表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Night-night  作者: スガリ
第2話 ノストラダムスを悪魔は知らない
9/32

4

 次の土曜日、千歳は都内のある小さな区立図書館に来ていた。リヤンの運転で幾つかの県境を越えてきたのだ。前日の夕食を摂った後に窈に見送られて出てきたという形であるため、勿論昨夜の寝床は車のシートである。身体の関節が少しばかり痛い。

 肩の関節をこきこきと鳴らしながら、千歳は館内へと入っていく。暖められた空気が、むき出しの頬に優しい。マフラーを外し、コートを脱いでカウンターへと向かう。四十代ほどの男性が笑顔を作って立ち上がった。

「返却ですか?」

 頷いて、本の代わりに例の《獏》が刻まれたプレートを見せる。

 男性は一瞬真顔になってじっくりそれを検分した後、カウンターを出て、「こちらへどうぞ」と歩き出した。戻ってきた笑顔に戸惑いながら、その後ろに大人しくついていく。

 『今月の新刊』『おすすめ』などの札が掛けられた本棚、『ビデオ/DVDコーナー』『禁煙』などと書かれた、天井からぶら下がる札を横目に見ながら、奥へ奥へと進んでいく。まばらな人影が絶えかけた頃、『関係者以外立ち入り禁止』とのプレートが張られたダークグレーの扉が現れた。男性はそこで立ち止まり扉を開けると、千歳に入るよう促した。背後で扉が閉まる音を聞きつつ、さらに伸びていく廊下を歩く。自分の足音だけが反響する、冷たい静寂。あまり長くないだろうと推測しているつもりなのに、距離感が分からなくなりそうだった。

 微かな不安を消すために、窈は今頃どうしているだろうかと考える。多分リヤンは仮眠中だろうけれど。

 そんな風に物思いに耽っていれば、寒い廊下もすぐに終わった。入り口とほぼ同じように見えるダークグレーの扉が現れる。ノブの冷たさに身を竦ませながら、それを掴んで引いた。

「…あ」

 中はさながら資料室のようだった。壁にくっついた金属製の棚にはぎっしりとファイルが並び、背に貼られたラベルには油性ペンで殴り書きされたようなタイトルがある。真ん中には小振りの応接セットがあるが、ガラステーブルの上にも付箋だらけのファイルが数冊積まれている。

「《獏》の助手さんですね?」

 不意に掛けられた声に振り向く。よく通る、硬い感じの声の印象に反することなく、黒いスーツに身を固めた彼女は、いかにもキャリアウーマンといった風の、隙の無い立ち姿だった。

「案内人さん、ですか?」

「はい。久瀬と申します」

「よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げる千歳に、久瀬も会釈した。

「いえ、こちらこそ。……それで、本日は異能についてお問い合わせとか」

 いきなり本題に入られて、少し面食らいながら、頷く。

「何をお聞きになりたいのですか?」

「えっと……まずは、異能の概要、とか」

 無難なところを解答できたと思う。久瀬も納得を見せた。

「確かに、一般の方々にはあまり知られていないですから、そこから説明すべきでしたね。

 異能というのは文字通り、他の人々と異なる能力、一般に人間には無いとされている能力のことです。卑近な例で言えば、手を触れずしてスプーンを曲げることや、壁の向こうを透視することなどが挙げられます。そして前者のように事物に干渉する力と、後者のように超感覚的な力の二つに大別されます。ひとくくりで“異能者”と呼ばれることのほうが遥かに多いですがね」

「先天的に持っているんですか? 皆?」

「というよりは、先天的に持っている人間が異能者なのです。後天的な能力者は“魔法使い”です」

「……魔法使い」

 わずかに久瀬の目つきが変わったのを感じつつ反復する。

「そして私たちは、野放しにしておくには惜しい異能者を集め、その能力をより良い形で引き出すための研究をしている、ということです」

 しかし彼女は話題を逸らしたようだった。だが、千歳とて魔法使いについて聞きに来たわけではないため、特に気に掛けない。

「異能者と呼ぶくらいですし、珍しいんですよね?」

「干渉する能力者は確かに、日本で現在二桁程度の数しか確認されていません。ですが超感覚の持ち主はその十倍近くは認められています。後者は比較的隠蔽も珍しくありませんから、実際はもっと居てもおかしくないとされています」

「なるほど……」

 自分もその一人かもしれない、という思いがちらりと脳裏を掠めたが、それを振り払って久瀬を見る。

「あの、“ラプラスの悪魔”と呼ばれる異能者が居る、と聞いたのですが」

「……ああ、ええ、確かに存在が確認されています」

「未来を予知する異能者、ですか?」

「いえ」

 久瀬はくいとサングラスのブリッジを押し上げた。芝居がかった仕種だが、この状況自体が芝居がかっている以上違和感は無い。

「正確には未来を予測する異能者です。……カオス理論などと呼ばれるものが命名の由来となったのですが」

「え…と、諸現象に関わる全ての数値を正確に知ることさえ出来れば未来は予測できるという?」

 久瀬は軽く目を瞠ったようだった。

「よくご存知で」

「知り合いから、聞いただけなんですけど」

 会ったのは一度きりながら、あまりにも鮮烈な印象を持つ少女を思い浮かべながら、言う。

 そうですか、と納得したように頷いた久瀬は、つまり“ラプラスの悪魔”は未来を予め『知る』のではなく『測る』存在だと言いたかったようだ。

「“ラプラスの悪魔”とは、本来不可知であるところの諸数値を直感的に、かつ無意識的に用いることにより起きうるべき事態を帰納的に測る異能者を言います。とはいえ、成熟しきらないうちは数値を持て余して外したり、複数の未来を重層的に見ることもあるそうですが」

 仙波いりなと一致する特徴だった。

「一般に言う『予知』と比べれば的中率は極めて高いと言えるでしょう。彼らの知能は基本的に他の人間とそう変わりませんが、殊予測にかけては、規格外のコンピュータのようなものですから」

 それも一致しているようだ。利発な子どもではあるが、特別際立っているという感は無い。

「普通の人との違いは」

「そうですね……予知の少なくとも七割以上が的中していること、抽象概念より具象を好むことなど、決め手に欠ける要素しか挙げられません。数字に非常に敏感に反応しますが、それは脳波でも見ないと判別不能です。……だから超感覚の持ち主は数の把握が難しいのです。本人の内面で力が完結しているわけですから」

 確かにそうだ。証を見たければ、それこそ千歳の力が必要となる。それですら、彼にとってのみの証拠でしかない。

 ひとつ頷いて、もう一つの話題に移ることにした。

「異能を失くす、ということはありますか?」

 久瀬の視線が俄かに厳しくなった。

「隠すのではなく?」

「はい。能力自体が無くなること」

「……基本的には、ありえません」

「精神的ショックで使えなくなる、とか」

「むしろ肉体的精神的に傷つけば傷つくほど、異能は冴え渡るのが一般的かと。ああ、しかし、異能者がその力をなくす時、“魔法使い”が関わっている場合がありましたか」

「……え?」

「後天的に人とは違った、世界の理を超えた力を持つ人々……ええ、ある意味《獏》もその一つでしょう。尤も、《獏》以外に我々が観測出来ている“魔法使い”など微々たるものです」

 サングラス越しに向けられる目を感じ取って、千歳の身体は俄かに強張った。

「……十年ほど前に、とある異能者がその能力を封じられたという件がありましたが、それには“魔法使い”と思しき人物が関わっていたといわれています。未だにその彼については、追加情報は全くありませんが」

 久瀬の長広舌には今までで一番力が入っていた。

「今回のご依頼に、もしや“魔法使い”が関わっていそうなのですか?」

 熱の籠った問い掛けに、考える前に否と首を振った。

 嘘ではないと、反応してから知る。

 そうですか、と彼女は落胆を声音に混ぜた。もしかして、と千歳は思う。もしかして、彼女はむしろ、異能者より“魔法使い”を追っているのではなかろうか。

「丁度あなた方の住まわれる姫神市で起こったことなので、まさかと思ったのですが……流石に其処まで都合よくは運びませんね」

 偶然といえば偶然に過ぎる事実にきょとんとするが、独言に近いつもりだったようで、千歳の反応には構わなかった。代わりに、傍らの水色のファイルを押し出す。

「持ち出すことはできませんが、よろしければご覧下さい」

 誤魔化し方が上手くないな、と思いながらも千歳はそれを受け取った。元より、それをどうこう言うほど彼も話術に長けてはいない。

 開いてみると、どうやら異能のリストのようだった。一つの異能につきA4一枚分のスペースがあり、異能の詳細や特徴などが並べられている。下部にはその異能を持つ人間の名前なのだろう、いくつかの名前が書き込まれていた。

 とりあえず“ラプラスの悪魔”の項を探そうとファイルをめくっていく。どうも並び順は五十音やアルファベット順などの分かりやすいものではないようで、一枚一枚確かめていくことにする。

 半分ほどめくったところで、ふとそれが目に飛び込んできた。

 ――“真実の口”。

 発した本人の意図すら無関係に、その言動の真偽を知る――異能。恐らく名作の誉れ高い映画で登場したことでも知られる、あの彫刻を元にした命名だろう。

 ファイルを閉じてしまいたい衝動を抑えて、表情とて変えるわけにもいかず、ただ唇だけ噛み締めた。

 やはり、と言うべきなのだろう。

 下に名前は無い。上手く立ち回ってきたつもりもないが、久瀬の言ったとおり、感覚的な異能をもつ人間は確かめることが容易くないからだろう。

 全ては、根拠の無いこと。けれど、否定も出来ない。自分にそんな能力など無い、異能者ではない、とは。

 嘘だと分かってしまう否定、それこそが千歳にとっては二重の根拠となる。

 一つ、息を吐く。

 こんなことは予定調和だ。何となくでも、分かっていたこと。今更、動揺してどうしようというのだろう。

 そんなものは――もう、あの日に置いてきた。

 気を取り直してページを再び繰る。“アルキュオネの同胞”“朱雀の羽”などの名前を尻目に、目的のページを探り当てる。

 “ラプラスの悪魔”――久瀬の説明のほぼその通りの解説がある。ただ、下部に書かれた名前の中には、仙波いりなの名は無い。

 結局、ファイルを見るまでもなかったということだろう。ファイルを返して、立ち上がり深々と頭を下げた。

「お手数をお掛けしました」

「いえ、お役に立てれば幸いです」

 同じく立ち上がった久瀬が返す。そのまま、千歳は再び元のルートを辿って、区立図書館を後にした。


「お疲れ様でした」

 駐車場を記憶どおりに歩いていき、車に乗り込むと、姿勢を正したリヤンから慇懃な挨拶を貰った。

「リヤンさんも。お待たせしました」

「いえ、どうということもございません」

 後部座席に背を沈めながらリヤンの素っ気無い返答を聞く。柄にも無く、少し緊張していたらしい。何もかもが映画の中の作り物のような場所に、実は硬くなっていたのだと、やっと分かった。

 あれは――現実に住まうべき空間なのだろうか。

「悪趣味な場所でございましたでしょう?」

 心を読んだようなタイミングでリヤンが言う。少し躊躇ってから、頷いた。

「まあ秘密機関“らしく”したつもりなのかもしれませんね、創設者方は。なれどあのようなもの、どちらにせよ絵空事です」

「絵空事、ですか?」

 いつになく饒舌なリヤンを訝しく思いながら反復する。現実にあるのに、何故其処まで、語気強く。

 やはりそれを読んだように、彼女はミラー越しに千歳に目をやった。

「窈様はあの機関を『上』と表現されたでしょう?」

「……あ、もしかして」

「恐らくご想像の通りです」リヤンはアクセルを踏み込んだ。「《獏》について任されているのは、あそこです」

 そう、久瀬の話のニュアンスからも読み取れたことのはずだった。彼女は“魔法使い”を探しているようなことを言っていた。そして《獏》も“魔法使い”と分類される、とも。

「あの、仲、悪いんですか」

 リヤンの態度では言わずもがなという証明の権化だが、一応確認してみる。政府の援助と協力を受けているのは先月の件で知っているために、そこまで毛嫌いせずとも、という本音もある。しかしあっさりとリヤンは肯定した。

「絵空事と仲睦まじく交わってどうするというのです」

「……え、と」

「あの機関は、機会さえあれば《獏》に指図しようというのですから、いい迷惑というものです。《獏》には《獏》の生き方というものがございますのに、それをああだこうだと詮索されるのでは、不愉快になろうというものです」

「え、でも、保護と協力……」

「先方が売るつもりの恩は頂きます。なれどどのような形で返すかはこちらの問題です」

 きっぱりはっきり言い切った。あちらは食い逃げされている気分なのだろうな、と密かに千歳は思ったが、此処まで宣言されるといっそ愉快だ。

「ところで千歳様、どうも美味な餌を投げられたようですね」

 つまらなそうなリヤンの言葉に首を傾げ――しかし、悟る。

「何かあったんですか?」

「尾けられています」

「…どうして、でしょう」

 もし千歳が彼らの興味をひいてしまったのだとしても、尾行という行為に意味が見いだせない。困惑する千歳をよそに、リヤンは冷静だった。

「《獏》の正確な居所は、依頼の意思なき限り、ふつう感知できないようにしているのですよ。有象無象から《獏》を守るための措置です」

 どうやってそんな誤魔化しをしているのか、とは聞かないことにした。

「ですから、彼らは《獏》を監視したくともできない。つぶさに見たければ、居所を発見するしかない。逆に、一度辿り着いてしまえば、《獏》にはっきりと拒絶されない限り、場所をとらえることは可能です」

「あ、だから僕らは帰宅できるんですね」

 ええ、と頷くリヤンの紅みがかった瞳は、既にバックミラー越しに後続車をにらみつけている。

「…………撒けるんですか」

「ご安心を」

 自然頼りない声になってしまった彼に構わず、リヤンはより強くアクセルを踏みつけた。

 ……それからしばらくのことは語らない。

 ただ、全く安心できない時間であったことは確かだった。

 完全に撒けたようです、と言われたのは、それから約一時間後のことだった。

 幸い乗り物には強い性質の所為で吐き気までに到らなかったが、やっと人心地がついたというのが素直な感想だ。

「でも、住所は知られているんじゃ」

「いいえ。姫神市内とまでです。あとは、信頼できる仲介者が届けてくれますので」

「仲介者?」

「そのうちご紹介できるでしょう」

 例のプレートもそうやって届いたのだろうか、と考えかけた千歳だったが、彼女は構わず話題を転換した。

「それよりも、餌にお心当たりは」

 無い、わけではない。“魔法使い”が異能者に関わっているのかどうか、と質問されたことだ。

 否定したが、千歳は《獏》ではない。嘘を吐いても良い立場なのだ。彼らは千歳が嘘を嫌うことを知らないのだから。

「別に問い質そうというのではありません」

 沈思している千歳へと、心なしかリヤンは口調を和らげた。

「彼らを向こうに回したところで、私も窈様も全く頓着いたしませんので」

 珍しい柔らかな促しに、ぽつぽつとやりとりを語ることに決めた。大方を話し終えると、なるほど、とリヤンは得心を込めて呟いた。

「事情は分かりました。……ですが千歳様、ご安心を。何があっても、絶対に、窈様はあなたのお味方です」

 千歳が異能者である可能性を、きっとリヤンは知っている。だからこそ、今この科白が出てきたのだろう。

「『上』と対立してでも、窈様は必ずあなたを助けます。無論、私も窈様の命に従いますゆえ」

「……どうして」

 静閑を好む《獏》が、どうして千歳に其処までしてくれるのだろう。助手如き、いくらでも代わりは見つかる筈だ。窈が心優しいとは言え、そこまでする価値など。

 その困惑を見て取ったらしいリヤンは、やはりミラー越しだが、じっと紅い瞳を彼に据えた。

「……千歳様、あなたは窈様に引き取られたのです。その意味を、あなたはどうも軽く見ているようですが」

「助手になった、ということでしょう?」

「それ以前に、家族になったのですよ、千歳様」

 あまりに思いがけない発言だった。思わずリヤンの瞳を凝視し返す。

「家族を守るのは当然でしょう?」

「…………」

「少なくとも窈様は、そういうお方です」

 確かに――確かに、軽く見ていたのだろう。

 けれど、今までそんな扱いをされたことはなかったのだ。

 『家族』――とろけるように優しい、ずっと昔に失くした響きを、千歳はじっと噛み締めた。

 窓の外は山間部を通る高速道路。粉雪が舞っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ