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魔女のいたずら

その夜は人生で一番悲しい夜だった。最愛の祖母が亡くなり、看取ることすらできず、悔しくて悲しくて涙が止まらなかった。世界最後の魔女と呼ばれた祖母は、親戚の誰からも好かれず、忌み嫌われ、静かに、ひっそりとたった一人で息を引き取った。どうして自分が側にいてあげられなかったのだろう、と少女は自分を責めながら祖母を思って泣き続けた。

けれども、どんなに悲しくて心が塞いでいても、いや、だからこそ、体は休息を求める。少女は夜明け間近になってからようやく、泣き疲れて昨日まで祖母が寝ていたベッドで眠りについた。

祖母の匂いが鼻をかすめ、まるで朝起こしに来てくれた時のように撫でられているよう。いつも陽の光に当てられていたシーツと毛布はふかふかで、今はただおやすみ、そんな声が聞こえてくるよう。

眠りについた時は確かにそんな優しい雰囲気に包まれていたはずだった。ところが、寝始めてから数時間後その雰囲気はまったく正反対のものに変わっていた。

シーツはごわごわ、掛け布団は薄い布一枚。もちろん祖母の匂いなんてなく、どころかカビ臭い匂いがする。寒さに耐えかねてまぶたを開けると、見覚えのない空間。狭くてじめじめしていて、寒くて、祖母の部屋とは大違い。

「ここ……どこ?」

むくりと起き上がりながら呟いたちょうどその時、部屋の扉が開いた。外からの冷たい風がびゅうっと入ってきて、寒い空間がさらに寒くなった。

扉を開けた主はノブを握ったまま、ベッドの上の少女を見て驚いたように固まる。

「…………あんた、誰だ?」

ようやく発せられた一言は固く、警戒の色が色濃く表れていた。

「…………あっ、う」

少女は心底びっくりして、声を詰まらせていると、再び男が同じ質問を問いかけた。

「もう一度だけ聞いてやる。あんた誰だ?」

男の威圧感に怯えながら、やっとのことで自分の名を口にする。

「……渡稲穂」

「ワタリ?聞いたことない名前だな。なぜこの家にいた?」

はて、と少女、稲穂は考える。なぜ、とそう問われても答える術を持っていないからだ。稲穂自身にもわかっていないのだから。

「わたし、寝る前までは確かにユキコさんのベッドにいたはずなの。こんなゴワゴワじゃなくてふわふわしてて、お日様のいい匂いがするベッド」

稲穂はおばあちゃんのことを、敬意を込めてユキコさんと呼んでいた。両親はおばあちゃんと呼びなさいと言っていたが、祖母本人は気にしていなかったし、これが稲穂の敬意の形だったからだ。

「ゴワゴワで悪かったな。で、ユキコって誰だ。おれの名前じゃないぞ」

「当たり前じゃない。わたしのおばあちゃんのことよ」

「それがなんでここにいる。夢遊病か?はたまた瞬間移動の魔法でも使ったか?」

信じた様子のない男に、けれど稲穂には男の言った言葉が引っかかった。

「魔法……。そうかもしれない。ねぇ、ここはどこ?お隣の県?それとも別の国にまで行っちゃった?」

「は?自分の今いる場所も知らないのか。ハルカチザのテムカラ山だよ」

稲穂の頭の中にはすぐさま世界地図が広げられたが、あいにくと該当する国はなく、お手上げだった。もう一度男に説明を求める。

「そのハルカチザってのはどこの国の近くなの?アメリカ?インド?イギリス?」

「なんだ、そのアメリカとやらは。まあ、ハルカチザはイムナクの隣にある国だよ。学校で習わなかったかい、お嬢さん」

「そんな国聞いたこともない。あなたこそ、アメリカを知らないの?」

「おれは大抵の国の名前くらいは知ってるけど、そんなのは聞いたこともないね。さっきからあんたからは聞いたこともない単語ばかり飛び出してくるよ」

少しばかり話していると、男は稲穂に危険がないと判断したのか戸を閉めて家の中に入ってきた。暖炉に火を入れ、お湯を沸かし始めると、自分は椅子にどっかりと座る。

「ちょっと待ってよ、でも言語が通じてる。わたし、自慢じゃないけど英語も話せないの。日本語だけ。あなたは少し、ううん、だいぶ日本人らしくないけど、日本語が話せるのね」

「ニホンという国は知らないよ。あんたがナルック統一言語を使ってるんだろう」

「………………ここは地球、だよね?」

さすがに話が噛み合わなさすぎだと感じた稲穂は確認した。魔法ったってそんなまさか、と。いくら祖母が魔女だったからって。けれど、そんな稲穂の期待をも男は打ち砕いた。

「チキュウ?なんだそれ。それも国の名前か?」

「嘘でしょ、ユキコさん……」

稲穂はよく映画の中でアメリカ人がやるポーズをしたが、それはけして真似をしたわけではなく、自然にそうなってしまったのだ……オーマイゴッド!


男は悪い人ではないようだ。むしろいい人だと思われる。そう判断した稲穂はひとまず胸を撫で下ろした。もし稲穂の推測と……そして祖母の魔女としての腕が確かならばここは異世界ということになる。見知らぬ世界で最初に会う人物が悪い人だったら大変だ。とりあえず警戒する必要はないようだ。

「つまり?なんだ、お前のばあちゃんが魔女で?ベッドにまじないをかけてたということか」

「たぶん。ユキコさんはあの林檎の木のベッドをことのほか大切にしていたし、お気に入りだったみたい。自分が死んだらわたしに譲るって約束もしてたから処分されたくなかったんだと思う。だからなにかしらの魔法をかけていても不思議じゃない」

「ふぅん。魔法ねぇ……」

「……………………」

稲穂はこのような反応には慣れていた。むしろこの男の反応は良心的ともいえる。友達に言ってみたこともあるが、ひどい時には笑われたり、引かれたりするものだったからだ。どちらにせよ、それ以降はあまり無闇に言わないようにしてきた。

「まぁ、信じはしねぇけど、否定もしないな」

だから男のそういう反応は初めて見る反応だった。

「へえ……」

「なんだよ」

「ううん、なんでもない。名前はなんていうの?」

そこで男は初めて自己紹介をしていなかったことに気づいたらしい。

「おっと、悪いな。おれはタムってんだ」

彼は沸いたお湯をふたつの湯のみに入れてテーブルに出しながら、ちらりと稲穂を見やった。薬缶を暖炉から下ろして、今度はスープの入った鍋を暖炉にかける。

「さっきも言ったけど、わたしは渡稲穂。地球っていう世界から来た、らしい」

「随分自信なさげな自己紹介だな」

「だって、まだ確たる証拠はないし」

稲穂自身、戸惑っていた。これが稲穂ではなかったら、稲穂でない地球の誰かほかの人だったら、きっともっと混乱して慌てふためいていたに違いない。稲穂が戸惑ってはいるものの、とりあえず落ち着いていられるのも全て祖母の存在のおかげだった。世界最後の魔女は最後に孫娘に盛大ないたずらを施したらしい。

「どうやって帰ったらいいのかもわからない」

「ふむ。寝てたらいつの間にかおれのベッドにいたんだろう?もう一回寝れば帰れるんじゃないのか」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。なにしろ、ユキコさんはおまじないめいたことしか教えてくれなかったから」

「じゃあもし、おまえが明日の朝まだ残っていたら街を見せてやろうか。帰り方を調べるのはそれからでも遅くないだろう」

「街?街があるの?」

「そりゃああるさ。ここはアルファゼトっていう世界で、みっつの大陸が存在する。世界最大の大陸であるナルック大陸。この大陸は王都フルート地方を頭に、11の地方、または国に分かれている。ここは大陸東側に位置するハルカチザって国のテムカラ山脈。この山を西に降りればアッカ。山脈を南側に降りればイムナク。そうやって世界はつながってる。国と国、街と街。世界ってのはそういうもんさ」

「そうか。そうだよね。あなたはいつもなんていう街に行くの?」

「アッカだ。山を降りるときはいつもそこに行く」

そう言うと、タムは数少ない家具のひとつ、ベット脇の引き出しから古ぼけた紙を取り出してきた。

「だいぶ古い地図だが、今とあんまり変わらないはずだ。……ほら、ここがハルカチザ。アッカ、イムナク」

なるほど、確かにタムが言ったようにこの世界、アルファゼトにはたくさんの国、街があるようだ。ハルカチザは世界地図の、ほんの一部に過ぎなかった。

「ここがさっき説明した……世界の中心と言われるフルート。世界全てをまとめる聖女王がいるところだ」

自分が知らない知識を得るのは楽しい。好奇心旺盛な稲穂はこの世界についてあれこれ聞いた。

「ほかにはなんていう国があるの?」

「フルート地方、ハルカチザは説明した通り。ナルック大陸は四地方七国に分かれる。フルート地方、ノーナ海地方、ナルック西地方、ハーフォール砂漠地方。それから、ハルカチザ、リム、ラスク、ルアン、オージュ、ロク、ソックの七国。もっとも、ナルック西地方は反王政派の集まる無法地帯と化しているがな」

など、ほかにもまだまだ聞いて、しまいにはとうとうタムに呆れられて「メシにしようぜ」とストップがかかるほどであった。

「もしおまえがまだいたら、明日は早く出るからな。山を降りるからよく寝ろよ。ほら、ベッドのシーツは変えといたから」

狭い食卓でスープとパンを食べ終わると、タムは早速寝る準備に取りかかっている。お世話になってしまうから、と稲穂が皿洗いを申し出ても、食器の数が少なかったためすぐにタムに洗われてしまった。

「あれ、ちょっと待ってよ。わたしがベッドを使っちゃったらあなたはどこで寝るの?」

「床に決まってるだろ。大丈夫、山で寝るよりマシだ」

「でも、ただでさえ、ご飯もご馳走になっちゃったんだし」

「まったくだ。だからごちゃごちゃ言わないでおとなしくベッドで寝てくれ」

ほら寝た寝た、とタムに赤子を寝かしつけるように言われては稲穂もむすっとしながらも言われたとおりにするしかなかった。ここで揉めても彼は自分の言ったことを曲げはしないだろうし、早く寝た方がいいのは確かだったからだ。

「おやすみなさい」

「ああ、おやすみ、ワタリ」

彼がろうそくに息を吹きかけて、部屋が真っ暗になった後、稲穂はしばらく、大変なことになっちゃったなぁ、とか、彼の中ではわたしはワタリになったらしい、とか、果たしてこれで本当に帰れるのだろうか、とかいろいろなことが頭の中を駆け巡って眠れなかった。稲穂の勘は、本当に勘でしかなかったが、帰れなさそうだと告げていた。それでも、いつのまにか眠りに落ちていたらしい。タムより早く寝息をたて始めていた。

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