ!? 実の私への愛情ってそんな物だったの!?』


 バンバンバンバンバンバンバンバンバンバンバンッ。

 口に出せばすっきりすると思っていたのに苛々は募っていく一方だ。尻尾の勢いも叩きつけるような激しいものに変わっている。そうしながら、再び口から文句がこぼれていく。


『おまけに、男としては当然だろうけど、リリアに対するあの態度はなによ! あ~、ほんと、む・か・つ・く! イライラしてお昼寝モードになれないわ! 睡眠不足は美容の大敵なのよ! この艶のある綺麗な毛並みに影響出たらどうしてくれるのよ!』


 尻尾をパタパタして怒りオーラを撒き散らし、気を落ち着かせるために一心不乱にグルーミングを施していく。

 暫くすると階下にある店の引き戸が開く音が聞こえ、店内が賑やかになっていく。


『あ、この声、友栄(トモエ)の仲良し三人組のOLさん達だ』


 友栄はこの店の近所にある会社で、忘年会や新年会をはじめ、歓送迎会や打ち上げ等でいつも利用してくれている。部門ごと、課ごとは勿論、社員数人で個人的に食事に来てくれる、いわばこの店の一番のお得意様である。

 陣の料理目当ての客も多いが、男性陣の多くはリリア目当てでやってくる。勿論、女性陣の狙いは朔である。とはいえ、彼女たちには朔の恋人になりたいなどといった願望は殆どない。朔はこの辺の学生、OL、主婦、おばあさんや幼女まで、それはもう幅広い層から目の保養扱いされている、いわばご近所のアイドル的存在なのだ。

 女性陣が朔のことで騒ぐのも無理はない。

 前髪を長くしてあまり顔が見えないようにしているとはいえ、その素顔の全てを隠しきれているわけではない。女性陣の美形レーダーというものは、どんな些細なものにも反応する。

 ふとした拍子に見え隠れする涼やかな目元や、柔和な笑みを浮かべる口元に女性陣は終始釘付けになり、おっとりした口調や仕草は母性本能をくすぐるものがある。

 長い髪は特に手入れしていないのに艶やかで、多少前髪が長くても不潔な印象を与えない。むしろそうでなくては朔ではないと言われるくらいだ。

 おまけに普段着は着流し、店に出る時は作務衣と和服しか着ないので、目立つことこの上ない。

 経営や仕入れは全然ダメ、料理を運ぶ手つきも覚束ないダメ店長なので、陣やリリアは朔にさせる仕事を極端に絞っている。

 朔の仕事は、最初のお冷を出すのと挨拶、混雑している時の客への対応――お詫びや次回に使えるサービスチケットの手渡しや、席が空くのを待っている客への応対だけで、これはもう、はっきり言って客寄せパンダ扱いだ。

 それでもお客は喜ぶし、朔のおっとりした態度に苛立つ客もいない。むしろ、混雑時の方が朔と会話が出来ると好評だったりする。


『看板猫の私もご挨拶しないといけないけど、どうしようかなぁ……。お客さんもだけど、実の今の状態は浦島太郎で、その実の相手をするのはおそらく、いや、間違いなく朔なわけで……。どうしようかなぁ……。――うん、やっぱり二人だけで会話をさせるのはマズイかも。しょうがないなぁ……』


 う~ん、と悩んだ末に、クロはキャットタワーから飛び降り軽い足取りで階下へと降りていく。店舗の入り口前でちらっと中を覗くと、案の定、いつもの仲良し三人組がきゃあきゃあ騒いでいた。


 そのほんの少し前に遡る。

 入店してすぐ、裸エプロンというものを初めて見ることができると、ひそかに期待していた実は、リリアの後ろ姿を見た途端、へなへなとその場に座り込んでしまった。

 もちろん、これは自分の勘違いであり、朔には何の恨みもない。それでもなぜか恨みがましい目で朔を見上げてしまう。


「どうしました?」


 怪訝な顔で首を傾げる朔に対して思わず握りこぶしを作ってしまう。そうして心の中に沸き起こる、理不尽な八つ当たりの山――。


 いったい、この男はなんなのだ。いきなり目の前に現れて、ろくな説明もなしにこんな店に連れてきて、いや、着いてきた自分も自分か。いや、でも着いてこいと言ったのはこの男なんだし。

 あの黒猫にはにらまれるし、あの彼女の大胆な姿にはどきどきさせられるわ、がっくりさせられるわ、おまけに奥から漂ってくる旨そうな匂いに空きっ腹が刺激されるし……。


 ぐぅ~~~、ぐるるるる……。


 さっきから腹の虫が大合唱している。それなのに、目の前の男はひょうひょうとしてるし。だいたい、その格好は何なのだ。一昔じゃあるまいし、着物なんて普段着にするものか? おまけに男のくせにその長髪はなんなのだ。目元を隠すな、すっきりさせやがれ!

 人間、腹が空いては戦が出来ぬ、もとい、腹が空ききっているからこそ、しょうもない口を並べ立てないと気が済まない。


(――あれ? 俺、なんで腹空いてんだっけ?)


 その時である。

 ガラガラッと大きな音を立てて勢いよく引き戸が開き、同時に一気に店内が騒がしくなる。


「ほらね、やっぱりこの時間に来て正解だったでしょ? 朔様がお店に出てくる時間はぜ~んぶこの葵花(アオカ)さんにお・ま・か・せ・よっ」

「流石、葵花さん!」

「やっぱり、情報収集能力は葵花ちゃんに限るわぁ」


 店に入るなりテンション高くマシンガントークを始める女性陣に、一種のカルチャーショックを受けた実は目をパチクリさせるしかない。

 そして朔の着流し姿を見て更に黄色い声が上がる。


「きゃあぁ、朔様っ! 着流し、着流しだわっ!!」

「きゃっ、朔様、オフモードだわっ!!」


 そう言って葵花と名乗ったミディアムヘアの女性と、ショートカットの女性が四角く薄い板を取り出し、どこからともなくカメラのシャッター音が連発する。


(何してんだ、この人達? しかもなんて騒々しいんだ!? いくら古い店舗だろうと、いや古いからこそ隣家のことを考えて静かにするべきじゃないのか?)


「葵花さん、珠雨(ミウ)さん、それ、わたくしに送って下さいな。わたくしのだとキレイに写らないんですもの」


 今度はロングヘアの女性が、何やら一生懸命お願いをしている。言葉づかいが一般庶民と若干違う、お嬢様と言ってもいいくらいに上品な言葉づかいだ。


(何なんだ、この人たちは!?)


 けたたましさに訳のわからない単語と手に持っている薄型の機器に実の表情がどんどん引きつっていく。そこに今度はリリアが加わったので、店内は想像を絶するほどに煩くなっていく。


「ちょっとぉ、葵花さん、珠雨さん、お店では撮影禁止でお願いします! 他のお客様のご迷惑になるって言ってるでしょう!」


 胸を強調するように腰に手を当てて注意をするリリアに、珠雨と呼ばれた女性がこれまた喧嘩腰で返していく。


「出たわね、爆乳娘。何よ、ちょっと若いからって」

「ふ~んだ。悔しかったらミニスカ履いてみな!」

「きーっ、悔しい! 朔様はみんなの朔様よ! 独占反対!!」

「珠雨さん、珠雨さん。ランチタイム終わっちゃうから……」


 顔を突き合わせて火花を散らす二人の間に、ロングヘアの女性が慌てて止めに入るのを見た実は、最初にマシンガントークを始めた葵花という女性はいったいどこに行ったのだろうと店内を見回そうとし、その途端、斜め奥の座席からオーダーする声が聞こえてきた。


「すみませ~ん、レディースランチ、サラダ大盛りでお願いします。珠雨ちゃんと真璃(マリ)さんもそれでいいですか?」


 いつの間にか席についてオーダーを入れている葵花に実の目がさらに丸くなる。


「葵花さん、ありがとう」

「葵花ちゃん、ありがと~!」


 真璃と呼ばれたロングヘアの女性が綺麗な笑みを浮かべて礼を述べ、珠雨と呼ばれた女性も呼応する。その間にまた葵花の声が割り込んでくる。


「じゃ、サラダ大盛りのレディースランチ三つと、レバーの香り焼き単品で一つ!」


(――じょ、女性が昼間っからレバーだと!?)


 更に目が丸くなる実のことなど目に入っていない女性陣は着座しながら更に声高になっていくのだった。


第1話にリカオ様に頂戴した朔のイラストを掲載しました。

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