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旅立ち

 まだ早朝の冷たい空気が漂う中だが、市場はすでに熱気で溢れていた。

稲穂は祖母のおかげで朝の早いのには慣れていたが、今日1日過ごせばタムが旅立ってしまうと思っていたから、どんよりした気分だった。けれど、一昨日の夜 からタムには世話になりっぱなしだ。ここで離れたくないとぐずっていては迷惑をかけるのはわかっていたから、言いはしなかった。それでも彼はきっとわかっているのだろう。

「朝飯は何がいい?たいていのもんは屋台で食えるぞ」

 今いる広場の中心からぐるりと周辺を見回すと、 恰幅のいい中年女性が元気に声を張り上げている屋台が多い。お店は食べ歩きのできるような食べ物を扱っているところがほとんどだが、布や織物を扱っているところも同じくらいくらい目に付く。

「うーん、ワタリ、お前その格好は目立つな」

 確かに制服のままの稲穂は少々浮いていた。タムが山小屋を下りる時に羽織らせてくれたマントを羽織っていたから、まだましだが膝まであるスカートまでは隠しきれない。タムは少し待ってろ、と言い置くと目に見える範囲にある屋台に近づき、店主の女と二言三言交わすと服と靴を買ってきた。

「ほら、カズカ……この辺りの女の服だ。そうだな、そこの民家を借りるか」

 広場に面した適当な民家を訪ねると、タムは少しの金を握らせて稲穂を着替えさせてくれるよう頼んだ。亭主の留守を預かっていた女は快く了承し、ふたりに果汁を飲ませてまでくれた。

「へえ。いいんじゃないか」

 着方がわからなかったので、なんとなくで着てみたのだがどうやら合っていたらしい。

 上はふんわりしたデザインになっているが、スカートは紐で留めるらしく、きつめに巻かないとずり落ちてしまう。そこで稲穂はいつもバスタオルを留める時みたいにくるくると布と紐を絡めて巻き込むようにしてみた。ぴょんぴょん飛び跳ねてもこれなら大丈夫そうだ。スカートは色も柄も違う布を何枚も重ねていて、3段重ね になっている。女たちは色の重ね具合でおしゃれを楽しむのだろうか。そういうところは着物の文化に通ずるものがあるかもしれない。靴は地球でもよく見る、 膝下までの茶色い革のブーツだった。紐をきつく縛っておけば、かぱかぱしない。サイズはぴったりだった。

 制服は家を貸してくれた女がくれた籠に入れて持ち歩くことにした。重かったし、かさばるので邪魔ではあったが、手放す気にはなれなかった。

「ほらよ。これも被りな」

 黒髪はマントのフードを被れば問題ない、と思っていたらタムはちゃっかり帽子も買っていたらしい。糸で編んだベレー帽のような形だ。

「ありがとう」

 稲穂は普段着ない服を着て少し楽しくなってきた。さっきまでの沈んだ気分はどこへやら、肩までのセミロングの髪を手早くまとめると水泳帽を被る手際で帽子の中へ髪を入れ込んだ。

「おう、そうするとすっかり馴染むな」

「ふふ、似合う?」

「かわいいよ」

 タムの口からさらりと「かわいい」なんて飛び出てくるとは思わず、稲穂は顔を赤らめる。気づかれるのは恥ずかしかったので、その場でくるっと一回りしてスカートを舞い上がらせ、感触を確かめるふりをしてごまかした。

「……なかなか食えないのね、あなた」

「お前よりは世渡り慣れしているだけさ」

 だがしかし、稲穂のごまかしもお見通しらしい。ふふん、と笑ってタムは歩き出した。稲穂は「女慣れしてるだけじゃないの!」と言いたくなったが、言わないでおいた。

「腹減ったな。バムでも食うか?」

 なにそれ、と首を傾げるとタムは肩をすくめ、とりあえず食べてみろよと買ってきて手渡してくれた。湯気が立っていて温かい。

 見た目は黒くて丸い。大きさは稲穂の手のひらくらい。焦げを思わせるので少々かじりつくのに抵抗があり、しばらく見ているとタムが手本を見せる、と指さして合図した。

 どうやら黒いのは皮で、食べないようだ。ぺりぺり、と剥くとそのまま地面に捨てる。皮はあっという間に鳥が群がって持っていってしまった。中からはほっくりと黄色い実が顔を覗かせる。タムはそのままかじりついて、「あちっ」と小さく悲鳴をあげた。それを見て笑いながら稲穂も同じように皮を剥き、一口食べてみる。

「ほいひいね」

 熱さで口をもごもごさせながら笑うと、タムも「だろう?」と得意顔になって食べるのを再開した。

 焼き芋のような色をしているが、食感はもちもちで焼きたてのパンのよう。甘くて優しい味がする。

「これはなぁ、ホキの実とエチブの実を挽いて粉にしたものをベーの乳でまとめて、ベーの卵黄を塗って焼いたもの。バムはアッカ名物だな」

 タムが語ってくれる解説に「へえ」と頷きながら、改めて周りを見回す。市場は人が多くなってきたようだ。日も少しずつ高くなりつつあり、暖かくなってきた。

 タムは稲穂を街のあちこちにある観光名所に連れて行った。街が一望できる時計塔だったり、花が一面に咲き誇る丘だったり、名物の染織物が染め終わってたくさん干されている場所だったり。アッカの街はそこまで大きな街ではないが、観光客で賑わうのだとタムが教えてくれた。

「そろそろ昼飯にするか」

 時計塔の巨大な針は12を指している。が、地球と違うところは12の数字が真上ではないところだ。1日が24時間というのは同じだが、時計の文字盤は0から24まで、25の数字が刻まれている。細かな時間はあまり気にしないらしい。だから針も極太のものが一本しかない。分単位がないのだ。わずかにあと少しで何時だとかがわかる程度である。

だから稲穂にとっては多少違和感がするものの、このお腹の空き具合は確かにお昼だと納得した。

「最初の広場に戻るか。あそこが一番うまくて安くていろいろある」

 お祭りのような食べ歩きは嫌いではなかったから、稲穂も賛成して歩き出すと、突然タムが立ち止まった。

「わっ、なに?」

 タムの後ろを歩いていたので、背中にぶつかりそうになった。

「目が合っちまった。走るぞ」

 タムは稲穂の手を引いて来た道を走って戻り出した。

「はあ!?」

 走りながら後ろを振り返ると、3人の男に追いかけられている。1人、立ち止まってなにやら機械に向かって喋り出した。全員同じ服を着ている。地球の感覚が正しいのならば、彼らは。

「軍?」

 若干違いはあれど、軍隊の制服に似ている。

「よくわかったな!」

「なんで!?」

 どうやら合っていたらしい。追われている理由を問うたが、今はそれどころではない。ただひたすら走った。

 軍と女の足ではすぐ追いつかれそうなものだったが、タムに地の利があった。細い路地裏をくねくねと曲がっていくと、やがて撒いたのか追いかけてこなくなる。

「なんなの?」

 息切れしながらもようやく問いかけると、今度は答えが返ってきた。タムは黙って近くの壁を指さす。

 そこには随分古ぼけた貼り紙がしてあった。風雨にさらされ、長いことそこにあったようだ。文字も絵もかすれていたが、まだ辛うじて読み取りが可能だ。字のほうは、見慣れない字だったが、なんとなく意味はわかる。

「……タム?」

 描かれていた絵はタム、そして字が示した意味は「重要指名手配犯」。

「そう、おれのことだよ」

 指名手配の貼り紙に描かれた絵より、幾分か髪はぼさぼさ、服装も随分くたびれたなりではあったけれど、それでも特徴は一致している。目の前にいるこの男は紛れもない、指名手配犯だったから。

「…………臆したか?」

 口の端を持ち上げて不敵に笑う彼に、稲穂は鼻息を荒く吐き出してから「まさか!」と威勢良く言う。

 タムは驚いた顔をして、怪訝そうに首を傾げた。

「変なやつだな。例えばおれが人殺しだったらどうするんだよ。お前を殺すかもしれんだろう?」

 タムに合わせて稲穂も首を傾げて、にっこりと笑ってみせた。

「あなたがなにをしたにせよ、これからなにをするにせよ、わたしはそれでいいと思う。もちろん殺されてはやらないけれど。わたしは、いきなり目の前に現れた変な女の子を世話してくれるあなたのことが気に入ったの。だから別にいい」

 地球でも変な子、と言われた。少し思い出したが、苦笑するのは頭の中だけに留めておいた。

 タムは唖然としているのか、呆然としているのか判断できなかったが、とにかく固まっていた。

「……そんなに変なことを言った?」

 すまし顔で尋ねると、彼はふっと笑みをこぼし、「いいや?」とどこか満足気に言った。

 それからはお昼も取らず、辺りを憚りながらも急いで宿り木に戻った。予想よりだいぶ早い戻りに、それでもマスターは大方の見当はついたらしい。すぐに目隠しとしてブラインドを下げてくれた。

「マスター、おれこいつ連れていくよ」

 お昼ごはんを作ってくれているマスターの手が止まる。どうやら炒めご飯らしい。華麗なフライパン捌きが途中で止まってしまったのは惜しかったが、稲穂もそれどころではない。タムがこの街を出てしまう、と思い出してすっかり元通り意気消沈していたところにこの台詞だ。勢い良くタムを見やると、彼はいたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 稲穂はそれを見て確信する。彼は、相当の、食わせ者だ。まったく油断がならない。あの今朝の落ち込んだ気持ちを返せとばかりに稲穂は頬を膨らませた。でもやっぱり嬉しい気持ちが勝ってにやけてしまうのはどうにもならない。

「タム、お前さんね、どういうことかわかって言ってんのかい」

 マスターは渋い顔をしているが、話しながらも炒めご飯をお皿に盛り付けて目の前に出してくれる。チャーハンよりはしっとりしているから、ケチャップライスのようなものだろうか。マスターは更にカウンターの内側からお玉一杯分のスープをそれぞれ炒めご飯の上にかけ、スプーンを置いてくれた。だが、今は食べられるような雰囲気ではないし、稲穂もまた、そわそわしてそれどころではなかった。

「わかってるよ。だから最初はあんたに預けるつもりだったろう」

「あのねぇ。その様子じゃまた軍に嗅ぎつけられたんだろう?この子を巻き込む気かい」

 タムは肩を竦めて、稲穂を指し示した。

「じゃあこいつに聞いてみればいい。おれはどっちでも構わない。まあ来てくれれば退屈はしなさそうだというだけで」

 いきなり発言権を譲られた稲穂はきょときょとしながら、マスターをちらりと見た。まあいってごらんよ、と優しい目がそう言っていたので(でもこの時点で彼はきっと稲穂の言うことをわかっていて、観念していただろうと思う)、稲穂は遠慮がちに、それでも力強く言い切った。

「わたしは、タムと一緒に行きます」

 マスターは肩をすくめはしたものの、もう止めはしなかった。香草茶をカップに注ぎながら諦めたように溜め息をついて、「君の望むようにしなさい」と穏やかに笑ってくれる。

 出発は翌日の朝早くだった。早朝のきりりとした空気に胸がちくりと痛むことすら心地が良い。

「気を付けて、居場所がなくなりそうになったらいつでも戻ってきなさい」

 いつ見てもきちんと整えられた身なりをしているマスターは、日も昇らぬうちの見送りでも着崩したところがない。はい、と頷いて稲穂は深くお辞儀をする。優しい、いい人だ。この人の好意に甘えてこのお店で過ごせたらきっと楽しいだろう。でも稲穂が今、側にいたいのはタムなのだった。

「ありがとうございます。短い間でしたけど、お世話になりました」

「助かったぜ、マスター。そのうちまた顔を出すよ」

 タムの「そのうち」は信用ならない、とぶつくさ呟くマスターにタムは苦笑しながら背を向ける。稲穂ももう一度軽く頭を下げて歩き出そうとした時、マスターが初めて名を呼んだ。

「ワタリ」

 この世界でタム以外に名を呼ばれるのは初めてだな、なんて思いながら「はい」と返事をする。

「いってらっしゃい。この旅路が君にとって幸いとなるように」

 彼の優しさに少し泣きそうになる。一昨日会ったばかりだ。それでも人の優しさはこんなにも心に響く。稲穂はもう一度頭を下げて今度こそ、少し先で待っているタムの後を追いかけて歩き出した。


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