天国へようこそ
死は存在しない。生きる世界が変わるだけだ。
~ドゥワミッシュ族の格言~
目を覚ますとそこは緑一面の草原で丘の上であった。起き上がり身辺から確認を始める。衣服は自分の趣味ではない白装束。何故ここにいるのか思い出そうとしても思い出せない。
「ちょっと君」
後ろから声を掛けられ振り返る。
「君はここにある天国行きの気球へ乗るか」
頭を禿げ散らかし、翼の生えた五十路を超えているようにしか見えないおっさんがそんな問いを少年へと投げる。
「自分が死んだことは分かってはいるよ。それでここは、俺はどこにいるんだ」
少年は翼の生えた中年へ強い口調で問い返す。
「知らないのかな、人間は三途の川を渡ってあっち側に行くんだ」
「あいにく無宗派だったもので」
「宗教なんて死んでしまったもはや意味なんてないよ。死んだらみんな一緒さ」
「だったらなんで三途の川なんて仏教的なものがあるんだ」
天国は仏教の教えだったか。形だけでも信仰するべきだったな。
「いやーそこは個々の創造力とか妄想力の問題なのだけど、シガン君は日本人らしいから日本人向けの説明しただけなのだ」
「結局のところ俺はこれに乗っていけばいいってことだな。それとなんでお前は俺の名前を知っているんだ。」
「死んでからここに来るまでの間に確認されているのだ。胸ポケットに名札だって入っているでしょ」
胸ポケットには名前だけ書かれた簡素な名札があった。先ほどは焦っていたのか見落としてしまった。
「あとこの気球に乗るかどうかは君が決めることだ。悪いことをしていれば地獄に落ちるし、良ければ天国へといける。自信があるなら乗ればいいよ」
ある意味人生最大の選択である。死んでいるから死後最大の選択の方が正しいが。
この胡散臭い者に一つ質問を投げつける。
「地獄ってどんなところだよ」
「あれなんだかんだ乗り気だね。地獄は辛い所だよ。常に辛いという訳でもないけど」
「地獄というのに辛くない時もあったりするんだな」
「飴と鞭みたいなものだよ。辛いことばかり行い続けたらただの日常。何も感じないからね。半々ぐらいがいいのさ」
地獄なんて苦痛なことを延々とするものだと思っていたが、どうやらイメージとは違うらしい。
「それでシガン君。君は乗るかい?自信があれば乗ればいい。」
「俺は何だかんだ清く正しく生きていきたさ。乗って天国にでも行ってやるさ。」
柄でもなく自身満々と言い切る。
「そうかい。君が選んだ選択だ。僕は何も言わない。さっさと乗れ。」
おっさんは寂しそうな表情をしていたがある意味別れであるからだろう。
気球を乗り込み、五つほどあるおもりを一つずつ外していく。
「色々ありがとうございます」
「そんなことはない。ここはここらで一番高い所だから見る物は沢山あると思うよ」
「そうですか。景色にも注目して見てみます。」
再度、おっさんに感謝の気持ちを告げ、気球は空へと旅立つ。
気球は高度を上げ、風に乗り進んでいく。
この下も草原は続いているようで緑色一色と言ってよい。
落ち着いてきたためか、不安定だった記憶が鮮明になる。青年は気球が雲の上に出たとき、ふと思った。
俺そんな良い事ばかりやっていたか。
それなりの生活を送って生きて、誰にも頼られず一人っきりで笑った。
それなりな楽しみを持って生きて、人の不幸を陰で笑った。
それなりに頼られたら協力して生きて、友達だった子をいじめて笑った。
何が清く正しくやってきたとか堂々と言って馬鹿じゃないのか。
気球はゆっくりと降下し始めている。
今までは雲と平行に進んでいた気球は、天を見上げなければ雲は見えなくなっている。
これから何が起こるか分からない恐怖に彼はゴンドラの底に尻餅をつく。
「何が正しかったのか分かりません」
泣き言をいう間にも気球は下がり続けていく。
そんな中、彼は笑った。
シガンが飛び立った場所から見送ったおっさんは双眼鏡から手を放す。
「みんな、どうして気づけないのかな。生きていることが一番辛いことだって。」
おっさんはため息交じりに呟く。
「生きていれば死があるし、老いもある。辛いことの方が沢山あるのに生きることに希望ばかり見出そうとするのだから救いようがないよ。」
おっさんはキセルを取り出し吸い出す。口から洩れる煙が空に消える。
「僕だってなんだかんだヒント出しているんだから気づいてほしいよ。死後の世界で高い場所って言ったら天国でしょ。普通に考えたら。生きることは地獄、生き地獄って言葉もあるのに。」
紫煙を吐き続けながらおっさんは考えをめぐらす。
「人は誰しも天国へ行けるというのに残るという奴は少ないのだよな。
寧ろ自らが悪行を行ったという自覚がある方が正直な分まだ可愛げがあるというか。死んでからも嘘をつかないといけない人は大変だね。自分の中で醜く疾しい獣を飼っているのだからね。」
「彼がそれなりに幸せに生きられることをそれなりに祈ってはおこう」
手を合わせて会釈程度の礼をした。
感傷に浸っている間もなく草原には新たな死者が横たわっている。
「おや、またここに死者が運ばれたようだ。
君はどちらを選ぶかな。辛いこともないもない天国 か、醜いモノと戦い続ける地獄か。
まあ、どちらにしろ。天国へようこそ」
お題『気球』でした。
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