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ハガネノバケモノ

作者: カワチ


 ――辺りは火の海だった。


 染み一つなかったであろう白い壁は荒ぶる炎で黒ずみ、崩れ落ちた天井の下は血に塗れた白衣の人々。一枚の布のような服を着た子供達が泣き叫び、逃げ惑う。そして、その中心には、銀色に輝く一つの影。


 炎を映すほど磨かれた銀色の装甲は、見るものに威圧感を与える厳かなフォルム。顔はヘルメットのように滑らかな曲線を描いていて、頭部には刃のように鋭く尖った二本の角。


 くっきりと浮かぶその姿は、地獄絵図の鬼のようだった。




 ドスンと落ちる音。


 背中に痛みを感じて目を開けると、見覚えのある天井が見えた。視界の端には、自分が寝ていたはずのベッド。


(……落ちたのか)


 寝起きと痛みで重い体を起こすと、八神誠司はさっきまでの夢を思い出す。


 子供の悲痛な泣き声と赤く染まった白衣の死体。そして、銀色の鬼。


 ただの夢とは思えないほど、誠司は鮮明に覚えていた。


(最悪だ)


 朝から憂鬱な気分になった誠司は、ベッドに置いたスマホを手に取り、時間を確認する。画面には、九時十分と表示されていた。


「……?」


 寝ぼけて見間違えたのかと思いながら、目を擦って再度確認する。


 九時十分。


 何度確認しても、同じ時間だった。


 誠司の記憶では、確か今日は月曜日のはずだ。しかも一時間目は、入学から僅か一週間で厳しいと噂が出る、我がクラスの担任の授業。


 最悪な状況に頭がついていかず、誠司は呆然と窓を見る。雲が全くない、清々しいほどの晴天だった。


「……もう一眠りするか」


 現実逃避を始めた誠司は、ベッドへと舞い戻った。




「失礼しました~」


 気の抜けた挨拶と共に職員室の扉を閉める。


 夕日が差し込む廊下をとぼとぼと歩きながら、誠司が教室への道を戻る。


 二時間目から遅刻してきた誠司は、予想通り担任の怒りを受けることになった。しかも、休み時間と昼休み、さらには放課後まで説教が続く嬉しくない特典つきで。


 いくらなんでも酷すぎると思ったが、生徒である誠司には回避しようがなく、担任の怒りを受けるしかなかった。


 下校し始めた生徒たちを尻目に、廊下の角を曲がる。すると、見知った友人――久賀文乃の姿が目に入り、足を止める。


 泥棒のように辺りを警戒しながら、久賀が廊下のゴミ箱に視線を送る。しかも、なぜか学校指定のカバンを二つ持っていた。


「なんで、二つも持ってるんだ?」


 久賀の挙動に不審さを感じた誠司は、廊下の角に隠れて久賀を観察する。


 やがて周りの生徒たちが完全に消えると、久賀はすぐにゴミ箱へと近づく。そして、叩きつけるようにカバンの一つをゴミ箱に捨てた。


 一部始終を見た誠司は気付く。もしかしたら、これはイジメでよくあるやつじゃないかと。


 もうひとつのカバンを肩にかけると、久賀は靴箱の方へと向かう。


 久我が廊下の奥で消えたことを確認すると、誠司がゴミ箱に近づき、中を覗く。


 そこには、八神誠司と書かれていた。


「……今度はカバンかよ」


 久我の行動に怒りを覚えつつ、誠司はゴミ箱からカバンを取り出し、付着したゴミを払う。


 久賀の嫌がらせを受けたのは、実は初めてではない。中学の頃から何度もやられているので、誠司は慣れているのだ。カバンを捨てられたのは、今日が初めてだが。


(後で覚えとけよ、あのアマ)


 教室に行く手間が省けた誠司は、靴箱へと向かう。案の定、久賀は靴を履きかえている途中だった。


 普段と変わらぬ表情で隣に立ち、誠司も靴を履きかえる。


「早かったんですね、岩本先生の説教」


 隣の誠司を一度も見ることなく、久賀が話しかける。


 まるで何事もなかったかのような態度に、怒りを通り越して、誠司は呆れた。


「まあな。それより、このカバンの事なんだが」


 僅かに汚れたカバンを久賀に見せつける。


 全く表情を変えることなくカバンを眺めると、久賀は心底残念そうにため息をはく。


「もう少し、時間稼ぎが出来ると思ったんですが」


「少しは謝れよ!」


 誠司の魂の叫びに、久我は冷めた視線で対応する。


「なんで私が謝らなくちゃいけないんですか?」


「いや、お前な!」


「すいません。莉奈さんが待っているので」


 詫びいれず平然と門に向かった久賀に苛立ちながらも、誠司も後を追う。誠司も待ち合わせがあるのだ。


 久賀の隣に並ぶと、人がまばらになっている門までの道を歩く。


「どうせ、莉奈と二人で帰りたいから、捨てたんだろ」


「当たり前です」


「……お前、どんだけ莉奈の事が好きなんだよ」


「山よりも高く、海よりも深くです」


 自信満々に言い切る久賀に、誠司は文句を言う気が無くなる。


 お互いに無言で歩いていると、夕焼けを背に門前で待つ少女が見えた。


 少女に気付いた誠司が、声をかけようとした瞬間、


「莉奈さん!」


 背中まで届く黒髪を犬の尻尾のように揺らして、久賀が少女の元に走り寄る。


 普段では考えられないほど大きな久賀の声は、少女には全く聞こえていないようで、一心不乱に本を読んでいる。


 表紙はブックカバーで見えないが、仮面ヒーローという漫画だという事は、長年の付き合いで誠司には分かっていた。


「莉奈さん、莉奈さん」


「……あ、ごめんごめん。ちょっと遅かったから、うち、本読んでて」


「いえいえ、別にいいんですよ。悪いのは、八神くんなので」


 莉奈の前では名前を呼ぶ久賀が、誠司を指を指しながら、誠司の遅刻の話をする。


 確かにその通りなのだが、久賀の言葉に素直に納得するのは癪だったので、誠司は無視して莉奈に声をかける。


「悪い、遅れた」


「別にええって。それじゃ、皆で帰りますか」




 久賀と莉奈が前で誠司が後ろを歩くのは、中学からの定位置だった。誠司は未だに文句があるのだが。


 三人の影が映るコンクリートの道を歩きながら、誠司は楽しそうに喋る二人の顔を見る。


 肩までかかった柔らかい髪と時折ひまわりのように笑う莉奈は、幼馴染のひいき目が無くても可愛いと思う。


 実際、中学では噂になっていた。久賀の妨害のおかげで、浮ついた噂は無かったが。


 久賀も、同年代とは思えない大人びた顔立ちと落ち着いた雰囲気で人気だったのだが、性格のせいもあり、瞬く間に消えた。


 そんな久賀も、莉奈の前では普通の女の子のように笑っていた。


 あの性格さえ直せればいい奴ではあるんだがと思いながら、誠司は二人の会話に耳を傾ける。


「仮面ヒーローがこんときに言ったセリフが――」


「莉奈さん、それ、二十回目です」


「あ、ごめんごめん。うち、仮面ヒーローのことなると、すごい熱なるから」


「大丈夫ですよ。私は聞くことだけで、楽しいですし」


「それやったら、文乃ちゃんにも貸そか? 仮面ヒーローの漫画」


「いえ、本当に聞くだけで楽しいので」


 近所のおばさんのようにぐいぐい話す莉奈に、久賀は押され気味だった。


 大変だろうとは思うが、誠司は助け舟を出さない。カバンを捨てられた恨みがあるからだ。


「そ、そういえば、八神くん。トカゲ人間の噂って知ってますか?」


 仮面ヒーローの話題を変えようとしたのか、久賀が珍しく誠司に話題を振る。


「いや、知らないけど」


「……あなた、ニュース見ないんですね」


 駄目な子供を見るかのような視線に、誠司は僅かに怒りを覚える。


 険悪な雰囲気の二人を見かねて、莉奈が代わりに答えた。


「確か、二メートル近くのトカゲ人間が現れるって噂やっけ?」


「そうです。さすが、莉奈さんですね」


 正解した子供を褒めるように、久賀が莉奈の頭を撫でる。恥ずかしそうに俯きながらも、莉奈はされるがままだった。


 その無防備な姿に、誠司は思わず嫉妬する。


(くそ、俺だってやったことねえのに)


 まあ、仮にチャンスがあっても、誠司には出来ないのだが。


 これが女子ならではのスキンシップかと、誠司は初めて自分の性別に不満を持つ。


「ていうか、いつまでも撫でてないで、続きを聞かせろよ」


 いつまでも続きそうなこのやりとりを終わらせるため、無理やり久賀の手を引き離し、誠司が続きを促す。


 至福の時間を邪魔された久賀は、殺気を全身で放ちながら、渋々話し始める。


「実は、深夜にそのトカゲに襲われた人が多数いるんですよ」


「……それ、マジなの?」


「はい。その襲われた人たちは全員こう話したそうです。『銀色のトカゲ人間に襲われた』と」


 背中に嫌な汗が出て、誠司が思わず身震いする。


「絶対に出会いたくないな、そのトカゲ」


「誠司なら大丈夫ちゃう? あんた、昔っから丈夫やったやん。うちの二階から落ちても平気やったし」


「そんなのあったか? 全然覚えてねえよ」


 莉奈の言葉を聞いて、誠司が首をかしげる。


「でも、銀色のトカゲ人間かー。ちょっと見てみたい気はする」


「どうせ見間違いか、酔っ払いの話だろ」


 誠司の反論に、莉奈が不満げに頬を膨らませる。


「ほんま夢ないな、誠司って。ニュースにもなるくらいやからおるかもしれへんやん」


「はいはい、そうですね」


 適当な返事に、莉奈がふんと鼻を鳴らしてそっぽを向く。


 しばらくたわいない会話をした後、いつもの分かれ道に着く。


「それでは、私はこれで」


「うん。また明日ね、文乃ちゃん」


 莉奈の別れの言葉に、久賀が手を振って返す。


 久賀を見送った誠司と莉奈は、再び帰り道を歩き始める。


「そういえば、お母さんは元気なん?」


「一応、元気にやってるよ。相変わらずあんまり家に帰って来ないけど」


「ふーん。じゃあ、今日晩ご飯食べに来る?」


「……ほえ?」


 予想外の展開に、誠司の口から思わず変な声が出る。


「お母ちゃんから呼んで来てって頼まれてん。入学祝いまだしてへんからって、どうする?」


「……行く」


 三年ぶりのお呼ばれに、誠司は精一杯の声で返した。




「久しぶりに食ったけど、美味かったな」


 街灯の少ない夜道を歩きながら、誠司は思わず漏らした。


 晩飯を食べてすぐに帰るつもりだった誠司は、久しぶりに会った莉奈の母と長話をしてしまった。というよりは、一方的に質問攻めにあっただけだが。


 ふと、最後にちらりと見た莉奈の部屋を思い出す。


 誠司の記憶では、小学校はぬいぐるみのクマなどがある女の子の部屋だった。だが、さすがに三年も経てば変わるだろうし、どうせ仮面ヒーローのグッズで埋もれているだろうと、予想していた。


 そんな予想は、呆気なく裏切られた。


「まさか、あんなに汚い部屋だったとはな」


 莉奈の部屋には物が散らかっていた。


 高く積み上げられた衣服によって窓は遮られ、床は漫画や教科書で埋め尽くされて足場がない。普段は使っているのか、ベッドだけは寝るための最低限の空間があった。


 想像を絶する部屋の変貌に、誠司は片付ける気すら起きなかった。本人によると、これでも片付けた方らしい。


 今度久賀も呼んで片付けをしようと、誠司は思った。


「……でも、ホント久しぶりだったな。あんな楽しい晩飯は」


 その呟きは、誰もいない夜道に響き渡った。


 誠司には、血のつながった家族はいない。物心ついた頃には、義母に孤児院から引き取られていた。


 普段は仕事が忙しいらしく、義母はいつも家に居なかった。だが、誠司は別に寂しいとは思わなかった。なぜなら、自分のために頑張っていることを理解していたからだ。


 それでも今日は楽しかった。あれが本当の家族なんだなと漠然とそう思う。


 いつかそんな家族が出来たらと考えて、


 ーー背後から突き刺すような視線。


 ゆっくりと振り返る。街灯以外は何もなく、暗闇に人の気配は感じない。


 ――確か、二メートル近くのトカゲみたいなのが現れるって噂やっけ?


 突然莉奈の言葉を思い出し、誠司が身震いする。


(気のせいだ、気のせい)


 必死にそう考えて歩き出すが、視線はまだ感じていた。


 早足で歩いても、曲がり角を曲がっても、どこに行こうと視線が追いかけているように感じる。


(違う違う違う。絶対に違う)


 そう思っていても、誠司の不安は消えない。


 帰りたくても帰れない誠司は、早足で歩く今の場所に既視感を感じた。


(確か、あそこは……)


 脳裏にある場所が思い浮かび、誠司はその場所へと走り出す。もちろん、視線もついてきた。


 目的の場所にたどり着いた誠司は、息を切らしながら見上げる。


 そこは、長年使われていない廃工場だった。昼間の寂れた姿はなく、今はぼんやりとシルエットしか見えなかった。


 四角く切り取られた大きな入口から覗くと、中は全く見えず、何も聞こえない。


 まるで深淵のようなその場所に入るのを躊躇するが、すぐに中へと入る。


 手探りで歩いていると、しばらくして暗闇に目が慣れ始めた誠司は、辺りを見渡す。


 埃が積もった床には、錆びたネジが散乱していた。天井までは体育館のような高さだった。壁際には廃材が置かれていた。


 廃材の陰に隠れながら、誠司は入口を振り返る。


 入口は誠司が通った一つしかなく、誠司が廃工場に入ってから視線は感じていない。つまり、もし本当に誰かに付けられているなら、入口からしか入れない。


 入口をじっと睨みながらしばらく待つが、誰も現れない。


(……もしかして、勘違い?)


 今更ながら、誠司はその考えに思い至る。


 確かによくよく考えてみたら、野良猫の視線だったのかもしれない。あの久賀の話を聞いて、自意識過剰になったのだ。きっとそうだ。そうに違いない。


 なんだかここで隠れているのが馬鹿らしくなった誠司は、廃材の陰から出ようとすると、入口に一つの影が現れた。


 その人物の顔は暗くてよくわからなかったが、体型から男のようだとわかった。


 酔っているかのようにフラフラとした足取りで工場に入ると、突然、何かに苦しむように声もなく蹲る。


(なんだ、あの人?)


 酔いすぎて気持ち悪くなったのかと考えた誠司が、恐る恐る詰め寄る。


 男の背中が震えているのに気づき、声をかけようとして、


 ――ゴンッ!!という音が響いた。


 視界はジェットコースターのように過ぎ去り、気がつけば、薄汚れた床に転がっていた。遅れて、全身を激痛が走る。


 そこまでして、ようやく、自分が吹き飛ばされたことに気付いた。


 何が起きたか分からない誠司は、埃で汚れた体を引きずって、入口の方へ首を動かす。


 そこにいたのは、さっきの男性――では、なかった。


 廃工場の中にある錆びた金属とは違い、暗闇の中でも輝く鋼の鱗が、背広の袖から出た腕や首元をびっしりと覆っていた。


 白い目を見開き、口からはくぐもった声が漏れる。まるで、何かに取り憑かれたかのような顔だった、


 目の前の状況に思考が追いつかずに混乱する誠司をよそに、男性は廃工場の入口へと向かう。


 男性が入口から出る直前、背中に大きな六角形の金属が埋め込まれているのが見え、誠司の意識はそこで途切れた。




 ――彼、まだ起きないのかい?


 ――もうすぐ、起きると思う。


 ――それはよかった。それにしても、愛斗と同じ学校の生徒だったとは。世間は狭いんだね。


 ――そうだな。


 耳元から声が聞こえた誠司は、底に沈んでいた意識を覚醒させる。


 目を開けると、見知らぬ二人の人物が誠司を見下ろしていた。


「のわ――ッ!」


 叫び声を上げて、誠司はその場から転げ落ちる。落ちた痛みを感じる間もなく、勢いよく二人から後退する。


「おいおい、酷いじゃないか。人の顔を見て逃げるなんて」


「普通の反応だと思うが」


 一人は、ワザとらしく口を尖らした三十代くらいの男性。白衣を着ているその姿は、まるで科学者のように見えた。


 もう一人は、誠司と同じ制服を着た、年上のように見える少年。無表情だが、男性の言葉に呆れているようだった。


 親子だとしたら全く似てないなと思いながら、誠司は口を開く。


「あの、さっきはすいませんでした。急に叫んでしまって」


「別にいい」


 少年が近づき、床に座り込む誠司に手を差し出す。少年から差し出した手を掴み、立ち上がる。


「あんたらは?」


「俺は四ノ宮愛斗。あれは、父親の宗一」


 愛斗の紹介を聞いた後、誠司は辺りを見渡す。


 そこは、一枚の鉄板を天井や床に組み合わせたような場所だった。先ほど落ちたソファー以外はほとんどなく、シートに覆われた縦長の物が一つと黒いバイクがあるだけだ。よく見れば、扉らしきものもない。


「ここ、どこなんですか?」


「父さんが持ってるトレーラーの中」


「なんで、俺はこんな所に……」


 そこまで考えて、誠司は意識を失う前を思い出す。


「そうだ、あの人は?」


「それは、これを見た方が早いと思うよ」


 宗一がそう言うと、ズボンのポケットからスマホを取り出す。


 しばらく操作して手渡すと、画面には、動画サイトに投稿されたニュースの映像。


 ニュースのアナウンサーの声を聞き流しながら、誠司は映像を食い入るように見ていた。


 そこには、誠司を襲った男性が街中を暴れる姿が映っていたからだ。


「な、なんで……」


「君にゆっくりと説明したい所だけど時間がないから、手短に言うよ」


 映像を見て唖然とする誠司に、宗一が真剣な表情になる。


「君には、あのバケモノと戦ってもらう」


「な、なに言ってるんですか! あんなバケモノ相手に戦えるわけないでしょ!」


 誠司の言葉に耳を貸さず、宗一が芝居がかったように、両手を広げる。


「分かっているよ。だけど、これは君にしか出来ないんだ」


「な、なんで……」


「君の経歴を前から調べていたんだが、」


 突然の言葉に、誠司は目を見張る。誠司の周りをゆっくりと歩きながら、宗一は尚も続ける。


「君は、六歳まで孤児院にいたよね」


「……そうらしいですけど」


「五歳の時、三階から飛び落ちた事があるね」


「……」


 誠司は全く覚えていなかった。


「それが、どうかしたんですか」


「君は落ちた後、君は何事もなかったかのように立ち上がったそうだ。心配になった職員は病院に連れて行ったが、全

く異常がなかったらしい」


「……」


「そういえば、君はさっきあの化け物に吹き飛ばされたそうだけど、体は大丈夫なのかい?」


 宗一の舐めるような視線から目をそらし、誠司は唇を噛む。


 今まで隠し続けてきた秘密を、宗一は暴いた。だが、なぜそんなことをするのか、誠司は疑問を感じる。


「あんた、一体何がしたいんだ? おれの体質のこと、何か知ってるのか?


「いや、知らない。でも、その体質と関係があるんだよ。あのバケモノは」


 誠司が宗一に訝しげな視線を送る。


 宗一は素知らぬ顔で受け流し、シートに覆われた物へ歩み寄る。


「その頑丈な体だけでは戦えないのは分かっている。だから、君にはこれを着てもらう」


 宗一がシートに覆われた物をあらわにした。


 磨かれた銀色の厳かなフォルム。ヘルメットのような顔。そして、特徴的な刃の角。


 間違いなく夢に出てきたあの鬼だった。


 あまりの驚きに、誠司は一瞬息が詰まりそうになる。


「これを君が装着して、戦うんだ」


「……なんで、俺なんだよ」


「君みたいな頑丈な人物でないと持たないんだよ、このパワードスーツ。大きさも、君のためにぴったりに調節してある」


「で、でも、俺には――」


「じゃあ、君は幼馴染の青島莉奈さんを見捨てるのか」


 宗一のその言葉が、誠司の心に突き刺さる。


「君が戦わなければ、青島莉奈さんが死ぬかもしれない。もしかしたら、もう死んでるかもしれない」


 飛びかかるように、誠司が宗一の襟を摑む。


「……俺しか、いないんだな」


「ああ、そうだよ」


 自分の体質について知っている宗一の事は、まだ信用できない。だが、莉奈を見殺しするのは誠司には出来なかった。


「あんたらの望み通り、『ヒーロー』になってやるよ」


 誠司の言葉に、宗一は満足そうに笑みを浮かべた。




「あの、まだなんですか?」


「あと少し。もう少し待て」


 乗り捨てられた車の列の横をバイクですり抜けて、愛斗がヘルメットの下からくぐもった声を返す。


 まだ着かないことを焦りながら、バイクの後ろから見渡す。辺りには全く人気がなかった。


 まるでゴーストタウンだなと思いながら、ふと、バイクのミラーに二人の人物が映る。


 黒いバイクに乗ったライダー男と、後ろに乗る鬼のヘルメット男。もちろん、後者は誠司だ。


 宗一の言う通りにパワードスーツを装着した誠司は、トレーラーで現場まで送ってもらうはずだったのだが、渋滞に引っかかってしまったのだ。ニュースを見て、車を乗り捨てた人が原因らしい。


 なので、愛斗のバイクに乗って向かうことになったのだ。


 こんな怪しい人物二人がいたら絶対職質されるだろうなと思いつつ、誠司は愛斗に聞こえるように大声で尋ねる。


「一つ質問があるんですけど、今日俺の後をつけてました?」


「ああ。お前には、いずれ接触するつもりだったから」


 そう言われて、誠司はやっぱりかと納得する。


 やっぱり久賀のせいだと、心中で文句を言う。


 ――瞬間、近くの建物が轟音とともに崩れ落ちた。


 道路に残された車に崩れ落ちたコンクリートが突き刺さり、愛斗が急ブレーキをかける。急停止した勢いそのままに、誠司が愛斗の背中にぶつかる。


「相手の方から来たぞ」


「……そうですね」


 愛斗の背中越しに、誠司が前を見る。


 崩れた建物の周りには砂塵が巻き起こる。何かを踏み砕く音とともに、中から現れたのは、誠司が見た男性ではなく、一回りも大きな銀色の『トカゲ人間』。


 爬虫類のようにぎょろりとした目。鋭く尖った牙に、顔全体を覆う鉄の鱗の頭部は、まさしく、トカゲだった。男の腕は丸太のように太くなっていて、化している。一回り大きく見えたのは、どうやら気のせいではなかったようだ。


 鬼のヘルメットの裏で、誠司は思わず息を呑む。自分が襲われた記憶が鮮明に蘇る。


 指先が僅かに震える。


 もし、自分があのバケモノと戦わなければ、久賀も莉奈も死ぬかもしれない。それなのに、全く動ける気がしない。


 今すぐに逃げ出したい気持ちが、誠司の頭を埋め尽くす。


「倒し方は?」


 いつの間にかヘルメットを外した愛斗の声で、誠司は我に返る。


「え?」


「バケモノの倒し方」


 愛斗の無機質な声に、誠司は宗一の言葉を慌てて思い出す。


「確か、背中にある六角形の金属を破壊するんだと聞きましたけど」


「つまり、そこを叩けば終わりだ」


「そうですけど、簡単には……」


「だったら、逃げるか?」


 愛斗の鋭い言葉に、誠司は委縮する。


 バイクから降りろと、愛斗が首を動かす。もたつきながら、誠司はバイクから降りる。


「お前が逃げても、誰もお前を責めない。誰にも手におえないからな」


「で、でも、街の人たちが」


「お前は他人の為に戦うのか? 違うだろ」


 愛斗が振り返る。刃のように鋭い視線が、誠司を貫く。


「大事な人を守る為に戦うんだろ。だったら、ビビってる暇なんかないんじゃないのか」


 誠司は思わず手を握りしめる。恐怖は完全に消えていた。


(そうだ。俺にはビビってる暇はないんだ。今行かなきゃ、莉奈を守れないんだ。)


「ありがとうございます。愛斗さん」


「別に。俺も、お前が戦わなければ、困るからな」


「分かってますって。じゃあ、行ってきます」


「了解」


 僅かに笑みを浮かべて親指を立てる愛斗に、誠司も親指を立てる。


 『トカゲ』に気付かれないように、誠司は車に隠れながら接近する。


 崩れた建物から出た『トカゲ』は、道路に降り立つと、車を押し退けて鈍重な動きで道路を横断していた。重量感を肌でも感じ取れるほど近づき、誠司は改めてその姿を見る。


 近くで見ると、完全に男性の姿が見られなかった。


(もしかして、このままだと怪獣になるんじゃ)


 そんな不安を感じつつ、誠司は気合の声を上げて、バケモノに突っ込む。


「とりゃあ――ッ!」


 弾丸のようにまっすぐに走り、全身に力を込めて『トカゲ』に突進する。


 鈍い音とともに、全身に衝撃が走る。『トカゲ』の巨体が呆気なく車へと吹き飛ぶ。


 すげえ。これだったら、本当に倒せるかもしれない。


 かなりの手応えに僅かに希望を持ち始めた時、全身を震わすほどの叫びで我に返る。いつの間にか立ち上がった『トカゲ』が、誠司を叩き潰す為に腕を振り上げる。


 咄嗟に後ろへと跳ぶと、目の前に振り下ろされた腕が轟音と共に道路を砕く。コンクリートの破片と風圧を装甲でバランスを崩して、誠司は後ろへ転がる。


 『トカゲ』がもう一度腕を上げたのを見て、急いで車の陰に隠れて移動する。『トカゲ』を中心に背後へ回る。背中には、見覚えのある大きな六角形があった。


(ここを壊せば)


 車の間を縫うように接近すると、『トカゲ』が後ろを振り返りながら両腕を横へ振るう。突然の動きに驚く誠司の頭上を、両腕が過ぎ去り、真横の車を吹き飛ばす。


 慌てた誠司が、『トカゲ』から転げるように離れる。


 息を切らしつつ、『トカゲ』から視線を外さないようにしながら、誠司は頭の中で情報をまとめる。


 最初に見た時より、『トカゲ』の動きは遅い。たぶん、体が大きくなったからだろう。


 素人の誠司が見てから回避できる程なのだから、気を抜かなければ当たることはない。太い腕を振るうだけの単純な攻撃も、理由の一つだが。


 ただ一つ問題なのは、どうやって背中に接近するかだ。


 さすがに、身体の近くまでいると攻撃を回避するのは難しい。実際に、さっきの両腕の攻撃が数センチ下だったら、最初に会った時の二の舞になるところだった。


 そこまで考えて、誠司は一つの策を思いつく。


「……やってみるか」


 覚悟を決めた誠司は、『トカゲ』を見据える。『トカゲ』は誠司を警戒しているのか、全く動こうとしなかった。


 お互いが睨みあう中、瓦礫が崩れる音が響く。それを合図に、誠司が『トカゲ』へと一直線に駆ける。


 唸りを上げた『トカゲ』が、再度、腕を振り上げる。


 距離が段々と縮まり、誠司が目の前まで迫ると、『トカゲ』は腕を振り下ろす。その瞬間、誠司は僅かに横へと動く。


 横を太い腕が通り過ぎ、走行を叩きつける風圧を受けながら、誠司が『トカゲ』の足をがっちりと掴む。そして、精一杯の力で足を持ち上げて、体のバランスを崩し、前のめりに道路に倒れる。


 うつむけで倒れた『トカゲ』の大きな背中に飛び乗ると、誠司は六角形の金属を何度も何度も殴りつける。


 徐々にひび割れが広がり、『トカゲ』が必死に誠司をつかもうと腕を伸ばす。


「これで、最後!」


 誠司の大きく振りかぶった一撃で、鏡を床に落としたように六角形の金属が割れる。


 それと同時に、『トカゲ』の鱗が砂のように消える。後には、男性が残っただけだった。


 どっと疲れが押し寄せた誠司は、道路に背中から倒れこむ。


 星が散りばめられた空が、息を切らした誠司を優しく照らしていた。




 翌日の朝。


 誠司は学校への道のりを一人歩いていた。


 昨日、『トカゲ』を倒して疲れ切った誠司は、愛斗のバイクに乗り、トレーラーへと戻る。そして、鬼の鎧を取り外すと、すぐに誠司は家に帰された。


 結局、『トカゲ』の正体を宗一の口から聞くことはなかった。


 だが、今の誠司にはそれよりも気になることがあった。あの鬼の鎧の事だ。


 鬼の鎧を誠司は見たことがないはずなのに、なぜか夢に出てきた。しかも、その夢で見た物が現実に現れたのだ。


 もしかしたら、あの鬼の鎧も『トカゲ』と何か関係があるのかもしれないと誠司は予想していた。


 学校へと着いて、玄関で靴を履き替える。


「おーい」


 声が聞こえた方へ振り向くと、莉奈が走っていた。


 これからどうなるのかは分からないが、この平穏な日常を守りたいと誠司は思った。




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